サナトリアの作戦参謀ー
魔導王国サナトリア。
王都中央。
軍司令部。
巨大な作戦卓を囲むように各国の将軍や参謀達が並んでいた。
彼らが率いる兵の総数は八十万。
中央大陸史上でも類を見ない大連合軍である。
その中央に一人の女性が立っていた。
腰まで届く銀髪。
緩やかな波を描く長い髪は両側だけが丁寧に編み込まれている。
ミントグリーンの上品なワンピース。
白いレース手袋。
白いショートブーツ。
戦場とは思えぬほど優雅な姿。
だが、この場で彼女を軽んじる者はいない。
ハーブは静かに地図へ視線を落とした。
「バラキア軍は予定通り先行してください」
白い指が駒を動かす。
「ルグレシア軍との接触後、後続軍へ位置を伝達」
「第二軍は東側」
「第三軍は西側」
「補給部隊は予定通り前進」
次々と指示が飛ぶ。
将軍達は頷くだけだった。
既に作戦書は配布済み。
今は最終確認に過ぎない。
一人の将軍が口を開く。
「しかし本当に戦うようですな」
ハーブが視線を向ける。
「ルグレシアが、です」
将軍は苦笑した。
「戦力差は五十倍以上」
「私なら降伏いたします」
周囲から小さな笑いが起こる。
だがハーブは笑わなかった。
「ルグレシア王国です」
それだけ答える。
将軍達も頷いた。
神王時代から続く古き王国。
誇り高い国であることは誰も知っている。
「降伏は選ばないでしょう」
静かな声だった。
ハーブは地図上のルグレシアを見つめる。
「ですので予定通り進めます」
誰も異論を唱えない。
勝敗は明らかだった。
一万五千。
対。
八十万。
戦争と呼ぶにはあまりにも差がある。
ハーブは最後の駒を置いた。
「以上です」
作戦会議は終わった。
将軍達が席を立ち始める。
その時だった。
司令室の扉が開く。
伝令兵が飛び込んでくる。
「報告!」
全員の視線が向く。
伝令兵は敬礼した。
「ルグレシア軍、一万五千!」
「国境線へ展開完了!」
将軍達の間に失笑が広がる。
一万五千。
やはり予定通りだった。
だが。
ハーブだけは笑わない。
静かに地図を見つめる。
そして小さく呟いた。
「さて」
その瞳は冷静だった。
「アルティシア王女」
誰にも聞こえない声。
「貴女ならどう動くのでしょうね」
司令部の会議が一旦中断される。
将軍や参謀達は廊下へ出て、それぞれ休息を取っていた。
窓の外ではまだ夜明け前の空が広がっている。
その一角で。
数人の将校達が小声で話していた。
「一体、王家は何を考えているのか……」
年配の将軍が眉をひそめる。
「あのような得体の知れない者を軍師になど据えて」
隣の参謀が肩を竦めた。
「なんでも東大陸からの紹介らしい」
「東大陸?」
別の将軍が顔をしかめる。
「ますます怪しいではないか」
「だが作戦内容は確かに目を見張るものがあった」
若い参謀が反論する。
「兵站、進軍速度、各軍の配置。どれも無駄がない」
「それとこれとは別だ」
即座に返された。
「貴族風ではあるが……経歴も所属もわからない」
「あんな女の言うことを真に受けるのか?」
若い参謀は溜息を吐く。
「作戦内容とそれは関係あるまい」
「いや、重要だ!」
年配の将軍が声を強めた。
「戦とは信頼だ!」
周囲も黙る。
「誰が考えたかも分からぬ作戦に、我らは何十万という兵を乗せるのだぞ」
「失敗した時、誰が責任を取る?」
「それは……」
若い参謀が言葉に詰まる。
その時だった。
「責任なら私が取りましょうか?」
穏やかな声が響いた。
全員が振り返る。
廊下の先。
銀髪の女性が立っていた。
ミントグリーンのワンピースの裾を揺らしながら。
ハーブは微笑んでいる。
将軍達の顔色が変わった。
聞かれていた。
そう理解したからだ。
ハーブは気分を害した様子もなく歩み寄る。
「ご心配はもっともです」
静かな声だった。
「経歴も所属も不明な女ですから」
