エピローグー
終戦から十日。
ルグレシアとの戦争調停も終わり、各国の使節団は帰国していた。
魔導王国サナトリア王城。
地下総司令室。
戦争中は昼夜を問わず怒号と報告が飛び交っていたその部屋も、今は静まり返っている。
巨大な作戦卓。
散乱した報告書。
無数の駒。
敗戦の記録だけが残されていた。
その中央で。
ハーブは椅子に腰掛けていた。
片肘を肘掛けに乗せ、作戦卓を見下ろしている。
まるで興味がないように。
その時。
廊下の奥から足音が響いた。
荒々しく。
重く。
一直線にこちらへ向かってくる。
そして。
バンッ!!
扉が勢いよく開かれた。
怒りに顔を歪めたサナトリア国王が姿を現す。
背後には親衛隊。
王国最精鋭の騎士達。
十数名が一斉に室内へ雪崩れ込んだ。
国王はハーブを指差した。
そして怒鳴る。
「ハーヴェストォッ!!!」
怒声が石壁を震わせた。
親衛隊が展開する。
剣が抜かれる。
鋭い切っ先が四方からハーブへ向けられた。
完全包囲。
それでもハーブは立ち上がらない。
ただ視線だけを向けた。
国王は作戦卓を拳で叩く。
「この度の責任!どうとってくれる!?貴様が言ったゆだぞ!自分に任せておけば大丈夫と!」
ハーブは柔らかく微笑み、静かに答えた。
「あらあら」
「申し上げましたが、それが何か?」
国王の顔がさらに赤くなる。
「ふざけるな!その結果はどうだ!!」
「軍は壊滅!!」
「国家財政は破綻寸前!!」
「諸侯は責任論を叫び!!」
「国民は不満を募らせている!!」
怒号が響く。
ハーブは黙って聞いていた。
国王は一歩前へ出る。
「答えろ」
低い声だった。
「貴様は何を企んでいた」
沈黙。
「東大陸から紹介された人材」
「その肩書きは知っている」
「だが貴様は異常だ」
「戦争の最中も」
「敗戦が決まった後も」
「何一つ動じておらん」
親衛隊達も無言だった。
国王の目には怒りだけではない。
警戒。
疑念。
そして恐怖。
それらが混ざっていた。
「貴様の目的は何だ」
静寂が落ちる。
誰も動かない。
誰も声を発しない。
やがて。
ハーブがゆっくりと立ち上がった。
椅子が小さく軋む。
それだけで親衛隊達の肩が強張った。
ハーブは国王を見る。
そして。
静かに一礼した。
「申し遅れました」
顔を上げる。
薄く微笑みながら。
「私はハーヴェスト・アンセン」
静かな声が司令室に響く。
国王も。
親衛隊達も。
誰一人として口を開かない。
「東大陸ギルドKeilflamme幹部第二席にして――」
そこで。
ハーブの銀髪がふわりと揺れた。
風はない。
それでも長い髪は意思を持つように波打つ。
親衛隊の一人が眉をひそめる。
異変に気付いたのだ。
続いて。
ミントグリーンのワンピースが微かに揺らめいた。
布地が揺れたのではない。
存在そのものが揺らいだ。
まるで蜃気楼を見るように。
輪郭が僅かに歪む。
国王の顔色が変わる。
「何だ……」
誰かが呟く。
だが返事はない。
ハーブは微笑んだまま。
静かに立っている。
髪が揺れる。
服が揺れる。
編み込まれた銀髪がほどけるように形を変え始める。
白いレース手袋の模様も。
ワンピースの装飾も。
少しずつ。
少しずつ。
別の何かへと変わっていく。
親衛隊達は剣を握り直した。
本能が警鐘を鳴らしていた。
目の前の存在は人間ではない。
そう感じてしまうほどに。
異様だった。
それでもハーブは穏やかに微笑む。
まるで友人へ挨拶するかのように。
そして続きを口にした。
「――デッドエンド」
揺らぎが止まる。
そこに立っていたのは、先程までの穏やかな貴族令嬢ではなかった。
腰まで伸びていた銀髪は高い位置で結ばれたツインテールへ変わっている。
鋭い目つき。
口元には歪んだ笑み。
覗く舌先。
そして服装も完全に変わっていた。
上品なワンピースは跡形もない。
代わりに纏っているのは、赤、紫、黄、緑。
様々な色彩を無秩序に塗り潰したような、カラフルで毒々しい衣装だった。
常人なら目を背けたくなるほど派手。
だが不思議と目が離せない。
狂気そのものを着飾ったような姿だった。
女は両頬に人差し指を当てる。
内股になり。
満面の笑みを浮かべた。
「デッドエンドことー♪デッドちゃんでーす♪キャハハッ」
国王の顔が引き攣る。
「な、なんだ貴様は!?」
デッドちゃんは首を傾げた。
ツインテールが揺れる。
「んー?」
「何って?」
「キャハハッ」
楽しそうに笑う。
「あちきー今ちゃんーとー名乗ったじゃん?」
国王の顔が怒りで歪む。
「ええい!やれ!始末しろ!」
「あわわっ!」
次の瞬間、親衛隊が一斉に飛び込んだ。
剣が閃く。
首へ。
胸へ。
腹へ。
肩へ。
何本もの刃がデッドエンドへ突き立てられた。
親衛隊達は確かな手応えを感じた。
肉を貫いた。
そのはずだった。
だが。
「なっ!?」
「何だこれは!?」
驚愕の声が上がる。
