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【World Wide Love ― 2人で1人の逃走譚 ―】  作者: KK
【第2部】第6章ーシスターアリスの秘密ー

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だから、愛して育てくれたんですか?ー

宿へ向かう石畳の道を、ベルとミリィは並んで歩いていた。


人通りは多い。


露店の呼び声も聞こえる。


それなのに、ベルの耳には何も入ってこなかった。


頭の中で、大神官の言葉だけが何度も繰り返される。


『ジット村へ向かえ』


『そこで出会う二人の子を育てよ』


『その子らが歩む道を、最後まで見届けよ』


ベルは俯いたまま、小さく呟く。


「神託……」


「神託があったから、シスターアリスは私たちを育てた?」


答える者はいない。


けれど、その疑問は胸の奥へ沈んでいく。


思い出す。


初めて熱を出した夜。


眠れず泣いていた自分の手を、朝まで握ってくれたこと。


転んで膝を擦りむけば、優しく手当てをしてくれたこと。


夜のあいつが悪戯をして、本気で怒られていたこと。


全部。


全部、神託だったのだろうか。


「……わかんないよ」


ベルは唇を噛む。


もし神託がなかったら。


シスターは自分たちを拾わなかったのだろうか。


抱きしめてはくれなかったのだろうか。


笑いかけてもくれなかったのだろうか。


考えれば考えるほど、胸が苦しくなる。


隣を歩くミリィは、そんなベルを何度も横目で見た。


だが何も言わない。


今はどんな言葉も届かないと分かっていたからだ。


ベルは空を見上げる。


青く澄んだ空は、あの日ジット村で見上げた空と何も変わらない。


それでも。


心のどこかで、小さな声が囁いていた。


――シスターは、本当に私たちを愛してくれていたの?


