そして、戦いの終焉はー
司令室へ戻ったアルティシア達は、急ぎ後方の傭兵軍への対応を協議していた。
地図が広げられる。
各部隊の配置。
補給線。
避難民の移動経路。
残された戦力。
誰もが慌ただしく動いていた。
その時だった。
司令室の扉が勢いよく開かれる。
「報告!」
飛び込んできた伝令は息を切らしていた。
将校の1人が振り返る。
「どうした!」
伝令は信じられないものを見るような顔で叫んだ。
「後方の傭兵団が……!」
司令室の全員が息を呑む。
「壊滅しました!」
沈黙。
誰も理解できなかった。
アルティシアが瞬きを繰り返す。
「……え?」
伝令は震える声で続けた。
「後方より侵攻していた十万の傭兵軍は壊滅!」
「現在、生存者が各地へ敗走中とのことです!」
ディーノスが思わず立ち上がる。
「壊滅だと!?」
「はっ!」
「誰がやった!」
伝令は即答した。
「カダブランカ王国軍です!」
その名に司令室が静まり返る。
ラインが目を丸くする。
「カダブランカ...西大陸の」
リックスも驚きを隠せない。
「西大陸の?」
伝令は力強く頷いた。
「六万のカダブランカ軍が伏兵として展開!」
「傭兵軍を包囲し撃破したとのことです!」
アルティシアの目が見開かれる。
脳裏に浮かぶ。
白髪の小さな王女。
いつも元気に走り回っていた少女。
「アダラさん……」
小さく呟く。
ディーノスが額を押さえた。
「海上艦隊は撃退」
「後方の傭兵軍も壊滅」
誰も言葉が出ない。
つい先程まで。
ルグレシアは三方向から包囲されていた。
だが。
気付けば。
海は消えた。
後方も消えた。
残るは正面。
ベルが向かった七十五万の本隊だけだった。
アルティシアは胸の前で手を握る。
「皆さん……」
盟友達の顔が浮かぶ。
プラテナス。
カダブランカ。
そして。
たった一人で本隊へ向かったベル。
戦局は。
確実に変わり始めていた。
その時だった。
再び司令室の扉が勢いよく開かれる。
「報告!」
飛び込んできた伝令は顔面蒼白だった。
ディーノスが振り返る。
「申せ」
「サナトリア本隊!」
その言葉に全員の視線が集まる。
「半数が倒され……!」
伝令は息を呑んだ。
そして叫ぶ。
「撤退していきます!」
静寂。
誰も言葉を発しなかった。
アルティシアが呆然と呟く。
「……撤退?」
「はっ!」
伝令が何度も頷く。
「敵本隊は壊走!」
「現在、各方面へ撤退を開始しております!」
ディーノスが眉をひそめる。
「半数とはどの程度だ」
「三十万を超える損害との報告です!」
司令室の空気が凍り付く。
三十万。
あまりにも現実離れした数字だった。
アイザックが低く呟く。
「三十万……」
伝令は続ける。
「敵軍指揮系統は崩壊!」
「撤退命令が全軍へ発令されたとのことです!」
アルティシアは思わず立ち上がった。
「ベル様は!?」
「健在との報告です!」
その瞬間。
アルティシアの肩から力が抜ける。
ディーノスはゆっくりと椅子へ腰を下ろした。
海上の大艦隊。
後方の傭兵軍。
そして七十五万の本隊。
ほんの数時間前までルグレシアを包囲していた脅威が、次々と消えていく。
誰もが現実味を失っていた。
バロムが腕を組む。
「敵軍のすべてが悉く撤退とは」
重い声だった。
「まるで神話だな」
誰も反論しない。
ディーノスも静かに目を閉じる。
海ではプラテナス。
陸ではカダブランカ。
そして正面ではベル。
ルグレシアを滅ぼすはずだった大侵攻軍は、気付けば三方向全てで敗北していた。
アルティシアは窓の外へ目を向ける。
夜空の向こう。
遥か彼方の戦場を思い浮かべながら、小さく呟いた。
「皆さん……ありがとうございます」
到底、太刀打ちできるはずのない戦力差で始まった今回の戦争は、少なくとも現時点において、ルグレシア王国の勝利と言っても差し支えない結果となった。
七十五万の本隊は壊走。
海上から侵攻した大艦隊は撃退。
後方から迫った十万の傭兵軍も壊滅。
