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【World Wide Love ― 2人で1人の逃走譚 ―】  作者: KK
【第2部】第4章ールグレシア王国の危機ー

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塔の上のアルティシアー

アルティシアの声は王城中へ響き渡った。


否。


王城だけではない。


城壁へ。


兵舎へ。


王都へ。


そして国境線に展開するルグレシア軍へ。


誰もが聞いた。


誰もが。


聞いてしまった。


ディーノスは動かなかった。


いや。


動けなかった。


娘の声を聞いた瞬間。


全てを理解してしまったからだ。


馬車に乗ったのが本人ではなかったことも。


なぜ妙に素直に出立したのかも。


なぜ最後まで俯いていたのかも。


全部。


全部だ。


黒獅子の膝が折れる。


誰も見たことがない姿だった。


戦場で一度も膝をつかなかった王。


五万を相手に戦った男。


絶望的な戦場を幾度も覆してきた英雄。


その男が。


その場に崩れ落ちた。


両膝を地につく。


そして。


地面へ両手を叩きつけた。


鈍い音が響く。


「あの……」


声が震える。


怒りでもない。


悲しみでもない。


その全てだった。


「あの馬鹿ものが……」


掠れた声。


ディーノスは俯いたまま拳を握る。


肩が震えている。


周囲の誰も声を掛けられない。


ノーギスも。


アイゼンも。


ラインも。


ただ立ち尽くしていた。


そして。


一人の兵士が槍を落とした。


ガラン。


乾いた音。


それを皮切りに。


剣が落ちる。


槍が落ちる。


盾が落ちる。


誰も責めない。


責められない。


王女は逃げたのではない。


生き延びたのでもない。


自ら死地へ向かったのだ。


自分達を守るために。


兵士達の目から涙が零れる。


騎士達も唇を噛む。


誰も顔を上げられない。


その中で。


ラインだけは王城の塔を見上げていた。


光に照らされた高い塔。


その頂上。


小さな人影。


ラインは静かに目を閉じる。


そして。


いつものように微笑んだ。


けれど。


その笑顔は少しだけ寂しかった。


「殿下」


誰にも聞こえない声。


風に消えるほど小さな声。


「本当に」


目を開く。


塔を見つめる。


「困ったお方だ」


そう呟いた。


ラインはゆっくりと歩いた。


そして。


地面へ崩れ落ちたディーノスの隣へ膝をつく。


王も。


将軍達も。


兵士達も。


皆が沈んでいた。


そんな中。


ラインだけはいつも通りだった。


穏やかで。


柔らかく。


不思議なほど落ち着いていた。


「王よ」


ディーノスは顔を上げない。


ラインは微笑む。


「実は私は、この戦が始まると知った時から、あまり悲観的ではないのです」


その言葉に。


周囲がざわついた。


「ライン……貴様、気でも狂ったか!?」


「騎士の中の騎士といえど……この状況では無理もない」


「言うてもまだ若輩者……責める事はできん」


兵士達の顔は暗い。


誰もが絶望を見ている。


それも当然だった。


空には飛空艇。


飛竜。


空挺魔導師団。


後方には七十五万の大軍。


さらに今。


王女までもが自らを差し出そうとしている。


希望などどこにもない。


だが。


ラインは苦笑した。


「そういうことではないのですが……」


頭を掻く。


困ったように。


そして。


ゆっくりと顔を上げた。


視線の先。


王城最上階の塔。


光に照らされたアルティシアの姿。


ラインはそれを見つめる。


そして。


微笑んだ。


本当に嬉しそうに。


「ね」


誰へともなく。


「そうだろう?」


風が吹く。


マントが揺れる。


ディーノスが僅かに顔を上げた。


ノーギスも。


アイゼンも。


ラインを見る。


だが。


ラインは塔を見たままだった。


その瞳は。


アルティシアを見ているようで。


もっと別の誰かを見ているようでもあった。


そして。


小さく呟く。


「そろそろだと思うのですよ」


誰にも意味が分からない。


だが。


ラインだけは知っていた。


あの少女が。


誰よりも優しくて。


誰よりも無茶をして。


誰よりも一人で抱え込むことを。


そして。


そんな少女を放っておけない者が。


この世界にいることも。


ラインは笑う。


いつものように。


穏やかに。


確信を持って。


「殿下は本当に困ったお方です」


「でも、だからこそ、放っておいてはもらけない」


そう言って。


再び塔の上を見上げた。



サナトリア軍前線。


空を埋め尽くす飛空艇の上。


飛竜の背。


降下準備を進める空挺魔導師団。


誰もが動きを止めていた。


