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【World Wide Love ― 2人で1人の逃走譚 ―】  作者: KK
【第2部】第6章ーシスターアリスの秘密ー

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ウルフがいなくなってもいいの?ー

川面を撫でる風が、草をさわさわと揺らしていた。


食堂を出たウルフは、そのまま人気のない川縁まで歩くと、草むらへ大の字に寝転がる。


青空を見上げ、深く息を吐いた。


「なーんか……引っかかるんだよなー」


独り言は風に溶け、誰の耳にも届かない。


ベルとミリィと旅を始めて半年。


賑やかな毎日だった。


くだらない話をして、飯を食い、喧嘩をして、笑う。


そんな日々を繰り返してきた。


それでも、胸の奥に小さな棘だけはずっと残っている。


最初は気のせいだと思った。


そのうち話してくれるだろう、と。


無理に聞き出すほど野暮でもない。


誰にだって言えない事情くらいある。


だから気付かないふりを続けてきた。


だが、時間が経つほど、その違和感は薄れるどころか輪郭を増していく。


「俺はまだ……信用されてないってことなのかねぇ」


苦笑が漏れる。


それなら、それで仕方ない。


自分が胡散臭い男だという自覚くらいはある。


どこの馬の骨とも知れない流れ者。


素性を聞かれれば煙に巻き、笑って誤魔化す。


信用しろという方が無理な話だ。


それでも。


ベルのことも。


もう一人のベルのことも。


ミリィのことも。


いつの間にか、本当の弟や妹のように思うようになっていた。


だからこそ、その距離が少しだけ寂しい。


ウルフはポケットから煙草を取り出し、口へ咥える。


もう片方の手で、使い慣れた金色のライターを弄んだ。


カチリ。


小さな音と共に火が灯る。


煙草の先端が赤く染まり、ゆっくりと煙が立ち上った。


一服吸い込み、肺いっぱいに満たしてから空へ吐き出す。


白い煙は風に攫われ、形を失っていく。


そのまま、ウルフは火を消したライターを手の中で転がした。


陽の光を受けた金属が鈍く輝く。


長年使い込まれた小さな傷。


角の擦れ。


親指が自然と馴染む窪み。


黙ってそれを眺めているうちに、ふと口元が緩んだ。


川風に乗って、煙がゆっくりと空へ溶けていく。


ウルフは短くなった煙草を指先で弾き、土の上へ落とした。


火種を靴底で踏み消すと、手の中の金色のライターをしばらく見つめる。


磨き抜かれた表面には、自分のぼやけた顔が映っていた。


「ベルへの借金もこないだのギルド依頼の報酬で返したし、ここいらが潮時なのかねぇ」


ぽつりと零した声は、自分に言い聞かせるようでもあった。


ライターを懐へしまい込む。


半年。


長いようで、あっという間だった。


最初はただの縁だった。


金を返すまでの付き合い。


その程度のつもりだったはずなのに、気付けば朝飯を囲み、喧嘩を仲裁し、笑い合う毎日が当たり前になっていた。


だからこそ、胸の奥に引っかかる違和感が重い。


ベルは何かを隠している。


ミリィもまた、それを知っている。


二人で目を合わせ、何でもないように話を逸らす場面を何度見ただろう。


聞こうと思えば聞けた。


問い詰めようと思えば出来た。


それでもしなかったのは、待ちたかったからだ。


いつか自分から話してくれる日を。


だが、その日は来ないのかもしれない。


信用されていないなら、それまでだ。


無理に踏み込む趣味もない。


草の上へ両手を枕代わりに組み、青空を見上げる。


流れていく雲は、何も知らない顔をしていた。


「ま、元々一人が性に合ってるしな」


そう呟いた口元は笑っていた。


けれど、その笑みはどこか寂しげで、風に揺れる草の音だけが静かに応えるのだった。


と、その瞬間だった。


不意に陽射しが遮られ、ウルフの顔へ影が落ちる。


何気なく目を開くと、自分のすぐ頭上に小さな人影が立っていた。


ミリィだった。


逆光の中、じっとこちらを見下ろしている。


風に金色の髪が揺れても、その表情だけはぴくりとも動かない。


ウルフは片眉を上げ、いつもの調子で口笛を吹いた。


「HEY! そんなとこに立って、またパンツでも見せてくれるのかい?」


軽口だった。


いつものように呆れた顔をされるか、赤くなって怒鳴られるか。


そんな返事を想像していた。


けれど。


ミリィは怒りもせず、困りもせず。


ただ、ふわりと微笑んだ。


その笑みに、ウルフは胸の奥で小さな違和感を覚える。


次の瞬間。


ミリィは静かに両手でスカートの裾を摘まんだ。


そして、ゆっくりと持ち上げようとする。


「HEY、HEY!」


反射的に上半身を起こし、ウルフは慌てて顔を背けた。


