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【World Wide Love ― 2人で1人の逃走譚 ―】  作者: KK
【第2部】第4章ールグレシア王国の危機ー

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ルグレシア国家会議ー

家臣の一人が重々しく口を開いた。


「しかしながら……今、アルティシア殿下が表に出るのは些か……」


そこまで言って言葉が止まる。


アルティシアが静かに視線を向けていた。


逃げ場のない真っ直ぐな瞳だった。


やがてアルティシアが目を伏せる。


「私への……批判の件ですわね」


会議室の空気が固まった。


誰も言葉を返せない。


アルティシアは続ける。


「魔王殺しを盾にして……私が浮かれていると……」


小さく息を吐く。


「要はそういう話と伺っておりますわ」


その瞬間。


ディーノスの視線が部屋の隅へ向いた。


そこにいた侍女が肩を震わせる。


慌てて視線を逸らした。


王女へ届くはずのない噂。


誰かが漏らしたのは明白だった。


「……お前には知られたくなかったのだが……」


低い声だった。


国王としてではない。


娘を案じる父親の声だった。


アルティシアは首を横に振る。


「いいえ、国王様」


弱々しい身体とは対照的に、その声は澄んでいた。


「私こそが、それを知るべきですわ」


会議室を見渡す。


重臣達は誰も目を逸らさなかった。


皆、アルティシアを案じている。


それが分かっていた。


だからこそ微笑む。


「そして、逃げません」


小さな声。


だが不思議なほどよく響いた。


「いいえ、ここで逃げては噂も本当になってしまいます」


沈黙が落ちる。


先ほど発言した家臣が立ち上がった。


苦い表情のまま頭を下げる。


「殿下……申し訳ございません」


アルティシアは静かに微笑んだ。


「良いのです」


その笑みはどこか疲れていた。


それでも優しかった。


「私を想ってこその忠言、いたみいります」


家臣はさらに深く頭を下げる。


会議室の誰もが胸を締め付けられていた。


痩せ細り。


立っていることすら辛そうな少女。


それでも誰よりも前を向いている。


その姿に、責める言葉など出るはずがなかった。


そしてアルティシアが歩き出す。


「さぁ、それでは私も遅ればせながら会議にーっ」


その瞬間だった。


不意に足が止まる。


アルティシアは両手で口元を押さえた。


会議室の空気が一変する。


「殿下!?」


「アルティシア様!」


「おい、医師を!」


口々に声が上がった。


侍女達が慌てて駆け寄る。


左右から身体を支えなければ、そのまま倒れていたかもしれない。


アルティシアは必死に吐き気を堪えていた。


細い肩が震える。


呼吸が乱れる。


顔色はみるみる悪くなっていく。


ただでさえ青白かった肌から、さらに血の気が失われていった。


会議室にいた全員が言葉を失う。


誰の目にも明らかだった。


限界を超えている。


それでもアルティシアは歯を食いしばる。


震える手で侍女の腕を握った。


吐き気が収まらない。


視界も揺れる。


それでも倒れまいとする。


「っ……」


声にならない。


身体が悲鳴を上げている。


だが意志だけは折れない。


その姿を見たディーノスの表情が険しくなった。


戦場で幾度となく死線を潜り抜けてきた王ですら、今の娘を見る方が辛かった。


アルティシアは何とか呼吸を整えようとする。


しかし足に力が入らない。


侍女達の支えがなければ立っていることすらできなかった。


会議室には重い沈黙だけが広がっていた。


アルティシアは目を閉じた。


込み上げる胃液。


焼けるような不快感。


喉元まで迫る吐き気。


それら全てを無理やり飲み込む。


細い喉が小さく動いた。


会議室の誰もが固唾を呑んで見守る。


侍女達も今にも支え直そうとしていた。


だが。


アルティシアはゆっくりと顔を上げる。


震えていた呼吸を整え。


乱れた姿勢を正し。


そして自ら侍女達の支えから離れた。


足はまだ僅かに揺れている。


それでも真っ直ぐ立つ。


王女として。


この国の責任者の一人として。


アルティシアは会議室を見渡した。


心配そうな家臣達。


青ざめた宰相。


苦しげに拳を握るディーノス。


全員の視線を受けながら。


彼女は微笑んだ。


「さぁ、一刻もありません。会議を再開しましょう」


静かな声だった。


だがその言葉は重かった。


誰も返事をしない。


返せなかった。


目の前にいるのは病人だった。


今すぐ寝台へ戻すべき少女だった。


それでも。


この場で最も前を向いているのもまたアルティシアだった。


ディーノスは黙ったまま娘を見つめる。


黒獅子と呼ばれた王の瞳が揺れる。


戦場ならば迷わない。


