アルティシアの覚悟ー
アルティシアはゆっくりと立ち上がった。
そして深く頭を下げる。
王女としてではない。
一人の人間として。
「元はすべて、私のわがままから始まったこの度の事態。言い訳のしようもございません」
会議室がどよめく。
誰もそんな言葉を予想していなかった。
アルティシアは顔を上げる。
青白い顔。
だがその瞳は真っ直ぐだった。
「その上、世界最高戦力たる我が婚約者、ベル様への助力を願わぬこと。皆様のご理解を得られないことは重々承知しております」
重臣達は黙って聞いている。
誰も遮らない。
「これも私のわがまま。皆様に、そして我が民達に多大なる迷惑をおかけすること、全て私の責任ですわ」
アルティシアは胸の前で手を重ねた。
小さな身体。
細い肩。
今にも倒れそうなほど弱っている。
それでも。
その声だけは不思議なほど力強かった。
「ですので、皆様に命を懸けていただきたいなど申しません」
会議室の空気が変わる。
嫌な予感が走る。
ディーノスが眉をひそめた。
アルティシアの瞳の奥に強い光が宿る。
「もしもの時は、この私の命を持って、収束に向け――」
「なりませーーーーーんっ!!!!!」
轟音だった。
会議室全体が揺れたように感じるほどの大声。
全員が弾かれたように振り返る。
アルティシアも。
ディーノスも。
宰相も。
重臣達も。
誰もが目を見開いた。
壁際。
ずっと控えていたアイザックがいた。
老執事の顔は真っ赤だった。
肩を震わせ。
拳を握り締め。
今にも泣きそうな顔をしている。
「なりません! なりませんぞ! 殿下!」
普段の冷静さは欠片もない。
「それだけは! なりませんっ!」
アイザックは一歩前へ出た。
さらに一歩。
誰も止められない。
止める気にもなれない。
「何を仰っているのですか!」
声が震えている。
怒りか。
悲しみか。
その両方だった。
「殿下がお命を差し出せば全て解決するとでも!?」
老執事の目から涙が溢れた。
「そのようなもの!」
息を荒げる。
「誰が望みますか!」
会議室は静まり返る。
誰も言葉を発せない。
アイザックはアルティシアを見つめた。
生まれた時から知っている。
泣き虫だった頃も。
初めて文字を書いた日も。
外交を学び始めた日も。
全て見てきた。
その少女が。
今。
自らの命を差し出そうとしている。
そんなものを受け入れられるはずがなかった。
「殿下は!」
声が裏返る。
「殿下は生きてくださいませ!!」
その叫びが会議室に響いた。
誰も笑わない。
誰も咎めない。
そこにいた全員が同じ気持ちだったからだ。
アルティシアは目を見開いたまま、アイザックを見つめていた。
その時だった。
ディーノスがゆっくりと立ち上がる。
かつて黒獅子と恐れられた王。
大柄な身体が立ち上がっただけで空気が変わる。
そして。
「よく言った! アイザック!」
豪快な声が会議室を震わせた。
誰もが振り返る。
ディーノスの黒い瞳は真っ直ぐアイザックを見ていた。
「その言葉、我こそが言うべきであった……」
王は拳を握る。
その顔には悔恨が浮かんでいた。
「不甲斐なき我を許せよ」
アイザックが目を見開く。
「国王様……」
ディーノスは大きく頷いた。
そして娘の傍らに立つ老執事へ視線を向ける。
「アルティシアよ」
アルティシアも顔を上げた。
「良き家臣を持ったな」
静かな声だった。
だが力強い。
「アイザック。そなたこそ真の忠臣である」
アイザックは深く頭を下げた。
肩が震えている。
「勿体なき、お言葉」
その時だった。
一人の家臣が立ち上がる。
続いてもう一人。
さらに一人。
気付けば全員が席を立っていた。
誰も打ち合わせていない。
自然だった。
「我らも、殿下のために、この命捧げましょう!」
声が響く。
別の家臣も拳を握った。
「そうです! 最後まで共に!」
「我らはルグレシアの臣!」
「殿下お一人に背負わせるものか!」
次々と声が上がる。
会議室の熱が一気に変わっていく。
宰相までもが立ち上がった。
老いた顔に笑みを浮かべる。
「この老骨もまだ働けますぞ」
軍務大臣は豪快に笑った。
「戦でも外交でも何でも来いですな!」
「ルグレシアの獅子魂! 見せてやりましょう!」
大きな声が響く。
重苦しかった空気が吹き飛んでいた。
アルティシアは呆然と立ち尽くす。
目を見開き。
言葉を失っていた。
誰も逃げない。
誰も責任を押し付けない。
誰も彼女を見捨てない。
全員が前を向いている。
自分と同じ方向を。
その光景を見て。
アルティシアの瞳が潤んだ。
けれど涙は落ちなかった。
王女だからではない。
もう一度。
この人達と共に戦おうと思えたからだった。
アルティシアは静かに目を閉じた。
胸いっぱいに息を吸う。
ゆっくりと吐く。
乱れていた呼吸が少しずつ整っていく。
先ほどまでの迷いも。
自責も。
全て胸の奥へ押し込めた。
そして瞳を開く。
そこにあったのは、ルグレシア第二王女の顔だった。
「それでは――」
会議室の全員が姿勢を正す。
アルティシアは円卓を見渡した。
父である国王。
宰相。
軍務大臣。
外務大臣。
そして共に戦う家臣達。
「作戦会議を、軍議を行いましょう」
静かな声だった。
だが誰一人聞き逃さない。
その一言で空気が切り替わる。
感情を語る時間は終わった。
ここからは戦いの話だ。
ディーノスが大きく頷く。
黒い瞳には既に迷いはない。
「うむ」
低い声が響く。
「ようやく我らの得意分野だな」
何人かの家臣から小さな笑いが漏れた。
緊張が少しだけ和らぐ。
軍務大臣が机へ地図を広げる。
「ではまず戦力差の確認から始めましょう」
「敵はサナトリア」
宰相が続く。
「決して侮れません」
「侮るつもりはございません」
アルティシアが即座に答える。
「むしろ最悪を前提に考えます」
その言葉に全員が頷いた。
サナトリア。
世界最大の情報国家。
世界最高峰の魔術国家。
そして杖を擁する超大国。
勝利を前提に考える相手ではない。
どう生き残るか。
どう守るか。
その戦いになる。
アルティシアは机上の地図へ視線を落とした。
青白い顔色は変わらない。
身体も限界に近い。
それでも瞳だけは鋭く輝いていた。
「まず確認いたします」
王女の指先が地図へ触れる。
「現在の我が国の戦力。そして――サナトリアが取り得る行動の予測を」
国家の命運を賭けた軍議が始まった。




