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【World Wide Love ― 2人で1人の逃走譚 ―】  作者: KK
【第2部】第4章ールグレシア王国の危機ー

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絶望の本隊到着ー

昼過ぎ。


柔らかな陽光が部屋へ差し込んでいた。


アルティシアはゆっくりと瞼を開く。


見慣れた天井。


見慣れた部屋。


自室だった。


一瞬だけ何が起きたのか分からない。


だが。


次の瞬間。


記憶が一気に蘇る。


バラキア軍。


国境戦。


軍議。


連合軍。


アルティシアは勢いよく身体を起こした。


「っ――!」


視界が揺れる。


それでも構わない。


そんなことを気にしている場合ではなかった。


その時。


窓辺から穏やかな声が聞こえる。


「お目覚めですか。殿下」


アルティシアが振り返る。


アイザックだった。


いつものように背筋を伸ばし。


窓の外を見ている。


アルティシアは慌てて尋ねる。


「アイザック……私は一体……」


「バラキア撤退の報を受けた殿下は安心して倒れられたのです」


静かな声。


「お疲れだったのでしょう」


あまりにも穏やかな口調だった。


その穏やかさに。


アルティシアは不安を覚える。


「本隊の進軍は?」


すぐに問い掛ける。


「今はどうなっています?」


アイザックは答えない。


ただ。


窓の外へ視線を向けた。


アルティシアの胸がざわつく。


「アイザック!」


焦ったように声を上げる。


「こんな時に――」


そこで。


窓の向こうが見えた。


アルティシアの言葉が止まる。


目が見開かれた。


空が黒い。


いや。


違う。


空そのものではない。


空に。


無数の黒い影が浮かんでいる。


アルティシアはベッドから降りようとする。


足がもつれる。


そのまま滑り落ちそうになる身体をアイザックが支えた。


「お気を付けください」


アルティシアは聞いていない。


ふらつきながら窓へ近付く。


そして。


窓の外を見上げた。


王都の空。


そこに。


巨大な影が浮かんでいた。


一つではない。


十でもない。


数え切れない。


巨大な船。


空を飛ぶ船。


その周囲を埋め尽くす飛竜。


さらに。


飛空艇同士を繋ぐように無数の小さな影が見える。


人。


魔導師。


兵士。


王都中の人々が空を見上げていた。


市場も。


広場も。


街路も。


誰もが足を止めている。


アルティシアは窓枠へ手を置いた。


震えていた。


そんなもの。


知らない。


兵法書にも。


戦史にも。


軍略書にも。


そんな軍隊は存在しない。


「……何ですの……あれは……」


かすれた声が漏れる。


アイザックは答える。


静かに。


現実だけを告げるように。


「サナトリア本隊でございます」


アルティシアは言葉を失った。


昨夜。


何百回も兵棋台を動かした。


補給線。


街道。


河川。


峡谷。


城塞。


全てを考えた。


勝つためではない。


少しでも被害を減らすために。


少しでも時間を稼ぐために。


その全てが。


今。


空に浮かんでいる。


アルティシアの瞳から色が消えていく。


そして。


ようやく理解した。


自分が相手にしていたものを。


国境線。


つい先程まで勝利の空気に包まれていた陣営は、今や異様な静寂に支配されていた。


兵士達は皆。


空を見上げている。


誰一人として視線を逸らせない。


空が黒い。


いや。


埋め尽くされている。


巨大な飛空艇。


その周囲を旋回する飛竜。


さらに無数の魔導師達。


雲すら見えない。


空そのものが軍勢へ変わったかのようだった。


国王ディーノスもまた空を見上げていた。


その瞳には驚愕が浮かんでいる。


「これは……」


思わず言葉が漏れる。


「こんなものが……実装されているとは」


誰も返事をしない。


返せない。


目の前の光景は戦争ではなかった。


常識の外側だった。


老将ノーギスが唇を噛む。


「馬鹿な……」


戦場を知る男だった。


数々の戦争を経験した。


それでも。


こんなものは見たことがない。


将軍の一人が呆然と呟く。


「これでは……策も何もあったものではない……」


誰も否定しなかった。


山岳。


河川。


城塞。


街道。


補給線。


アルティシアが徹夜で考えた全て。


戦争の基本。


軍略の基本。


その全てが空を飛んでいる。


飛空艇が山を越える。


飛竜が城壁を越える。


魔導師が補給線の後方へ降下する。


戦場そのものが変わってしまった。


アイゼンが険しい顔で空を見る。


「……どれだけいる」


誰への問いでもない。


だが。


誰にも答えられない。


多すぎる。


飛空艇だけで数百。


飛竜はその何倍。


空挺部隊に至っては数えることすら不可能だった。


その時。


遥か上空。


巨大な飛空艇の一隻から光が放たれる。


兵士達が息を呑む。


光は空中へ広がり。


巨大な魔法陣を形成した。


誰も動けない。


ただ見ている。


見上げることしかできない。


ディーノスは静かに拳を握った。