将軍達は気まずそうに目を逸らす。
だがハーブは続けた。
「ですので」
白い手袋を嵌めた指が窓の外を示す。
「私ではなく、作戦をご覧ください」
夜空の向こう。
八十万の軍勢が動いている。
「それで十分です」
そう言うとハーブは一礼し、そのまま廊下を歩き去った。
将軍達は黙り込む。
誰も引き止めなかった。
ただ。
先ほどまでの不満を口にする者もいなくなっていた。
休憩を終えた将軍達が再び司令室へ戻る。
雑談は消える。
私情も消える。
残るのは戦争だけだった。
巨大な作戦卓の前には既にハーブが立っている。
銀髪を揺らしながら、各軍の配置図へ視線を落としていた。
「それでは再開いたします」
穏やかな声が響く。
将軍達が席へ着く。
「第一軍は予定通り国境線を突破」
白い指が駒を動かす。
「第二軍は補給路の確保」
「第三軍は側面展開」
「第四軍は後方予備戦力として待機」
次々と指示が飛ぶ。
無駄がない。
迷いもない。
将軍達も即座に応じる。
「第一軍了解」
「第三軍も問題なし」
「補給計画も完了しております」
会議は滞ることなく進んでいく。
誰もが気付いていた。
経歴も所属も分からない。
それでも。
この女が有能であることだけは疑いようがなかった。
やがて全ての確認が終わる。
ハーブは最後に作戦卓を見渡した。
サナトリア。
バラキア。
その他の連合諸国。
それぞれの駒が並んでいる。
そして。
ルグレシア。
小さな駒が国境線に置かれていた。
ハーブは静かに微笑む。
「皆様」
司令室が静まる。
全員が彼女を見る。
「サナトリアの聖女様を我らで取り戻しましょう」
穏やかな声だった。
だが。
その場にいる誰もが頷く。
今回の戦争の大義。
それがそこにあった。
ハーブは続ける。
「正義は我らが手の中に」
静かな言葉。
だが力強い。
将軍の一人が立ち上がる。
「おお!」
続いて別の将軍も拳を掲げた。
「聖女様をお救いするのだ!」
「当然だ!」
「サナトリアに栄光あれ!」
声が次々と上がる。
司令室に熱気が広がっていく。
八十万の軍勢。
中央大陸の大半が集った大連合軍。
その誰もが。
自らを正義だと信じていた。
そして戦争は。
既に始まっていた。
将軍達が去り。
参謀達も去る。
やがて司令室には静寂だけが残った。
巨大な作戦卓。
無数の駒。
八十万の軍勢。
そして。
一人の女。
ハーブは静かに地図を見下ろしていた。
窓の外では夜明け前の闇が広がっている。
白い手袋を嵌めた指先がルグレシアの駒へ触れた。
そして。
優雅に微笑む。
「ふふっ、ルグレシアにはこのあたりで歴史から消えていただきましょう」
柔らかな声。
気品に満ちた笑み。
先ほどまで将軍達へ向けていた穏やかな表情そのもの。
だが。
その瞳だけは冷たかった。
「そして、そうね」
指先が地図の上を滑る。
「誰か適当な国の宰相でも王に据えて、我らのKeilflammeの新たなる傀儡とするのだから」
クスクスと笑う。
まるでお茶会の話でもするように。
一国の滅亡を語る。
そして。
ハーブは左手を顔へ添えた。
白いレース手袋。
その手が顔の半分を隠す。
次の瞬間。
残った右半分が愉悦に歪んだ。
先ほどまでの上品な微笑みは消えている。
そこにいたのは別人だった。
「ふっふーん♪」
鼻歌混じりの声。
「ベールー♪」
楽しそうに地図の駒をつつく。
「あんたの愛するルグレシアはー」
肩を震わせる。
「あちきが潰してやるからねー♪」
唇が吊り上がる。
「このデッドちゃんが♪」
そして。
堪えきれなくなったように。
笑った。
「キャハハッ!」
司令室に響く。
狂気じみた笑い声。
「キャハハハハハハハハハハハハハハッ!」
誰もいない司令室。
巨大な作戦卓の前で。
銀髪の女は腹を抱えて笑い続ける。
ルグレシアの駒を指で弾きながら。
まるで壊れた玩具を見る子供のように。




