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【World Wide Love ― 2人で1人の逃走譚 ―】  作者: KK
【第2部】第4章ールグレシア王国の危機ー

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敵軍約80万ー

ルグレシア王国は深夜のうちに国境線へ軍を展開していた。


その数、一万五千。


本来ならば国境防衛軍だけで十分だったはずの戦力。


だが今は違う。


各地から兵が集められ。


街では武器が配られ。


前線に近い村や町では、住民達の避難が始まっていた。


夜の街道には荷車の列が続いている。


幼い子供を抱く母親。


家畜を引く老人。


誰もが不安を抱えながら故郷を離れていた。


 


そして。


ルグレシア王城。


司令室。


巨大な地図を囲み、重臣達が集まっている。


徹夜だった。


誰一人として休んでいない。


ディーノスが腕を組む。


「報告を」


参謀が前へ出る。


「隣国バラキアの兵二万五千がすでに進軍を開始しております」


地図上の駒が動かされる。


「あと数刻で国境線へ到達するかと」


司令室に緊張が走る。


二万五千。


すでにルグレシア国境軍を上回る数だった。


軍議が続く。


迎撃地点。


補給。


伝令。


避難経路。


次々と議題が飛び交う。


その時だった。


扉が開く。


一人の兵士が駆け込んでくる。


「失礼します!」


息を切らした兵士は参謀の元へ駆け寄る。


そして耳打ちした。


参謀の表情が変わる。


眉間に深い皺が刻まれる。


その様子を見ていたアルティシアが口を開いた。


「……どうしました?」


司令室の視線が集まる。


参謀はしばらく黙り込んだ。


信じたくない。


そんな顔だった。


やがてゆっくり立ち上がる。


「連合軍の数が判明しました」


空気が凍る。


誰も動かない。


ディーノスも。


宰相も。


軍務大臣も。


全員が次の言葉を待った。


アルティシアが静かに尋ねる。


「……数は?」


参謀は拳を握った。


そして。


絞り出すように告げる。


「中央大陸連合軍……その数は――」


息を呑む音。


誰かが喉を鳴らした。


「80万」


誰も反応できなかった。


理解が追いつかない。


80、


万。


その数字だけが司令室に残る。


やがて。


誰かが笑った。


乾いた笑いだった。


現実味がなかった。


一万五千。


対。


80万人。


六十倍以上。


もはや戦争ではない。


蹂躙だった。


軍務大臣が地図へ目を落としたまま呟く。


「……80万だと」


参謀が苦しげに頷く。


「サナトリア軍のみではありません」


「各国の派遣軍」


「義勇軍」


「傭兵団」


「全てを含めた総数です」


誰も口を開かない。


開けない。


アルティシアもまた沈黙していた。


青白い顔のまま。


机上の地図を見つめている。


80万人。


想定を遥かに超えていた。


サナトリアだけではない。


中央大陸そのものが敵になった。


そう言っても過言ではなかった。


長い沈黙。


その中で。


アルティシアは静かに目を閉じる。


そして。


誰にも聞こえないほど小さく息を吐いた。


司令室が静まり返る。


80万。


その数字の重みが全員の肩へ圧し掛かっていた。


だが。


アルティシアだけは冷静だった。


机上の地図を見つめながら静かに口を開く。


「傭兵や義勇軍を含んだとはいえ80万人……」


誰も言葉を挟まない。


「私の想定では全軍の最大規模は100万...」


「それでも、各国正規軍のほとんどを投入したと見て間違いありませんね」


参謀が苦々しく頷く。


「は、おそらく今回、連合軍に参入したものの目的は――」


その時。


ディーノスが低く呟いた。


「魔王殺しか」


誰も否定しなかった。


ベル・ジット。


その存在は世界にとって大きすぎた。


もしルグレシアと共に戦えば。


もし国家として保護すれば。


もし子が生まれれば。


様々な思惑が生まれる。


それは当然のことだった。


だが。


アルティシアは首を横に振る。


「それだけではございません」


司令室の視線が集まる。


アルティシアは地図上のルグレシアへ指先を置いた。


「おそらく機会を狙っていた国もあるのでしょう」


静かな声だった。


「このルグレシア転覆の」


重臣達の表情が険しくなる。


それもまた事実だった。


ルグレシア王国。


古き国家。


サナトリアほどではない。


だが十分に長い歴史を持つ大国。


肥沃な大地。


豊富な水源。


鉱山から産出される莫大な鉱石。


安定した気候。


豊かな農業。


発達した街道網。


どれも国家運営において喉から手が出るほど欲しいものばかりだ。


そして何より。


「神王時代より続く王家」


アルティシアが静かに言う。


「一度も途絶えたことのない血統」


その言葉に司令室が重く沈む。


古い王家は権威そのものだ。


歴史。


伝統。


信仰。


民衆の支持。


その全てが積み重なっている。


だからこそ。


羨望も。


嫉妬も。


敵意も生む。


アルティシアは続けた。


「サナトリアが大義を掲げて戦争を始めた」


「そしてルグレシアは孤立した」


