そして終わりの夜が来るー
塔の下。
王城の影。
五つの黒マントが囲む魔導装置。
その中央で。
幾重にも重なっていた術式が突然組み替わった。
水晶が別の色で発光する。
操作していた長身の黒マントが目を見開いた。
「警部!」
勢いよく振り返る。
「大陸警察から緊急指令です!」
赤いハイヒールが一歩前へ出た。
「よし!」
即答だった。
「繋げ!」
黒マントの指が走る。
術式が開く。
通信装置から機械的な音声が流れ始めた。
「大陸警察、全ての支部へ」
その場の全員が耳を傾ける。
「魔導王国サナトリアの調査、及びルグレシア王国へ出向き、今騒動の解決に協力せよ」
一瞬。
沈黙。
そして。
赤いハイヒールが小さく拳を握った。
「来たな」
その時だった。
装置の別の水晶が強く明滅する。
長身の黒マントが再び叫んだ。
「中央教会からも発信されてます!」
今度は赤い装甲が一歩前へ出る。
黒マントの隙間から見える赤い鎧。
胸を張り。
堂々と。
「お聞かせくださいまし」
通信装置が応答する。
「中央教会総本山より、全ての使徒達へ」
静かな声。
だが力強い。
「サナトリア、およびルグレシアの戦争を止めよ」
術式が震える。
通信は続く。
「世界を正しき姿に――」
そこで。
赤い装甲が胸を張った。
ふふん。
とでも言いそうなほど誇らしげに。
ローブの下で腰へ手を当てる。
細身の黒マントが嫌な予感を覚えた。
巨大な黒マントも僅かに身構える。
長身の黒マントは装置から顔を上げた。
そして、
五つの黒マントが同時に翻った。
夜風に舞うローブ。
そして。
隠されていた姿が現れる。
腕を組み。
赤いハイヒールで石畳を踏みしめる女。
金髪を後ろで束ね。
切れ長の瞳で塔を見上げる。
マリーナだった。
その隣では。
赤髪の青年が立ち上がる。
マークス。
マリーナは腕を組んだまま告げた。
「マークス!」
鋭い声。
「これより我々、大陸警察地方特別捜査官としての任務を遂行する!」
マークスが背筋を伸ばす。
勢いよく敬礼。
「はい!警部!」
一方。
真紅の装甲を纏う少女も前へ出た。
腰へ手を当てる。
胸を張る。
堂々と。
「リックス!バロム!」
赤髪のツインテールが揺れる。
「中央教会特務執行官執行部隊!」
夜空を指差す。
「使命を果たしますわ!」
リックスがサーベルへ手を添えた。
「はっ!」
バロムも静かに頷く。
マリーナが塔の上を見る。
飛竜。
竜騎士。
そして。
宙吊りにされた王女。
「行くぞ!」
鋭く命じる。
「マークス警部補!」
拳を握る。
「まずは塔の上の殿下を救出する!」
アンジュも負けじと声を上げた。
「わたくしたちも負けてられませんわ!」
真紅のマントを翻す。
「いきますわよ!」
五人が駆け出す。
王城の塔へ向かって。
一直線に。
ふたたび塔の上。
竜騎士が手綱を軽く引いた。
飛竜が従うように首を捻る。
その瞬間。
右腕を咥えられたままのアルティシアの身体が大きく振り回された。
「あぁっ……!!」
細い身体が宙で揺れる。
そして。
ゴキリッ。
鈍い音が響いた。
肩だった。
右肩から激痛が全身へ突き抜ける。
アルティシアの顔が苦痛に歪む。
声にならない。
息も吸えない。
視界が白く染まる。
ただ耐えるように唇を噛み締めた。
飛竜の顎に咥えられた右腕は既に紫色へ変色している。
そこへさらに加わる激痛。
額から汗が流れ落ちた。
その様子を見た竜騎士が鼻で笑う。
「肩が外れたか、王女は脆いものだな」
見下した声だった。
まるで壊れた玩具でも眺めるように。
アルティシアは荒い呼吸を繰り返す。
痛い。
苦しい。
今にも意識が途切れそうだった。
それでも。
その瞳だけは消えない。
震える唇を引き結び。
飛竜の背に立つ竜騎士を睨み続けていた。
そして再び手綱を引く。
飛竜が首を動かした。
右腕を咥えられたままのアルティシアの身体が宙を揺れる。
そして。
飛竜はそのまま首を持ち上げた。
アルティシアの身体が竜騎士の目の前まで運ばれる。
まるで獲物を見せつけるように。
竜騎士は嗤った。
勝者の笑みだった。
抵抗できぬ王女を見下ろして。
「どうした?」
返事はない。
アルティシアは荒い呼吸を繰り返していた。
右肩の激痛。
右腕の痺れ。
