魔導国家サナトリア、宣戦布告ー
魔導王国サナトリア。
王城最上階。
国王執務室には重苦しい空気が漂っていた。
長大な机の上には十数通の文書が積み重ねられている。
全てルグレシア王国へ送られた外交文書。
全て返還要求。
全て成果はなかった。
窓から差し込む夕陽が室内を赤く染めている。
だが誰一人として外を眺める余裕はなかった。
サリオン六世は一枚の書面を静かに見つめている。
本日届いたルグレシアからの回答。
何度も読み返した。
だからこそ理解していた。
これ以上の進展は望めない。
長い沈黙が続く。
外務大臣。
軍務大臣。
宰相。
集まった重臣達も誰も口を開かなかった。
既に議論は尽くされている。
抗議した。
交渉した。
譲歩も提案した。
共同調査も提案した。
使節団派遣も求めた。
出来ることは全て行った。
それでも状況は変わらなかった。
やがてサリオン六世がゆっくりと目を閉じる。
深い疲労が滲んでいた。
老いた王ではない。
だがこの数ヶ月で十年は歳を取ったように見える。
静寂の中。
外務大臣が重い声で告げた。
「陛下」
返事はない。
「もはや国民も限界です」
誰も否定しない。
王都では連日集会が開かれていた。
聖女の帰還を求める声。
王国の対応を求める声。
それらは日に日に大きくなっている。
軍務大臣も口を開いた。
「軍の動員はいつでも可能です」
その言葉にも誰も反応しない。
喜ぶ者はいなかった。
戦争など望んでいない。
だが。
国家として無視できる段階も過ぎていた。
再び沈黙が訪れる。
サリオン六世は窓の外へ視線を向けた。
夕焼けに染まる王都。
人々の暮らし。
守るべき国。
守るべき民。
そして。
守るべき聖女。
王はゆっくりと息を吐いた。
そして決断する。
「……宣戦布告の準備を」
誰も驚かなかった。
誰も反対しなかった。
ただ静かに頭を下げる。
その言葉が発せられた瞬間。
魔導王国サナトリアは外交交渉の終結を決定した。
外務大臣が一礼する。
軍務大臣も立ち上がる。
宰相は目を閉じた。
全員が理解していた。
ここから先はもう外交ではない。
国家と国家の衝突である。
窓の外では鐘が鳴っていた。
平和な夕暮れを告げる鐘。
だがその音は、まるで戦争の始まりを告げる鐘にも聞こえた。
サナトリア王城。
国王執務室を出た外務大臣は足を止めなかった。
そのまま王城地下へ続く転移陣へ向かう。
目的地はただ一つ。
世界樹。
サナトリアの知識と情報、その全てが集約された巨大研究機関である。
転移陣が光る。
次の瞬間。
外務大臣は世界樹中央管制区画へ姿を現した。
広大な空間だった。
無数の魔法陣。
積み上げられた文献。
宙を飛び交う情報結晶。
そして数千人の研究員達。
その全てが休むことなく稼働している。
外務大臣の姿を認めた職員達の顔色が変わった。
王城直属の大臣が直接来る。
それだけで異常事態だった。
外務大臣は短く告げる。
「陛下より命令です」
空気が張り詰める。
「ルグレシア王国への宣戦布告が決定されました」
その瞬間。
広大な施設全体から音が消えた。
誰も声を出さない。
誰も動かない。
研究員達はただ言葉の意味を理解しようとしていた。
やがて一人が椅子から立ち上がる。
続いて二人。
三人。
誰も取り乱さない。
誰も叫ばない。
世界樹の研究員達は優秀だった。
だからこそ理解が早い。
戦争が始まる。
国家総力戦が始まる。
そして世界樹もまた、その中核となる。
静寂の中。
世界樹長がゆっくりと頷いた。
「全研究部門へ通達」
「戦時体制へ移行します」
一斉に魔法陣が輝き始めた。
膨大な情報網が起動する。
各研究棟。
各観測施設。
各保管庫。
全てへ命令が送られていく。
そして同時刻。
世界最高峰の教育機関。
学園。
卒業試験の準備が行われていた講堂へ、一枚の通達が届けられた。
教員達の顔色が変わる。
生徒達もざわめく。
サナトリア建国以来続く学園の歴史。
