はじまりの朝ー
ルグレシア王国の中央公園。
穏やかな陽光が降り注ぎ、木々の葉が風に揺れていた。
その遊歩道を二人の若者が進んでいく。
少年が押す車椅子。
その上には、とても華奢で小柄な少女が座っていた。
少女は簡素な服を身に纏っている。
まるで寝間着のような服だったが、丁寧に手入れされており清潔感があった。
膝下には可愛らしい装飾の施されたブランケット。
閉じられた瞳。
微かな呼吸。
車椅子が揺れるたび、少女の身体も小さく揺れる。
眠っているようにしか見えない。
だが少年は気にした様子もなかった。
優しい笑みを浮かべながら車椅子を押していく。
「ほら見て。今日はこんなにいい天気だよ。気持ちいいね」
返事はない。
それでも少年は笑う。
「あれは何ていう鳥だろう?初めて見たね」
公園の芝生へ視線を向ける。
小鳥が数羽、楽しそうに跳ね回っていた。
「寒くない?大丈夫?」
少女は何も答えない。
指一本動かさない。
それでも。
少年は少しも寂しそうではなかった。
むしろ幸せそうだった。
当たり前のように。
そこに返事があるかのように。
語りかけ続ける。
風が吹く。
銀髪が揺れた。
少年の銀髪。
そして少女の銀髪も。
同じ色。
よく似た二人だった。
少年は車椅子を押しながら空を見上げる。
「もう少し歩こうか」
穏やかな声だった。
そして再び。
ゆっくりと遊歩道を進み始めた。
やがて少年は足を止めた。
王国中央公園の一角。
街全体を見下ろせる小高い丘だった。
心地よい風が吹き抜ける。
少年は車椅子の前へ回り込む。
そして壊れ物に触れるような手つきで少女を抱き上げた。
慣れた動作だった。
何度も繰り返してきたのだろう。
少女の身体をしっかりと支えながら、近くのベンチへ腰を下ろす。
抱き抱えたまま。
離さないまま。
二人で街を見下ろした。
「見て、あそこが僕たちが住んでる療養所だよ」
少年が指を差す。
遠く。
街並みの向こう。
白い大きな建物が見えた。
「あんなに広い建物なのに、ここから見ると小さいね」
そう言って微笑む。
柔らかい笑顔だった。
穏やかで。
温かくて。
そこには不満も悲しみもない。
幸せだけがあった。
少年は少女の肩へそっと頭を寄せる。
「最初は知らない人ばかりで不安だったけど」
遠くの景色を見つめる。
「みんな優しい人でよかったね」
少女は何も答えない。
瞳は閉じられたまま。
けれど少年は気にしない。
「ご飯も美味しいし、お医者さんも親切だし」
くすりと笑う。
「僕、結構気に入ってるんだ」
風が吹いた。
銀髪が揺れる。
少女の髪も。
少年の髪も。
同じように風になびいた。
少年は幸せそうに目を細める。
「だから安心してね」
そっと少女の手を握る。
「僕がずっと一緒にいるから」
その声はどこまでも優しかった。
まるで。
眠る少女へ語りかける子守唄のように。
少年はしばらく街を見つめていた。
そして。
ふと表情を引き締める。
先ほどまでの穏やかな笑顔とは少し違う。
決意を宿した顔だった。
「ここの皆さんにも、そしてあの人たちにも、感謝してもしきれない」
少女を支える腕に少しだけ力が入る。
「それに僕ね。この国の学校に通わせてもらえることになったんだ。殿下の計らいでね」
嬉しそうに笑う。
だがその瞳は真っ直ぐ前を見ていた。
「だから、僕、勉強するよ。そして偉くなる」
遠くに見える王都。
青い空。
行き交う人々。
その全てを見つめながら。
「いつか皆さんに恩返しができるように」
静かに。
だけど強い声で言った。
それから少年は腕の中の少女へ視線を落とす。
閉じられた瞳。
穏やかな寝顔。
何も変わらない。
何も返ってこない。
それでも少年は優しく微笑んだ。
「僕、がんばるよ」
風が吹く。
丘を渡る柔らかな風。
二人の銀髪を優しく揺らす。
少年は少女を抱き寄せる。
まるで大切な宝物を守るように。
そして静かに空を見上げた。
その横顔には。
未来への希望があった。
少年は少女の手をそっと握った。
「これから何があるかわからないけど、僕がずっと一緒にいるから」
優しく。
言い聞かせるように。
「だから安心して」
それだけ言うと、少年は大きく息を吸った。
丘の上を吹き抜ける風。
遠くまで見渡せる街並み。
青い空。
「ああ、本当に気持ちいいなぁー。この国は本当に気候も良くてー…」
そこで。
少年はふと気付いた。
腕の中の少女。
その閉じられた瞳が。
わずかに。
本当にわずかに揺れたのだ。
少年の言葉が止まる。
「……」
見間違いかと思った。
けれど違う。
確かに動いた。
「ごめんね。眩しかったかな」
少年は慌てて少女の目元へ手をかざした。
陽射しを遮るように。
影を作る。
「これでいいー…」
そう言って。
少女へ微笑みかけた。
その時だった。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
少女の瞼が持ち上がる。
長い眠りから覚めるように。
光を確かめるように。
閉ざされていた瞳が開いた。
少年の目が見開かれる。
呼吸が止まる。
信じられなかった。
何度も。
何度も。
願った光景。
何度も夢に見た光景。
それが今。
目の前にある。
瞳が潤む。
涙が溢れる。
止めようとしても止まらない。
そして。
くしゃくしゃの笑顔になった。
「…おはよう...マリカ」
震える声だった。
けれど。
その言葉だけは。
誰よりも優しかった。