王城の塔から響く少女の声。


それが戦場全体へ届いていたからだ。


「私が、ルグレシア王国第二王女アルティシア・ヴァン・ルグレシアですわ!」


ざわめきが広がる。


将校達が顔を見合わせる。


魔導師達も。


兵士達も。


皆同じことを考えていた。


「王女?」


「馬鹿な」


「あり得ん」


飛空艇の甲板から見える塔。


そこには確かに少女が立っている。


金髪。


華奢な身体。


そして。


ほとんど何も身に着けていない姿。


敵意もない。


護衛もいない。


武器もない。


ただ。


自らを差し出すように立っている。


兵士の一人が呟く。


「王女のはずがない」


誰も否定しなかった。


当然だった。


この状況で。


王女が。


自ら出てくるなど。


あり得ない。


別の将校も眉をひそめる。


「逃げているはずだ」


「当然だ」


「我々だってそうする」


「ならあれは誰だ」


沈黙。


そして。


誰かが口にした。


だから将校達が困惑していたのは別の部分だった。


「王女だと……?」


飛空艇の甲板で男が呟く。


「正気か?」


隣の将校も眉をひそめる。


「あり得ん」


即答だった。


「この状況で自分から出てくるなど」


別の男が苦笑する。


「逃げるだろう、普通は」


誰も反論しない。


八十万の大軍。


空を埋め尽くす飛空艇。


勝敗は決している。


だからこそ。


理解できない。


王女が。


国を捨てて逃げるでもなく。


兵に守られるでもなく。


自ら塔の上に立つなど。


将校の一人が吐き捨てる。


「馬鹿だな」


しかし。


その声には妙な迷いがあった。


本当に馬鹿なら。


こんなことはできない。


恐怖で震えるはずだ。


泣き叫ぶはずだ。


だが塔の上の少女は違った。


敵軍を見上げている。


自ら名乗っている。


自らを差し出そうとしている。


その姿が理解できない。


若い士官がぽつりと漏らす。


「まるで聖女みたいなことをする」


周囲が黙る。


だが。


すぐに年配の将校が鼻で笑った。


「阿呆」


「そんな人間がいるものか」


その言葉に何人も頷く。


そうだ。


そんな人間は存在しない。


自分を犠牲にして他人を救う。


国のために命を差し出す。


そんなものは聖堂が作り上げた理想像だ。


物語の中の存在だ。


現実にはいない。


だからこそ。


彼らは理解できなかった。


塔の上の少女を。


王女としても。


人間としても。


理解できなかった。


ただ一つだけ確かなことは。


あの行動は常識の外側にあるということだった。


飛空艇の甲板。


兵士達は塔の上を見上げていた。


王女を名乗る少女。


理解不能な行動。


ざわめきが広がる中。


一人の兵士が駆け込んでくる。


「ルグレシア王女の顔写真が届きました!」


将校達が振り返る。


兵士は慌てて資料を広げた。


肖像画。


そして塔の上の少女。


何人もの将校が見比べる。


沈黙。


やがて。


一人が呟いた。


「おい……」


声が掠れていた。


「どうやら本物だ」


周囲が騒然となる。


「ばかな……」


「なぜだ」


「何故出てきた」


「理由など知るか!」


上級将校が怒鳴る。


「とにかく王女を回収するんだ!」


即座に命令が飛ぶ。


飛竜部隊へ伝令が走る。


やがて。


巨大な飛竜の一匹が編隊を離れた。


翼を広げる。


ゆっくりと。


王城へ向かって降下を始める。


空気が唸る。


巨大な翼が羽ばたくたび。


暴風が生まれる。


塔の最上階。


アルティシアはそれを見上げていた。


飛竜は近い。


想像よりも遥かに巨大だった。


一振りの羽ばたきで塔全体が震える。


猛烈な風圧。


髪が暴れる。


身体が後ろへ押される。


細い足が揺らぐ。


今にも吹き飛ばされそうだった。


それでも。


アルティシアは踏み止まる。


歯を食いしばる。


目を閉じない。


逸らさない。


飛竜の黄金の瞳が。


少女を見下ろす。


まるで獲物を値踏みするように。


だが。


アルティシアもまた見返していた。


恐怖はある。


身体は震えている。


心臓は今にも破裂しそうだった。


それでも。


逃げない。


飛竜がさらに降下する。


翼が風を叩く。


轟音。


暴風。


そして。


その背から一人の騎士が姿を現した。


サナトリアの紋章を纏う竜騎士。


彼もまた。


目の前の少女を見ていた。


驚いた顔で。


困惑した顔で。


まるで理解できないものを見るように。


王女。


敵国の王女。


そのはずなのに。


彼女はまるで。


処刑台へ自ら歩く聖人のようだった。


竜騎士は小さく息を呑む。


そして。


飛竜を塔の縁へ降ろした。


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