失われていく感覚。
それでも。
その瞳だけは竜騎士を見据えている。
竜騎士の笑みが深くなる。
「その目だけは気に入らんな」
吐き捨てるように言う。
「敗者らしく絶望していれば可愛げもあろうものを」
風が吹いた。
飛竜の鱗が月光と飛空艇の光を反射する。
アルティシアは何も言わない。
言葉を発するだけの余裕がなかった。
だが。
その瞳だけは。
決して逸らさなかった。
竜騎士は嗤う。
飛竜の背に立ったまま。
宙吊りにされた王女を見下ろして。
「どれ、そんな下着一枚でそこまで啖呵を切れるなら」
ゆっくりと手を伸ばす。
「裸にしても同じことが言えるか、試してやろう」
アルティシアは動けない。
右腕は飛竜に咥えられ。
外れた肩は激痛を訴え続けている。
逃げ場などなかった。
竜騎士の手が近付く。
アルティシアは唇を噛み締めた。
震える身体を抑え込むように。
そして。
静かに瞳を閉じる。
恐怖ではない。
屈服でもない。
ただ。
最後まで竜騎士の顔を見たくなかった。
それだけだった。
風が吹く。
飛竜の翼が軋む。
竜騎士の指先が伸びる。
あと僅か。
その瞬間――。
塔の最上階。
竜騎士の手が伸びる。
あと僅か。
その瞬間だった。
「殿下ーーーーっ!!」
怒声にも似た叫びが響く。
塔へ続く階段。
その出口を突き破るように飛び出した影が一つ。
アイザックだった。
白髪を振り乱し。
老体とは思えぬ勢いで。
ただ一人。
塔の上へ辿り着いた。
そして。
アイザックが叫ぶのと。
竜騎士が吹き飛んだのは。
ほぼ同時だった。
「――――は?」
竜騎士の間の抜けた声。
次の瞬間。
見えない何かに殴り飛ばされたかのように。
その身体が飛竜の背から弾き飛ばされる。
轟音。
鎧が軋む。
竜騎士は回転しながら宙を舞った。
何が起きたのか。
誰にも分からない。
飛竜ですら理解できていなかった。
ただ。
一瞬前までそこにいた竜騎士だけが。
消えていた。
そして。
飛竜の腹部へ。
見えない何かが叩き込まれた。
凄まじい衝撃。
空気が爆ぜる。
飛竜の巨体がくの字に折れ曲がった。
「ギャアアアアアアッ!!」
悲鳴。
いや。
断末魔にも似た絶叫だった。
飛竜の顎が開く。
咥えられていたアルティシアの右腕が解放された。
「あ……」
支えを失った身体が宙へ放り出される。
飛竜は白目を剥いていた。
完全に意識を失っている。
巨体が錐揉みしながら落下していく。
翼は動かない。
尾も動かない。
ただ重力に従って落ちるだけ。
やがて。
遥か下方から。
ドォォォンッ――!!
重たいものが地面へ激突する音が響いた。
その頃には。
アルティシアもまた落下していた。
夜空。
飛空艇の光。
吹き抜ける風。
全てが流れていく。
外れた肩。
痺れた右腕。
もう抵抗する力は残っていない。
ただ落ちる。
そのはずだった。
だが。
落ちなかった。
ふわりと。
身体が止まる。
温かい。
硬く。
それでいて不思議なほど安心できる感触。
誰かの腕だった。
アルティシアの身体は。
その腕の中に収まっていた。
その光景に。
アイザックが立ち止まった。
塔の上へ飛び出したまま。
ただその場で。
震えるように目を見開く。
そして。
ゆっくりと膝を折った。
「おぉ……」
声が震える。
長い人生で。
幾度となく死地を潜り抜けてきた男が。
今だけは。
ただ一人の老人のように。
涙を浮かべた。
「神よ」
両手を握る。
「感謝します」
その頃。
何が起きたのか理解できないまま。
アルティシアはゆっくりと瞼を開いた。
抱き上げられている。
温かな腕の中で。
落ちていない。
痛みだけが現実だと教えてくる。
ゆっくりと。
恐る恐る。
視線を上げる。
そして。
その姿を見た。
アルティシアの瞳が大きく揺れる。
「あ……」
掠れた声。
信じられないものを見るように。
震える唇。
「あぁ……」
頬を涙が伝う。
「そんな……」
どうして。
ここにいるのか。
どうして来てしまったのか。
どうして。
自分なんかのために。
「どうして……?」
涙が溢れる。
喜びだった。
申し訳なさだった。
安堵だった。
後悔だった。
その全てが混ざり合っていた。
止まらない涙の向こうで。
アルティシアはただ。
その顔を見上げていた。