黒獅子と呼ばれた王ですら。


理解してしまった。


これは。


普通の相手ではない。


これまで相手にしてきたどの国でもない。


サナトリア。


世界最高峰の魔術国家。


その本当の牙だった。


そして。


その牙は今。


ルグレシアへ向けられていた。


アルティシアは司令室の扉を開いた。


「状況を!教えてください!」


息を切らしながら叫ぶ。


だが。


司令室の中は恐ろしいほど静かだった。


誰もが項垂れている。


先程まで軍議を行っていた参謀達も。


将校達も。


皆、机や地図を見つめたまま動かない。


そのうちの一人が力なく顔を上げた。


「……殿下……」


声に力がない。


「もう、終わりです」


アルティシアは作戦卓へ歩み寄る。


足元はふらついていた。


それでも前へ進む。


「まだ……終わってなどおりません!」


作戦卓へ両手をつく。


「状況を!」


誰も答えない。


「誰か状況を教えてください!」


沈黙。


やがて一人の参謀が震える手で報告書を差し出した。


「飛空艇……三百二十七隻」


アルティシアの目が見開かれる。


「飛竜部隊……推定二万」


さらに別の報告書が置かれる。


「空挺魔導師団……推定三万」


司令室に重苦しい空気が広がる。


だが。


それだけでは終わらなかった。


参謀は次の報告書を開く。


「後方より進軍中の本隊」


声が震えている。


「騎兵」


「歩兵」


「魔術師団」


「工兵」


「補給部隊」


「総数……約七十五万」


アルティシアが地図へ視線を落とした。


参謀が続ける。


「殿下の作戦は間違っておりません」


誰も反論しない。


バラキア軍は退けた。


それが証明している。


参謀は苦しそうに言葉を続ける。


「街道を使う軍」


「補給線を必要とする軍」


「城塞を攻める軍」


「その全てに対しては……」


拳を握る。


「完璧でした」


アルティシアは黙って聞いている。


「ですが」


参謀が空を見上げた。


「飛空艇は山を越えます」


「飛竜は城壁を越えます」


「空挺魔導師団は防衛線の後方へ降下します」


誰も声を発しない。


「我々が築いた全ての防衛線は」


参謀が絞り出すように言った。


「敵本隊が到着する前に無力化されます」


アルティシアの指先が震えた。


昨夜。


眠らず考えた。


吐き気を堪えながら考えた。


兵を守るために。


民を守るために。


国を守るために。


だが。


その前提そのものが崩されていた。


地図の上に答えはない。


街道を使わない敵。


城壁を越える敵。


補給線を必要としない敵。


そんな軍隊は。


存在してはならなかった。


その時。


司令室の扉が開いた。


伝令兵が飛び込んでくる。


「報告!」


誰も反応しない。


伝令兵は唾を飲み込みながら叫んだ。


「サナトリアより使者到着!」


アルティシアだけが。


ゆっくりと顔を上げた。


謁見室。


重い空気が広がっていた。


高い天井。


赤い絨毯。


壁際には近衛兵達が並ぶ。


その中央。


アルティシアが玉座の前に立っていた。


顔色は悪い。


だが背筋は真っ直ぐだった。


その後ろにはアイザック。


そしてライン。


さらに宰相や将軍達も控えている。


誰一人として口を開かない。


やがて。


扉が開いた。


サナトリアの使者が入室する。


白い法衣。


整った所作。


周囲の敵意など意にも介さぬ様子だった。


使者は玉座の前まで進む。


そして一礼する。


「サナトリア国王サリオン六世陛下より親書を預かっております」


羊皮紙が差し出される。


近衛兵が受け取り。


アルティシアへ渡した。


アルティシアは黙って目を通す。


そして。


静かに閉じた。


使者が口を開く。


「内容は既に伝達済みかと存じます」


誰も動かない。


使者は淡々と続ける。


「聖女マリカ様の返還」


「あるいは、こちらは初めての提案となりますが」


そこで一瞬だけアルティシアを見る。


「アルティシア王女殿下の身柄引き渡し」


空気が凍る。


ラインの手が剣の柄へ伸びる。


アイザックの目も鋭く細められた。


だが。


アルティシアは動かない。


ただ静かに尋ねた。


「私一人で」


使者が頷く。


「はい」


「戦争は終わりますの?」


謁見室が静まり返る。


使者は答える。


「サナトリア王国はそれを望んでおります」


将軍達の表情が歪む。


誰も信じていない。


だが。


アルティシアは何も言わなかった。


窓の外を見る。


空。


そこには飛空艇の影。


飛竜の群れ。


そして遠方には。


七十五万の大軍。


絶望的な戦力差。


アルティシアはゆっくり目を閉じた。


昨夜。


兵棋台の前で考え続けた。


今日も考えた。


だが。


答えは見つからない。


ラインが一歩前へ出る。


「殿下」


低い声だった。


「お考えになる必要はございません」


使者を睨む。


「このような要求、論外です」


周囲の将軍達も頷く。


だが。


アルティシアは何も答えない。


ただ。


窓の外を見つめ続けていた。


遠く。


空を埋め尽くす黒い影を。


その瞳には。


初めて。


迷いの色が宿っていた。

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