ゆっくりと目を閉じる。


「その時を待っていた者達が動いたのでしょう」


誰も反論しない。


あまりにも自然な話だった。


国が弱れば群がる。


歴史上何度も繰り返されてきたことだ。


ディーノスが鼻で笑う。


獰猛な笑みだった。


「なるほど」


黒い瞳が鋭く光る。


「我らは随分と人気者らしい」


その言葉に何人かの将軍が苦笑する。


笑うしかなかった。


80万


それはもはや戦争のための軍ではない。


獲物へ群がる群狼の数だった。


アルティシアは静かに地図を見つめる。


その青白い横顔に焦りはない。


ただ。


覚悟だけがあった。


「まずはバラキア軍二万五千」


そう呟き。


国境線へ置かれた駒を見つめる。


「そこを凌がなければ、何も始まりませんわ」


参謀が苦々しい表情のまま地図を見つめる。


「けれど……バラキアの進軍を止めたとて、その後来る本隊をどうやって……」


誰も答えられない。


答えなどないからだ。


その数字はあまりにも大きかった。


アルティシアも唇を噛む。


「それは……」


言葉が続かない。


徹夜で考えた。


兵棋台も壊れるほど動かした。


だが。


どの作戦も最後は同じだった。


押し潰される。


兵力差が大き過ぎる。


作戦が意味を失うほどに。


沈黙が落ちる。


その時だった。


ディーノスが口を開く。


「ノーギスよ」


部屋の隅に立つ老人が視線を向ける。


白髪。


深い皺。


老いた身体。


だが立ち姿だけは未だに軍人そのものだった。


「南の軍事国家ドラントとの戦い、覚えておるか?」


ノーギスが鼻を鳴らす。


「もちろんでございます」


「我らが8千


「敵は10万でしたな」


懐かしそうな笑みが浮かぶ。


ディーノスも笑う。


「あの時も無茶な戦だった」


「無茶でしたな」


「だが勝った」


「勝ちました」


司令室の空気が少し変わる。


重臣達も思い出していた。


若き日の黒獅子。


そして軍神とまで呼ばれたノーギス。


伝説の戦いだった。


ディーノスが問う。


「同じことをやれるか?」


誰もがノーギスを見る。


老人はしばらく考えた。


そして。


肩を竦める。


「ご覧の通り、私ももはや老兵……」


皺だらけの手を見下ろす。


「昔のようにはとてもとても」


ディーノスが笑う。


「今のお前なら?」


ノーギスも笑った。


「せいぜい」


そして平然と言った。


「我が軍二千で、十倍の二万を相手取るのがいっぱいいっぱいかと」


司令室が静まり返る。


二千で二万。


常識ではあり得ない。


だが。


誰も冗談だと思わなかった。


それがノーギスだからだ。


ディーノスが豪快に笑った。


「十分ではないか」


ノーギスも声を上げて笑う。


「はっはっは!」


「まったくでございます」


その笑い声は不思議だった。


80万の敵軍。


絶望的な状況。


それなのに。


何故か司令室の空気が少しだけ軽くなる。


アルティシアはそんな二人を見つめていた。


そして初めて気付く。


父も。


ノーギスも。


勝てるから笑っているのではない。


戦うと決めているから笑っているのだと。


その時だった。


司令室の後方。


壁にもたれ掛かるように立っていた黒衣の騎士が口を開く。


「ノーギス殿が二千で二万を相手取るとなれば――」


全員の視線が集まった。


若き騎士。


アイゼン。


黒い外套を揺らしながら一歩前へ出る。


そして不敵に笑った。


「ノーギス殿の半分も生きていない、このアイゼン」


ニヤリと口元を歪める。


「三千で三万を倒してご覧にいれましょう」


司令室に沈黙が落ちる。


次の瞬間。


ディーノスが豪快に笑った。


「よく言う」


「はっ」


アイゼンも笑う。


その様子を見ていた将軍の一人が机を叩いた。


「ならば我らは五千で五万だ!」


「負けておられん!」


別の将軍も立ち上がる。


「我が軍も十倍程度なら何とかしてみせましょう!」


「口だけではありますまいな!」


「当然!」


次々と声が上がる。


先ほどまでの重苦しい空気は消えていた。


圧倒的な兵力差。


そんな現実は変わらない。


それでも。


ルグレシアの将達は笑っていた。


「国王陛下」


老将軍が立ち上がる。


「若造共にばかり良い格好はさせられませんな」


「ほう?」


「私にも三千ほどいただければ」


顎髭を撫でる。


「三万くらいなら引き受けましょう」


笑いが起こる。


「無茶を言う!」


「貴様こそ老いぼれではなかったか!」


「まだまだ若い者には負けん!」


司令室の空気が熱を帯びていく。


そして。


アルティシアはその光景を見ていた。


誰も勝てると思っていない。


誰も楽観していない。


それでも。


誰一人逃げようとしない。


その時。


ディーノスが娘へ視線を向けた。


黒獅子の瞳。


そこには力強い光が宿っている。


「聞いたか、アルティシア」


王は笑った。


「これがルグレシアだ」


司令室にいた全員が笑う。


歴史ある王国。


幾度も滅亡の危機を乗り越えてきた国。


そして。


その度に戦ってきた人々。


80万の軍勢が来ようとも。


その魂だけは折れていなかった。



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