敵がいるなら斬るだけだ。


だが娘の覚悟を前にすると、何も言えなかった。


アルティシアは空いている席へ歩き出す。


足取りは弱々しい。


それでも止まらない。


やがて自席へ辿り着くと、静かに腰を下ろした。


そして机上の資料へ目を通す。


まるで先ほど倒れかけたのが嘘だったかのように。


「それでは」


青白い顔のまま口を開く。


「現在の各国の反応からお聞かせくださいませ」


国家会議が再び動き始めた。


外務大臣による報告は長く続いた。


各国の反応。


外交方針。


軍備増強の動き。


中立宣言。


そしてサナトリア支持。


次々と読み上げられる内容を、アルティシアは黙って聞いていた。


途中で口を挟むこともない。


感情を見せることもない。


ただ静かに。


机上の資料へ目を落としながら聞き続ける。


やがて報告が終わった。


会議室が静まり返る。


誰もがアルティシアの言葉を待った。


アルティシアはゆっくりと目を閉じる。


そして小さく息を吐いた。


「なるほど……想定の範囲内ではありますわ」


その言葉に。


その場の誰もがほんの少しだけ安堵した。


最悪ではない。


少なくともアルティシアはそう判断した。


それだけで希望が生まれる。


だが。


次の言葉が、その希望を打ち砕いた。


「けれど」


アルティシアは静かに続ける。


「我が国にそれを打破する力はございません」


誰も動かなかった。


誰も声を出さなかった。


会議室から音が消える。


アルティシアは資料から目を離さない。


感情論ではない。


願望でもない。


分析結果を述べただけだった。


だから重い。


そして残酷だった。


ディーノスですら言葉を失う。


黒獅子と呼ばれた王。


戦場ならば不可能を覆してきた男。


だが今は軍事の話ではない。


外交だった。


国際世論だった。


国家間の力関係だった。


その分野において、娘の言葉は誰よりも重い。


宰相が掠れた声を絞り出す。


「……殿下」


アルティシアは顔を上げた。


青白い顔。


疲弊しきった身体。


それでも瞳だけは冷静だった。


「各国は既に結論を出しております」


淡々と語る。


「サナトリアに大義がある」


「我が国に大義はない」


「少なくとも外からはそう見えております」


誰も反論できない。


事実だからだ。


「そして、その認識を覆す材料を我々は持っておりません」


再び沈黙が落ちた。


会議室の空気が重く沈んでいく。


アルティシアはそんな空気の中で静かに資料を閉じた。


そして誰よりも冷静な声で言う。


「ですので」


小さく息を吸う。


「まずは現実を受け入れましょう」


その言葉は敗北宣言ではなかった。


戦うための第一歩だった。


重い沈黙の中。


一人の家臣が意を決したように口を開いた。


「……ベル・ジット殿に助力を願うのは……」


誰も遮らなかった。


いや。


遮れなかった。


その場にいる全員が、一度は考えた案だったからだ。


魔王殺し。


世界が恐れる存在。


彼が動けば状況は変わるかもしれない。


そんな期待を抱かなかった者はいない。


だが。


アルティシアは静かに首を横へ振った。


「申し訳ございません。それは、できません」


即答だった。


家臣は困惑する。


「なぜですか……? ベル殿は殿下の正式な婚約者。こんなときこそ――」


その瞬間だった。


アルティシアの瞳が鋭くなる。


先ほどまでの弱々しさが消えた。


「こんな時こそ?」


家臣が言葉に詰まる。


会議室の空気が張り詰めた。


アルティシアはゆっくりと立ち上がる。


青白い顔のまま。


それでも真っ直ぐに家臣を見据えた。


「私がベル様と婚約したのは、純粋なる私の願い。私の愛――」


一瞬だけ。


その表情が柔らかくなる。


だが次の瞬間には再び強い意志が宿った。


「そして、ベル様自身を守るためのもの」


誰も口を挟まない。


アルティシアは続ける。


「こんな時に、助けていただくためではございませんわ!」


その声が会議室に響いた。


怒鳴ったわけではない。


それでも誰もが息を呑む。


そこにあったのは怒りではない。


覚悟だった。


信念だった。


アルティシアはゆっくりと息を整える。


震える身体を押さえながら。


それでも視線は揺るがない。


「ベル様は国家の道具ではありません」


静かな声だった。


「ましてや私が都合よく振り回してよい方でもありません」


会議室が静まり返る。


誰も反論できない。


アルティシアは目を伏せる。


そして小さく微笑んだ。


「この問題は、ルグレシアの問題です」


その言葉に。


ディーノスは黙ったまま娘を見つめていた。


何も言わない。


ただ、その瞳には誇らしさが滲んでいた。



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