その中でも戦争は特別な意味を持っていた。
優秀な卒業生達は研究者となる。
魔術師となる。
そして国家の力となる。
学園長は静かに告げた。
「全学年へ通達」
「非常時体制へ移行します」
王都全体へ鐘の音が響いた。
そして。
王都郊外。
一般人の立ち入りを禁じられた白い塔。
そこへ一人の使者が訪れる。
扉の前には誰もいない。
警備兵すらいない。
必要がないからだ。
使者は震える手で王命書を差し出した。
扉がひとりでに開く。
塔の奥。
そこにいた者達へ命令が届けられる。
サナトリア最強の魔術師兵団。
杖。
国外で、
『杖が動けば戦争が終わる』
そう恐れられる存在。
王命書を読んだ一人の魔術師が目を閉じる。
誰も驚かない。
誰も騒がない。
ただ静かに立ち上がった。
それだけで十分だった。
数分後。
世界中の情報機関へ同じ報告が届く。
サナトリア宣戦布告。
世界樹戦時体制移行。
学園非常時体制移行。
そして――
杖、出撃準備開始。
その報告を受けた各国首脳は、一様に顔色を失った。
戦争が始まるからではない。
サナトリアが本気になったからだ。
世界最大の情報国家。
世界最高峰の魔術国家。
数千年の歴史を持つ超大国。
その国家が、ついに立ち上がった。
魔導王国サナトリア王都。
王城中央。
王国議会大講堂。
数百年の歴史を持つ巨大な円形議場には、王侯貴族、各省庁長官、学園代表、世界樹代表、軍部代表が集結していた。
普段ならば静謐な空間。
だが今日だけは違う。
誰もが固い表情を浮かべていた。
壇上にはサリオン六世が立っている。
王冠はない。
豪華な装飾もない。
ただ一人の国王として。
静かに議場を見渡した。
長い沈黙。
誰も口を開かない。
国王の言葉を待っている。
やがてサリオン六世が口を開いた。
「諸君」
それだけで議場が静まり返る。
「我が国はこれまで、あらゆる手段を尽くした」
誰も否定しない。
「外交交渉」
「正式抗議」
「返還要求」
「共同調査提案」
「使節団派遣要請」
一つずつ。
淡々と告げる。
「しかし」
王の声が僅かに重くなった。
「状況は改善されなかった」
議場に沈黙が落ちる。
誰もが理解していた。
だからこそ反論もない。
サリオン六世は続けた。
「我が国は知識を尊ぶ国家である」
「対話を尊ぶ国家である」
「魔術を探求し、争いより発展を選び続けてきた」
世界最古級の国家。
世界最大の情報国家。
世界最高峰の魔術国家。
その誇りが言葉に滲む。
「だが」
王の瞳が鋭くなる。
「国家には守るべきものがある」
議場の全員が立ち上がった。
誰も指示していない。
自然だった。
聖女。
その存在を知らぬ者はここにいない。
国家の象徴。
国家の柱。
国家そのもの。
サリオン六世はゆっくりと宣言した。
「本日をもって」
「魔導王国サナトリアは」
「ルグレシア王国へ正式に宣戦を布告する」
静寂。
誰も歓声を上げない。
誰も拍手しない。
ただ全員が頭を垂れた。
それは勝利への期待ではない。
戦争への覚悟だった。
その瞬間。
王城上空へ巨大な魔法陣が展開される。
王国最高位の国家通達術式。
青白い光が空を覆った。
次の瞬間。
サナトリア全土へ王の声が響く。
「魔導王国サナトリア国王」
「サリオン六世の名において宣言する」
王都の人々が立ち止まる。
研究者が顔を上げる。
学生達が空を見上げる。
杖の魔術師達が静かに目を閉じる。
「我が国はルグレシア王国へ宣戦を布告する」
世界樹の塔が光る。
学園の結界が起動する。
王都全域に警鐘が鳴り響いた。
そして。
その情報は数秒で世界中へ拡散される。
世界最大の情報国家。
サナトリア自身が発信した公式情報。
誤報ではない。
噂でもない。
事実だった。
中央大陸。
東大陸。
西大陸。
各国首脳達は報告書を握り締める。
そこに記されていたのはたった一文。
――魔導王国サナトリア、ルグレシア王国へ宣戦布告。
平和だった世界は、その日終わりを告げた。




