表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【World Wide Love ― 2人で1人の逃走譚 ―】  作者: KK
【第2部】第6章ーシスターアリスの秘密ー

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

633/657

逆鱗に触れたとてー

ミリィは力なく笑った。


どこか諦めきったような。


乾いた笑いだった。


「じゃぁ……今、助けてくれと言ったら、助けてくれるのかい?」


ベルはその問いを受け止める。


冗談にも、挑発にも聞こえた。


それでも真面目な顔のまま問い返す。


「……助けて欲しいのか?」


しばし沈黙が落ちる。


やがてミリィは鼻で笑った。


「はっ……今更助けなんて……今更さね」


その声には、自嘲だけが滲んでいた。


ベルは何も責めない。


静かに頷くだけだった。


「だったら、そういうことなんだろうよ」


その返事に、ミリィは目を伏せる。


そして小さく息を吐いた。


「とりあえずさ、あたしの言うこと聞いてなよ」


ベルは何も答えない。


ただ黙って見つめ続ける。


その沈黙を楽しむように、ミリィはゆっくりと口角を上げた。


「このミリィが偽物ってことは、本物はどこにいるのかねぇ?」


その一言で。


ベルの瞳の色が変わる。


押さえつけていた手に、わずかに力が入った。


「てめぇ、ミリィをどこにやった?」


低く唸るような声。


初めて感情が露わになる。


だがミリィは動じない。


口元を歪めたまま、肩を小さく揺らした。


「それも今更さね」


愉快そうに笑う。


「さぁて、どこなんだろうねぇ?」


その笑みは挑発そのものだった。


ベルは無言のまま見下ろす。


怒鳴りもしない。


殴りもしない。


ただ、その銀色の瞳だけが静かに細められていく。


部屋に流れる空気が、ゆっくりと冷え切っていった。


ミリィはベルの首へ回した両腕に、ゆっくりと力を込めた。


その笑みはどこまでも余裕に満ちている。


「だからほら、あたしの言う通り、この身体を好きにしなよ」


ベルは眉一つ動かさず、低く言い放った。


「だからやめろって」


その拒絶にも、ミリィは楽しそうに笑う。


「いいじゃないか。本物じゃないんだからさ」


まるで人の心を試すような口調だった。


ベルの目が細くなる。


「いい加減にしないと、ぶっ飛ばすぞ」


その声には静かな怒気が滲んでいた。


だがミリィは怯えない。


むしろ口元をさらに吊り上げた。


「あんたにゃむりさね」


そう呟いた瞬間。


「例え偽物だとしても――」


その身体が、鏡のような輝きを放つ。


月明かりを弾くように全身がきらめき、輪郭が揺らいだ。


ベルの目の前で、少女の姿が音もなく変わっていく。


髪が。


顔立ちが。


体つきが。


服装までもが、まるで最初からそうであったかのように書き換えられていく。


輝きが静かに消えた時。


そこに横たわっていたのは、もうミリィではなかった。


「こっちの方が好みかい?」


アルティシアの姿をした女が、妖しく微笑む。


見慣れたはずの顔。


聞き慣れたはずの声。


けれど、その瞳だけは決定的に違っていた。


底知れぬ悪意を隠そうともせず、ベルを見上げている。


ベルは黙ったまま、その顔を見つめる。


驚きはない。


ただ、小さく息を吐いた。


「……くだらねぇ」


その一言だけが、静まり返った部屋に落ちた。


「これじゃありませんか?」


アルティシアの姿をした女が、くすりと笑う。


「それならー」


その身体が再び鏡のように揺らぎ始めた。


輪郭が溶け、光が波打つ。


髪が伸び。


顔立ちが変わり。


衣服までも音もなく書き換えられていく。


やがて輝きが収まった時。


そこにいたのはマリーナだった。


挿絵(By みてみん)