その問いだけが、答えのないまま静かに胸に残り続けていた。


宿へ戻ると、ウルフも帰ってきていた。


三人はそのまま宿の食堂へ向かい、少し遅い昼食を取ることにした。


料理が運ばれてきても、ベルはどこか上の空だった。


その様子を見て、ウルフが口を開く。


「で? どうだった?」


ベルは顔を上げ、無理に笑みを作る。


「うん……いろいろ聞けて、よかったかな」


「ふぅん」


短く返し、ウルフはフォークを手に取る。


ミリィも静かに言葉を続けた。


「すごい方……だったんだなって」


「そうね。びっくりしちゃった」


ベルはそう答えたものの、その笑顔はどこか力がない。


ウルフはじっとその顔を見つめる。


「スッキリしねぇ顔してるじゃねぇか」


その一言に、ベルは視線を落とした。


「うん……なんかシスターアリスのこと、わかんなくなっちゃって」


「教皇で、神託を受けて」


「その神託が、『二人の子を育てよ』で」


指先でスプーンをなぞりながら、小さく息をつく。


「私たちを拾ったのも」


「育ててくれたのも」


「全部、その神託があったからなのかなって」


食卓が静かになる。


ミリィは何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。


ウルフも何も言わない。


しばらくして、料理を一口食べると、それだけで話は終わった。


ベルもそれ以上は口を開かなかった。


目の前のスープから立ち上る湯気を眺めながら、心の中で同じ言葉を繰り返す。


――もし神託がなかったら。


――シスターは、私たちを拾わなかったのだろうか。


その答えは、誰も教えてくれなかった。


ベルが一人、先に部屋へ戻ったあと。


食堂には、ミリィとウルフだけが残っていた。


しばらく静かな時間が流れ、やがてウルフが口を開く。


「どう思う?」


ミリィは顔を上げる。


「シスターアリス様のことですか?」


ウルフは短く頷いた。


「私も……直接お会いしたことがないのでわかりませんが……」


少し言葉を選ぶように視線を落とす。


「お二人から聞いている話だと、とても神託を受けたから育てた……とは」


そこまで言って、口を閉じた。


ウルフはしばらく黙っていたが、小さく頷く。


「そうかい」


そして椅子にもたれ、煙草を一本取り出す。


ミリィは首を傾げた。


「そういうものでしょうか?」


ウルフは懐から黄金のライターを取り出し、親指で蓋を弾いた。


「そういうもんさ」


乾いた金属音が鳴った、その瞬間。


「ここ、禁煙ですよ?」


ミリィの冷静な一言に、ウルフの手が止まる。


数秒の沈黙。


やがて肩をすくめ、ライターの蓋を閉じた。


そのまま立ち上がると、煙草をくわえたまま外へ向かう。


残されたミリィは、その背中を見送りながら小さく息をついた。


「……まったく」


「ほんと、男って嫌よね」


突然、すぐ背後から聞こえた声に、ミリィの思考が止まった。


振り返ることすらできない。


その声を、知っていた。


「……っ」


喉が震える。


恐る恐る視線だけを動かそうとした瞬間、肩越しに銀色の髪が視界へ入り込んだ。


いつの間にそこへ立ったのか。


気配も、足音も、一切なかった。


ハーブはいつもと変わらぬミントグリーンのワンピースを纏い、柔らかな笑みを浮かべている。


昼下がりの食堂に溶け込むような、穏やかな令嬢の姿。


だからこそ、恐ろしい。


くすくす、と鈴を転がすような笑い声が耳元で弾んだ。


「あらあら、声を出さないなんてえらいわ」


白いレース手袋に包まれた手が、そっとミリィの頭へ置かれる。


その瞬間、肩がびくりと跳ねた。


全身から冷や汗が噴き出す。


心臓だけが激しく脈打ち、その音が自分にしか聞こえないほど大きく響いていた。


「そんなに汗を出して、大丈夫? 体調が悪いのかしら?」


まるで本気で心配しているような声音だった。


ハーブは懐からハンカチを取り出すと、ためらいもなくミリィの額へ当てる。


優しく、丁寧に汗を拭う。


乱れた前髪まで指先で整え、満足そうに微笑んだ。


食堂では誰も気付かない。


隣の席では笑い声が上がり、厨房からは皿の触れ合う音が響く。


店員が料理を運び、客たちは談笑を続けている。


この席だけが、静かに世界から切り離されていた。


ミリィは一言も発せない。


逃げたい。


助けを呼びたい。


ウルフはまだ遠くへ行っていないはずだ。


そう思うのに、身体は石像のように固まり、指先ひとつ動かなかった。


ハーブはそんな様子を眺め、また小さく笑う。


「あらあら」


その声はどこまでも穏やかで、優しかった。


けれどミリィには、その一言だけで十分だった。


今、自分の生殺与奪は、この女の機嫌ひとつで決まる。


そんな確信だけが、冷たい刃のように胸の奥へ沈んでいった。


そうしてハーブは、額を拭っていた手をそのまま滑らせるように下ろし、そっとミリィの顎へ添えた。


白いレース手袋越しの指先が、逃がさないと言わんばかりに優しく支える。


「あらあら、おとなしくしてくれて、本当に助かる」


その声音は、幼子を褒める母親のように穏やかだった。


指先から、とろりと透明な粘液が滲み出す。


雫は顎を伝うこともなく、そのままミリィの肌へ吸い込まれるように広がっていった。


次の瞬間。


張り詰めていた身体から一気に力が抜ける。


瞳から光が消え、焦点がぼやけた。


そのまま糸の切れた人形のように前へ傾き、テーブルへ静かに突っ伏す。


皿が小さく鳴った。


周囲の客が何人か顔を上げる。


しかし、そこに映るのは少女が居眠りを始めた光景だけだった。


ハーブは何一つ慌てる様子もなく、くすくすと口元を隠して笑う。


「この子ったら、食事中に寝ちゃうなんて、お行儀の悪いこと」


まるで困った妹を見つめる姉のような声音。


その自然さに疑いを抱く者はいない。


近くの客も、店員も、微笑ましいものを見る目で二人を眺めるだけだった。


「ごめんなさいね。この子、疲れていたみたいで」


そう言いながら、ハーブは眠ったミリィの身体をそっと抱き起こす。


細い腕を自分の肩へ回し、支えるように寄り添わせる。


傍から見れば、眠気に負けた少女を介抱する保護者そのものだった。


店員が勘定を告げると、ハーブは何事もない笑顔で代金を支払う。


受け取った釣り銭を丁寧にしまい、軽く会釈をした。


「ごちそうさまでした」


誰も引き留めない。


誰も疑わない。


昼下がりの穏やかな食堂から、銀髪の令嬢は眠る少女を支えたまま、ゆっくりと扉の向こうへ消えていった。


扉の鈴が、小さく澄んだ音を鳴らした。

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