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【World Wide Love ― 2人で1人の逃走譚 ―】  作者: KK
【第2部】第5章ー古代遺跡の謎ー

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記憶の彼方ー

ベルの表情が険しくなる。


「また…怪人…」


そう言いながら右手を前へ突き出した。


人差し指をダチュラドールへ向ける。


その背後ではミリィも緊張した面持ちで怪人を見つめていた。


ウルフは一歩前へ出る。


ナックルダスターを鳴らしながら。


デッドエンドはそんな三人を見て上機嫌だった。


「おらおらー!」


「はやくやっちゃってぇー♪」


鞭をぶんぶん振り回す。


「クソザコキンサシャー♪」


キンサシャの眉がぴくりと動いた。


ゆっくりとデッドエンドを睨む。


「…わかってるよ」


低く返す。


そして両手に抱えた水晶玉を持ち上げた。


ぺろり。


右。


ぺろり。


左。


水晶玉の表面を舌がなぞる。


その瞬間。


ダチュラドールの身体が小刻みに震え始めた。


びくり。


びくり。


まるで見えない糸で操られる人形のように。


全身を覆う白い花弁が擦れ合う。


さらさら。


さらさら。


乾いた音が響く。


そして。


頭部を形成する巨大なチョウセンアサガオがゆっくりと開いた。


白い花弁が何重にも広がる。


花の中心にある深い紫色が露わになる。


顔の周囲を囲む花弁が震えた。


ぶるり。


ぶるり。


それに合わせるように白い花粉が零れ落ちる。


最初は少量だった。


だが次第に量が増えていく。


雪のように。


霧のように。


白い粒子がホールへ漂い始めた。


ミリィが息を呑む。


「来ます!」


デッドエンドは嬉しそうに飛び跳ねた。


「キャハハハ!」


「いいねいいねぇ!」


「いっぱい撒いちゃえー♪」


ダチュラドールの花がさらに大きく開く。


花弁が震える。


そして。


白い花粉が一気に周囲へ吹き出した。


視界を覆い尽くすほどの白い花粉に、思わずベルは瞳を閉じた。


白。


白。


何も見えない。


耳の奥ではデッドエンドの笑い声が聞こえていた気がする。


ミリィの声も。


ウルフの声も。


しかしそれらは急速に遠ざかっていった。


そして。


ベルは再び目を開く。


「え…?」


思わず声が漏れた。


「なんで…」


そこは遺跡ではなかった。


まして地下でもない。


目の前に広がっていたのは巨大な神殿だった。


白と銀を基調とした荘厳な空間。


天井は遥か高く。


何本もの巨大な白銀の柱が並んでいる。


床は鏡のように磨き上げられた白い石。


壁面には美しい装飾が施されていた。


神聖。


そんな言葉が自然と浮かぶ。


心なしか空気まで違う。


澄んでいる。


冷たい。


肺へ吸い込むだけで心が洗われるような空気だった。


ベルは辺りを見回した。


誰もいない。


ミリィも。


ウルフも。


デッドエンドも。


キンサシャも。


楔兵も。


ダチュラドールも。


誰一人見当たらない。


静寂だけが支配していた。


「なに…ここは?」


返事はない。


神殿の奥。


長い白銀の絨毯が続いている。


その先。


無数の階段を越えた高台に。


何かが見えた。


玉座。


いや。


祭壇。


いや。


神座と呼ぶべきものだった。


白銀の光に包まれている。


輪郭は見える。


だが何故か認識しきれない。


そこに誰かがいるような気もした。


しかし顔が見えない。


男か女かも分からない。


ベルは眉をひそめた。


胸がざわつく。


初めて見るはずなのに。


何故か。


懐かしい気がした。


玉座に座るのは――


挿絵(By みてみん)


白と銀を基調とした衣装。


幾重にも重なる神官服にも、王族の正装にも見える荘厳な装束。


光そのものを織り込んだような白銀の布地が、玉座から階段へ流れるように広がっている。


輝くような銀の長髪。


足元まで届くほど長い髪は床へ溶けるように広がり、神殿の光を反射していた。


赤い瞳。


透き通るような白い肌。


そして。


その顔立ちはどこか――


ベルに似ていた。


「…私?」


思わず声が漏れる。


いや。


違う。


似ている。


だが違う。


少し年上に見える。


十代後半にも。


二十代前半にも見える。


年齢すら曖昧だった。


玉座の少女。


いや。


女性はベルの声にも反応しない。


うっすらと瞳を開いたまま。


ただ自分の手を見つめていた。


白く細い指。


その手を開いて。


閉じる。


また開いて。


閉じる。


何かを考えている。


何かを思い出している。


そんな仕草だった。


神殿は静かだった。


風もない。


音もない。


時間さえ止まったような静寂。


ベルは恐る恐る一歩前へ出る。


すると。


女性の赤い瞳が僅かに動いた。


視線が手から離れる。


ゆっくりと。


本当にゆっくりと。


ベルへ向く。


赤い瞳と。


黒い瞳が。


正面からぶつかった。


その瞬間。


ベルの胸が強く脈打った。


理由は分からない。


初めて会ったはずなのに。


その瞳を知っている気がした。


その顔を知っている気がした。


女性はベルを見つめる。


ただ見つめる。


驚きも。


喜びも。


怒りも。


何も浮かべない。


ただ静かに。


長い時間を越えてようやく何かを見つけたように。


ベルを見ていた。


銀髪の女性が優しく微笑む。


その微笑みは温かかった。


慈愛に満ちていた。


世界の全てを許してしまうような優しい笑顔だった。


そして静かに口を開く。


「どうしたの?そんなに浮かない顔をして、嫌なことでもあった?マガルフィン」


愛しむような声だった。


挿絵(By みてみん)