三方向から包囲されていた王国は、わずか半日にも満たない間にその全てを退けてみせた。
誰も予想していなかった結末だった。
だが。
戦争はまだ終わっていない。
撤退した敵軍は依然として存在する。
各地に残る占領地。
補給線。
捕虜。
そしてサナトリアそのものも健在だ。
ここで油断すれば、再び戦火は広がる。
ディーノスは司令室の地図を見つめながら静かに言った。
「勝ったと思うな」
誰もが顔を上げる。
「勝利とは敵を退けた時ではない」
王の視線が一人一人へ向けられる。
「民が安心して眠れる日々を取り戻した時に初めて得られるものだ」
その言葉に全員が頷いた。
アルティシアも小さく息を吐く。
窓の外では夜明けが近づいていた。
長い夜だった。
だが、本当の意味での終わりはまだ先にある。
ルグレシア王国は生き残った。
だからこそ。
ここから先を誤ることは許されないのだった。
国王ディーノスが立ち上がる。
司令室の空気が引き締まった。
王の視線が娘へ向けられる。
「アルティシアよ!」
その声に、アルティシアは静かに顔を上げる。
そして頷いた。
「はい」
迷いはなかった。
既に答えは決まっている。
「サナトリアへ使者の用意を」
司令室の全員が耳を傾ける。
アルティシアは続けた。
「停戦協定を申し入れます」
沈黙。
だが異論を唱える者はいない。
国王も静かに頷く。
「うむ」
七十五万の本隊は撤退した。
海上艦隊も失われた。
別働隊も壊滅した。
戦局は完全に変わった。
今ならば交渉の席に着かせることができる。
ディーノスは側近へ命じた。
「使者の選定を急げ」
「はっ」
「停戦案の草案を作成せよ」
「承知いたしました」
文書官達が慌ただしく動き始める。
アルティシアは地図を見つめた。
まだ戦争は終わっていない。
だが。
終わらせる機会は訪れた。
ならば掴まねばならない。
剣で勝ったのなら。
次は言葉で終わらせる。
それが王族の務めだった。
停戦使者が出発した後も、ルグレシア王国に休息は訪れなかった。
各地では救助活動が続いていた。
ルグレシア軍。
騎士団。
冒険者達。
医師達。
動ける者は全て動員された。
さらに中央教会も支援を表明。
各地の教会から神官や治療師達が派遣される。
大陸警察もまた人員を送り込み、治安維持と負傷者の搬送に協力していた。
戦争中は敵味方に分かれていた者達が、今は同じ目的のために動いている。
救助対象は味方だけではない。
国内に取り残されたサナトリア連合軍兵士達も同様だった。
倒れている者を運び。
負傷者へ治療を施し。
食料と水を配る。
戦場だった場所は、いつしか巨大な野戦病院へ変わっていた。
誰もが驚いていた。
あれほどの戦いだったにもかかわらず。
敵軍の死者は異様に少なかった。
もちろん負傷者は膨大だった。
骨折。
打撲。
内臓損傷。
動けなくなった兵士だけでも数え切れない。
だが。
三十万を超える損害という報告に比べれば、死者数はあまりにも少なかった。
そのため救助は難航した。
負傷者が多すぎる。
一人ずつ回収しなければならない。
全ての救助が完了するまでには優に一週間を要した。
そしてその頃には。
停戦使者は既にサナトリアへ到着しているはずだった。
王城。
執務室。
アルティシアは窓際に立っていた。
机の上には未処理の書類が積まれている。
だが視線は何度も窓の外へ向く。
返答はまだか。
使者はどうなった。
サナトリアは停戦を受け入れるのか。
考えても答えは出ない。
それでも考えてしまう。
「……」
無意識に窓の外を見る。
遠く。
王都は復興へ向けて動き始めていた。
兵士達が行き交う。
物資が運ばれる。
中央教会の神官達が負傷者を診る姿も見える。
大陸警察の隊員達が各地で秩序維持に奔走している。
人々の表情にも少しずつ余裕が戻ってきていた。
だが。
まだ終わっていない。
停戦協定が結ばれるまでは。
本当の意味での平和は訪れない。
アルティシアは胸の前で手を握った。
そして今日もまた。
使者の帰還を待ち続けていた。