「そういう冗談はらしくないぜ!?」


思わず両手まで振って制止する。


目線は頑なに川の方へ向けたまま。


苦笑しながら肩を竦める。


「ガキが大人からかうもんじゃねぇよ」


返事はない。


草を揺らす風だけが、二人の間を静かに通り抜けていった。


その沈黙に、ウルフの笑みが少しずつ薄れていく。


いつもなら、もうとっくに「違います!」と慌てているはずだった。


それなのに。


背後から聞こえてくるのは、衣擦れひとつない、不自然な静寂だけだった。


「こんなところでなにをしていたんですか?」


穏やかな声だった。


ウルフは肩越しに振り返り、口の端を吊り上げる。


「見りゃわかるだろ? 暇を潰していたのさ」


さっきまで胸の奥に沈んでいた重たい空気を追い払うように、にかりと笑ってみせる。


ミリィは何も言わなかった。


ゆっくりと歩み寄り、そのまま草の上へ腰を下ろす。


ウルフの隣。


肩が触れるほど近くでもなく、離れすぎてもいない距離。


そのまま膝を抱えることもせず、ただ真っ直ぐに川面を見つめていた。


陽射しを受けた水面が、きらきらと白く瞬く。


風が吹くたび、小さな波紋が広がっては消えていく。


二人の間には、それだけが流れていた。


ウルフは横目でちらりとミリィを見る。


横顔はいつも通りだ。


表情も穏やかで、姿勢も崩れていない。


それなのに、何かが違う。


言葉では説明できないほど小さな違和感。


煙草を吸い終えた指先が、無意識に膝を叩く。


「どうしたんだ? おまえ、なんか今日は変だぞ?」


問いかけられても、すぐには返事がない。


やがて小さく息を吸い込み、ミリィがぽつりと口を開いた。


「……ベルさんと、お話ししたんです」


「へぇ」


気のない相槌を打ちながら、ウルフは草を千切る。


「そのことで、少し考えてしまって」


言葉が途切れる。


何かを迷っているような沈黙だった。


「ウルフさん」


「ん?」


「借金、返しましたよね」


「返したな」


「もう、一緒に旅をする理由はありませんよね」


ウルフの手が止まる。


けれど、すぐに肩を竦めて笑った。


「理由なんざ、後からいくらでも作れるさ」


その軽口にも、ミリィは笑わなかった。


ただ静かに視線を落とす。


「ベルさんは、優しい方です」


「ああ」


「だから、自分からは言えないんです」


風が吹く。


草が揺れ、川面に小さな波紋が広がった。


ミリィは続ける。


「ウルフさんは自由な方ですから」


「一つの場所に縛られるより、ご自分の好きなように生きた方が」


そこで言葉を切る。


それ以上は何も言わない。


まるで、言う必要がないとでも思っているようだった。


ウルフは空を見上げる。


さっき、自分で口にした言葉が頭をよぎる。


――ここいらが潮時なのかねぇ。


誰かに言わされたわけじゃない。


そう思ったのは、自分だ。


ミリィも、ベルも。


誰一人「出て行ってください」とは言っていない。


それでも。


「……そっか」


小さく笑う。


どこか諦めたような、穏やかな笑みだった。


「ベルらしいな」


ぽつりと呟いて、草を風に放る。


白い綿毛のように舞い上がったそれを目で追いながら、ウルフはもう一度だけ息を吐いた。


隣ではミリィが何も答えない。


静かに、ただ静かに、流れる川だけを見つめ続けていた。


ウルフはゆっくりと立ち上がる。


尻についた草を二、三度手で払うと、深く息を吐いた。


川の流れは変わらず穏やかで、さっきまで座っていた場所だけが少しだけ窪んでいる。


「今日はちょっと飲みに行ってくるからさ」


振り返らないまま、軽く片手を上げる。


「その話の返事は明日な」


重たい空気を吹き飛ばすような、いつもの調子だった。


返事を待つこともなく、ウルフはそのまま歩き出す。


革靴が草を踏み、土を鳴らし、やがて石畳へと音を変えていく。


背中はどこまでも自然だった。


迷いを隠すように肩を揺らし、口笛でも吹き出しそうな歩き方で、少しずつ遠ざかっていく。


ミリィは追わない。


呼び止めもしない。


ただ静かに座ったまま、目の前を流れる川だけを見つめていた。


水面に映る陽光が揺れる。


風が吹き、細かな波紋が広がる。


その瞳は、去っていくウルフの背中を一度も追わなかった。


やがて足音が完全に聞こえなくなる。


辺りには川のせせらぎだけが残った。


その時だった。


ミリィの口元が、ほんのわずかに吊り上がる。


誰に見せるでもない、感情のない笑み。


風が吹く。


金色の髪が揺れ、その影が水面を掠めた。


そして少女は何事もなかったように立ち上がると、服についた草を静かに払って歩き始めた。


その足取りは迷いなく、真っ直ぐだった。




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