その声を聞いた瞬間。


ベルは無意識に返事をしていた。


いや。


違う。


自分ではない。


誰かだ。


落ち着いた若い男性の声。


ベルの口が動いている訳ではない。


だが確かに聞こえる。


「女神様…私はあなたが心配なのです」


女神は困ったように首を傾げた。


銀髪がさらりと流れる。


「本当にあなたは心配性ね」


そしてまた微笑む。


今度は少しだけ楽しそうに。


少しだけ嬉しそうに。


溢れるような笑顔だった。


その瞬間。


ベルは気付いた。


自分は自分ではない。


身体の感覚がない。


呼吸も。


鼓動も。


まるで夢を見ているようだった。


ただ見ているだけ。


ただ聞いているだけ。


この場所にいるのは自分ではない。


マガルフィン。


女神が見ているのはベルではない。


今こうして会話している男性。


マガルフィンなのだ。


ベルは彼の中にいる。


記憶を見ている。


景色を共有している。


そんな感覚だった。


女神は玉座から静かに立ち上がる。


長い銀髪が流れる。


白銀の衣装が光を受けて揺れた。


そして。


ゆっくりと階段を下りてくる。


一段。


また一段。


その姿を見つめながら。


マガルフィンは静かに言った。


「最近、お顔色が優れません」


「また無理をなさっているのでしょう」


女神は少しだけ目を伏せた。


「そう見える?」


「見えます」


即答だった。


女神は小さく笑う。


だが。


その笑顔の奥に。


ほんの僅かな寂しさが混じった気がした。


「困ったわね」


そう呟いた彼女は。


どこか遠くを見るような目をしていた。


女神は立ち止まった。


白銀の髪が静かに揺れる。


そして振り返る。


赤い瞳がマガルフィンを見つめた。


どこまでも優しく。


どこまでも悲しそうに。


「マガルフィン…私、実は心に決めたことがあるの」


切ない笑顔だった。


マガルフィンは目を細める。


何かを察したように。


何かを恐れるように。


「…お聞きしても?」


女神は少しだけ視線を落とした。


そして静かに答える。


「私..このままいくとこの世界が、人間が…嫌いになってしまいそう」


神殿の空気が止まったようだった。


マガルフィンは目を見開く。


信じられないものを見るように。


「どうしたんですか…あなたらしくもない」


声が震えていた。


「あなたは世界を、人間を…あんなにも愛していたのに」


女神は小さく笑った。


悲しい笑みだった。


「だから…だからよ」


そう呟いて。


ゆっくりと天井を見上げる。


遥か高く。


光に包まれた神殿の天井を。


「愛していたの」


「誰よりも」


「何よりも」


「だから見てしまうの」


赤い瞳が揺れる。


「苦しみも」


「悲しみも」


「裏切りも」


「憎しみも」


「醜さも」


「全部」


静かな声だった。


怒りはない。


恨みもない。


ただ疲れていた。


長い長い年月を歩き続けた者の声だった。


「私は人間を愛しているわ」


「今も」


「きっとこれからも」


女神は微笑む。


けれどその笑顔は酷く儚かった。


「だから傷付くの」


「だから苦しいの」


「だから――」


そこで言葉が止まる。


女神は自分の胸元へ手を当てた。


白い指先が僅かに震えていた。


「最近ね」


「少しだけ思ってしまうの」


風もない神殿で。


銀の髪が揺れた気がした。


「いっそ全部終わってしまえば楽なのにって」


マガルフィンの息が止まる。


その言葉だけは。


聞いてはいけない言葉だった。


女神は寂しそうに微笑んだ。


「私が消えるか…世界が消えるか…どちらかしか、ないのかも」


神殿に静寂が落ちる。


マガルフィンは即座に首を振った。


「話し合いましょう。そして考えましょう」


女神は何も答えない。


ただ悲しそうに見つめている。


挿絵(By みてみん)


「もう一度」


「何度でも」


「方法を探しましょう」


その声には焦りが滲んでいた。


必死だった。


女神は静かに目を伏せる。


「もう何百年もやったじゃない」


その言葉に。


マガルフィンは詰まる。


だが。


それでも言った。


「ならばあと1000年、100年でも」


「私は付き合います」


「他の者達もきっと――」


女神が首を振る。


ゆっくりと。


弱々しく。


その仕草だけで。


胸が締め付けられる。


「もう…無理なの。これ以上は」


初めてだった。


ベルは思う。


この女神が。


こんな顔をするのを。


赤い瞳から光が失われている。


疲れている。


傷付いている。


壊れかけている。


そんな風に見えた。


マガルフィンは拳を握る。


何か言わなければ。


何か。


何か。


しかし言葉が出てこない。


何百年。


その言葉の重みを知っているからだ。


何百年も悩み。


何百年も考え。


何百年も苦しみ。


それでも答えが出なかった。


だから女神は今ここにいる。


そんな気がした。


女神は再び自分の手を見る。


白い指先。


その指を静かに握った。


「ねぇ、マガルフィン」


優しい声だった。


昔と変わらない。


どこまでも優しい声。


「私ね」


少しだけ笑う。


泣きそうな笑顔だった。


「本当は今でもみんなが好きなの」


神殿の光が銀髪を照らす。


「人間も」


「世界も」


「あなた達も」


「だから困っているの」


その言葉が。


酷く苦しかった。


憎いから壊したいのではない。


嫌いだから滅ぼしたいのではない。


好きだから苦しいのだ。


好きだから耐えられないのだ。


女神は静かに目を閉じた。


長い睫毛が震える。


そして。


消え入りそうな声で呟いた。


「どうして愛しているのに、こんな気持ちになってしまうのかしら」

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