「これでどうだ?」


見慣れた顔が、見慣れない笑みを浮かべる。


「これならまた愛していると、言ってくれるだろ?」


その言葉に、ベルの眉が深く寄った。


「……おまえ……いい加減に」


言い終えるより早く。


再び姿が揺らぐ。


水面へ石を投げ込んだように全身へ波紋が広がり、マリーナの面影が崩れていく。


そして。


ベルの目が大きく見開かれた。


柔らかな金髪が月明かりを受けて揺れる。


白いシスター服がベッドの上へ静かに広がる。


そこにいたのは。


優しい微笑みを浮かべた、シスターアリスだった。


「ベル。元気にしてた?」


その声に、ベルの喉がかすかに震える。


「……シスター……」


懐かしい呼び名が、思わず零れ落ちた。


シスターマリアは穏やかに目を細める。


「そう、あなたのシスターアリスよ」


ゆっくりと身体を起こし、ベルとの距離を縮める。


「あなただけのー」


言葉の続きを紡ぎながら、ベルの首へ回した腕に力を込め、そのまま静かに抱きしめた。


温もりは本物と変わらない。


香りも。


髪の感触も。


何もかもが、記憶の中のままだった。


だが。


ベルは抱き返さない。


腕を動かすこともなく、ただ静かに立ち尽くしていた。


その瞳だけが、目の前の姿を真っ直ぐ見据えている。


懐かしさに揺れることはあっても。


惑わされることはない。


ゆっくりと息を吐いたベルは、低く呟いた。


「姿を真似ても……心までは真似できねぇよ」


その一言だけが、静まり返った部屋に静かに落ちた。


ベルは首へ回された腕を静かに振りほどいた。


そのまま一歩退き、ベッドの上へ横たわるシスターを見下ろす。


「シスター……そんな姿、見たくなかったよ」


声は低く、どこか悲しげだった。


次の瞬間。


ベルの姿が後方へ弾ける。


床へ音もなく着地し、ベッドとの距離を大きく取った。


ベッドの上では、シスターアリスがゆっくりと上半身を起こす。


穏やかな微笑みは崩れない。


「照れているの?」


優しく首を傾げる。


「いいのよ。好きにー」


その言葉は最後まで続かなかった。


ベルが何もしていない。


ただ立っているだけ。


それだけなのに。


空気が変わっていた。


重く。


冷たく。


息を吸うことすらためらうほどの圧が、部屋いっぱいに満ちていく。


シスターアリスの肩が、かすかに震えた。


頬を一筋の汗が伝い落ちる。


笑顔を保とうとしているのに、唇がわずかに引きつっていた。


ベルはゆっくりと顔を上げる。


その瞳には、これまで見せたことのない色が宿っていた。


静かな怒り。


燃え盛るのではない。


凍りつくほど冷たい怒り。


「おまえは……」


一語一語を噛みしめるように口を開く。


「触れちゃならないところを……汚した」


その言葉が落ちた瞬間。


部屋の空気がさらに張り詰めた。


目の前にいるのは偽物だ。


頭では理解している。


それでも。


大切な人の姿を借り。


その笑顔を歪め。


その声を汚し。


その温もりまで利用した。


その行為だけは。


ベルの中で決して許されるものではなかった。


静寂の中、シスターアリスの姿をした女は初めて一歩も動けずにいた。


目の前の男が放つ怒りに。


本能が、危険だと告げていた。


ベルの肩が震えていた。


怒りで。


悲しみで。


悔しさで。


そのすべてを押し殺すように、右拳がゆっくりと握られていく。


骨が軋むほど、強く。


ベッドの上では、シスターアリスの姿をした女が固まっていた。


先ほどまでの余裕はどこにもない。


肩は小刻みに震え。


頬を伝う汗が顎先から落ちる。


ベルから目を逸らすことすらできず、ただ息を呑んでいた。


ベルは一歩、前へ踏み出す。


床板が低く鳴る。


その音だけで、シスターアリスの身体がびくりと震えた。


「許さねぇ……」


喉の奥から漏れる声。


「許さねぇぞ!」


その叫びは部屋の空気を震わせた。


握り締めた拳が、さらに強く固められる。


ベルの瞳には、これまで誰も見たことのない怒りが宿っていた。


燃え上がる激情ではない。


静かに、しかし確実にすべてを焼き尽くす怒り。


「シスターアリスは――」


その言葉に、ベッドの上の女は思わず身を引いた。


怯えきった瞳でベルを見上げる。


ベルは構わず続けた。


「俺の――」


拳を引く。


全身の力が、その一点へ集まっていく。


そして、腹の底から叫んだ。


「この世界の母ちゃんなんだよっ!」


次の瞬間。


躊躇も、迷いもなく。


ベルの拳が、一直線に放たれた。


シスターアリスは身を縮こませた。


両目をぎゅっと閉じる。


迫り来る拳に、本能が悲鳴を上げていた。


次の瞬間には、すべてが終わる。


そう思った。


だが。


いつまで待っても衝撃は訪れない。


恐る恐る瞼を開く。


そこには。


目と鼻の先まで迫ったベルの拳が、ぴたりと止まっていた。


「ひっ……」


小さな悲鳴が漏れる。


拳から伝わる圧だけで、身体が震えた。


ベルは右拳を突き出したまま、微動だにしない。


頭だけを深く垂れ、俯いていた。


やがて、苦しげに声を絞り出す。


「できねぇ……」


その声は震えていた。


怒りではない。


自分自身への悔しさで。


「偽物とわかってても……シスターは殴れねぇ」


その言葉が部屋へ落ちる。


静寂が流れた。


ほんの一瞬。


そして。


シスターアリスの口元が、ゆっくりと吊り上がる。


震えていた肩から力が抜ける。


「あぁ……」


小さく息を漏らし。


「そうだろう、そうだろう」


くつくつと笑い始めた。


その笑いは次第に大きくなっていく。


目の前の男の優しさを。


弱さを。


すべて見抜いた者だけが浮かべる笑みだった。


一方のベルは、拳を下ろさない。


下ろせない。


ただ俯いたまま、固く握り締めた拳だけが小さく震え続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