国王も目を見開いた。
剣は刺さっている。
確かに刺さっている。
首にも。
顔にも。
身体にも。
深々と。
それなのに血が一滴も流れない。
傷口も開かない。
刺さった場所だけがゆらりと揺れた。
まるで粘液だった。
ぬらり。
ぬるり。
顔も。
首も。
身体も。
液体のように剣先を包み込み。
ゆっくりと波打っている。
デッドエンドは首に剣が刺さったまま目をぱちくりさせた。
そして困ったように頬を膨らませる。
「ひっどーい♪デッドちゃんにこんなことするなんてー、いきなりすぎだし」
「キャハハッ」
楽しそうな笑い声が響く。
親衛隊の一人が慌てて剣を引き抜こうとした。
だが。
動かない。
「ぐっ……!」
剣が抜けない。
まるで底なし沼に沈んだように。
デッドエンドの身体が剣先を呑み込んでいた。
ぬらり。
ぬらり。
顔に刺さった刃が揺れる。
首に刺さった刃が揺れる。
胸に刺さった刃が揺れる。
まるで生き物のように。
デッドエンドは不思議そうに自分の頬に刺さった剣を眺めた。
「んー?」
そして。
にぃっと笑う。
デッドエンドはにぃっと笑う。
「完璧にかわいいデッドちゃんにー♪攻撃はきかないのでーす♪キャハッ」
そうしてデッドエンドが両手を広げると、指先から粘液が溢れ出した。
とろりと床へ落ちたそれは、生き物のように床の上を広がっていく。
「なっ…なんだそれは!?早くやれ!殺せ!」
国王が叫ぶ。
デッドエンドは顔を歪めて笑った。
「デッドちゃんーもう飽きたからーそろそろ帰りたいんだー♪」
粘液が親衛隊達の足元へ到達する。
次の瞬間だった。
「ぐっ…」
「ぁぐっ…」
「あああああっ…」
親衛隊達の身体が震えた。手から剣が落ちる。
喉を押さえる者。
顔を掻きむしる者。
腹を抱える者。
次々と床へ崩れ落ちていく。
そしてやがて動かなくなった。
「こ…これは…まさか…」
国王の顔が青ざめる。
デッドエンドは唇へ人差し指と中指を当てた。
「はーい♪猛毒でーす♪ふれるだけで天国にいけるよーん♪」
「デッドちゃんに天国にいかせてもらえるなんてーおじさん達ラッキー♪」
床一面を覆う粘液が、ぬらりと揺れた。
そして粘液が国王の足元まで届く。
「おのれ…くそ…」
その言葉を最後に。
国王の身体が大きく震えた。
顔色が紫色へ変わる。
さらに。
どす黒く。
毒が全身を駆け巡るように。
白目を剥く。
口から泡が溢れる。
そして床へ倒れ込んだ。
二度。
三度。
痙攣した後。
完全に動かなくなる。
司令室には死だけが残った。
デッドエンドはその様子を見つめ。
にんまりと笑う。
そしてその場でくるりと身体を回転させた。
右手を腹へ。
左手を後ろ腰へ。
まるで舞台の上の役者のように優雅な一礼。
「それではこれにてー失礼しまーす♪」
顔を上げる。
その瞬間だった。
毒々しい衣装が揺らぐ。
ツインテールがほどける。
鋭い瞳が柔らかくなる。
狂気が溶けるように消えていく。
そして。
そこに立っていたのは。
穏やかな微笑みを浮かべる銀髪の女。
ハーヴェスト・アンセンだった。
ハーブは倒れた男達を見た。
司令室を埋め尽くす死体。
親衛隊達。
そして国王。
その光景を眺めながら。
柔らかな笑みを浮かべる。
「あらあら」
ハーブはくすりと笑った。
そして踵を返す。
銀髪が揺れる。
白いブーツが床を叩く。
一歩。
また一歩。
静まり返った司令室を横切り。
扉へ向かう。
誰も止めない。
止められない。
ハーブは何事もなかったかのように扉を開いた。
そしてそのまま。
ゆっくりと司令室を後にした。
そうしてー
サナトリア城の長い回廊を、ハーブはゆったりとした足取りで歩いていた。
まるで散歩でも楽しむような気軽さだった。
腰まで届く銀髪は緩やかなウェーブを描き、両側は丁寧に編み込まれている。
ミントグリーンの上品なワンピースが歩みに合わせて静かに揺れる。
白いレース手袋に包まれた指先は優雅で、白いショートブーツの足音だけが静かな回廊に小さく響いていた。
その背後を、いつの間にか白い仮面の戦闘員が歩いている。
足音もなく。
気配もなく。
ただ当然のように後ろへ付き従っていた。
ハーブは前を向いたまま、にこやかに口を開く。
「首尾はいかがかしら?」
白仮面は答えない。
ハーブはくすりと笑った。
「そう、運び出せたのね。えらいわ」
白仮面は答えない。
「帰ったらさっそく起動実験をしましょう。忙しくなるわね」
楽しげな声音だった。
だが返事はない。
ふと気付けば、背後にいたはずの白仮面は消えていた。
回廊のどこにも姿はない。
ハーブは気にした様子もなく、そのまま歩き続ける。
やがて城門へ辿り着くと、そこで足を止めた。
そしてゆっくりと振り返る。
巨大なサナトリア城を見上げ、柔らかな笑みを浮かべる。
「聖女システム、大切に使わせていただきます」
そう言うと再び前を向き、ハーブは門の外へ向けて歩き出した。




