真実の朝ー
翌朝。
扉を叩く音でベルは目を覚ました。
眠気の残る頭で返事をすると、扉の向こうからハーブの穏やかな声が聞こえる。
「朝食ができたわよ」
ベルは身支度を整え部屋を出た。
廊下ではミリィとロロルが待っていた。
ウルフも既に起きている。
マリカは部屋のベッドに横たわったままだった。
四人は食堂へ向かう。
テーブルには既に朝食が並び始めていた。
焼きたてのパン。
湯気を立てるスープ。
卵料理に野菜。
香ばしい匂いが部屋に広がる。
ハーブは最後の皿を運び終えると、テーブルへ置いた。
そして向かいの席へ腰を下ろす。
穏やかな微笑みを浮かべながら四人を見渡した。
「さぁ、召し上がれ」
ハーブは悲しそうに眉を寄せた。
長い睫毛が伏せられる。
「私はこんなことやめようって、言ったのよ?」
静かな声だった。
だが誰も返事はできない。
身体が動かない。
声も出ない。
ハーブは困ったように微笑んだ。
「なのに…あの子ったら全然聞いてくれなくて」
小さくため息を吐く。
「私は、時間をかけてでも、話し合いで解決したかったのに…」
ベルの背中を冷たいものが走る。
あの子。
誰のことを言っているのか。
分からない。
だが。
何かがおかしい。
ハーブはテーブルの上で両手を組んだ。
「でも、今日すぐに発つとなると、あの子の言うことが正しかったのかしら」
そして。
ベルを見る。
真っ直ぐに。
逃げ場のないほど優しく。
「あなたはどう思う?」
にっこりと微笑んだ。
ベルは必死に呼吸を整えた。
痺れる身体。
動かない舌。
それでも喉へ力を込める。
掠れた声がわずかに漏れた。
「な…に…を…」
ハーブは目を丸くした。
「あらあら、すごい。声が出せるなんて…薬の量を間違えたのかしら?」
そう言いながら、お茶の入ったポットへ視線を落とす。
ベルの顔から血の気が引いた。
「ま…さ…か…」
ハーブは穏やかに微笑む。
「まさか?そう、そのまさか。お茶に毒を入れたの」
まるで世間話でもするような口調だった。
「でも安心して。死にはしないわ。しばらく身体が痺れるだけ」
ベルの喉が震える。
「ど…どう…」
ハーブは小さく首を傾げた。
「どうして?どうしてって、それはー」
その瞬間だった。
ベルの視界が歪む。
違う。
歪んだのは視界ではない。
ハーブの身体だった。
服の表面が波打つ。
水面のように。
生き物のように。
蠢きながら形を変えていく。
色が変わる。
質感が変わる。
ベルの瞳が大きく見開かれた。
見覚えがある。
忘れるはずがない。
「あ…あぁ…あああああ」
ハーブの服が変わる。
上品な装いが溶けるように崩れ。
別の姿へと再構築されていく。
銀髪が揺れる。
髪型が変わる。
そしてハーブは片手で顔を撫でた。
その仕草だけで。
化粧が変わる。
表情が変わる。
雰囲気が変わる。
別人へ。
立ち上がったその姿を見て。
ベルの瞳が恐怖に揺れた。
「デッドちゃんだからでーす♪」
デッドエンドは大きく目を見開いたベルを見た。
続いてウルフを見る。
ロロルを見る。
三人の顔を順番に眺める。
そして。
ぶるりと身体を震わせた。
両腕で自分の身体を抱き締める。
背筋を快感が走り抜けるように。
「あぁ…いい、いいわぁ」
頬が緩む。
口元が吊り上がる。
恍惚とした笑みが浮かぶ。
「この…本当のことを知った時の顔、たまんなーい♪」
肩を震わせる。
堪えきれない。
笑いが溢れる。
「キャハッ!」
そして。
「キャハハハハハハッ!」
高らかな笑い声が食堂に響き渡った。
ベルは全身を震わせる。
昨日の路地裏。
白仮面。
楔兵。
狂ったように笑う敵幹部。
全てが繋がる。
昨夜。
優しく迎えてくれたハーブ。
朝食を用意してくれたハーブ。
目の前で笑っている。
同じ顔で。
同じ声で。
まるで別人のように。
デッドエンドは笑いながら舌をベロリと出した。
「いやぁー、いいリアクションだしー♪」
楽しそうに。
本当に楽しそうに。
ベル達を見下ろしていた。
デッドエンドは肩をすくめながら、くるりとその場で一回転した。
スカートの裾がふわりと揺れる。
そして両手を広げる。
「もーわかったでしょー?ハーブとあちきはー、おんなじなの♪二重人格ってやつ?」
ベル達の反応を楽しむように笑う。
ベルは震える瞳でデッドエンドを見つめていた。
昨夜の優しい笑顔。
朝食を作ってくれたハーブ。
目の前で笑う敵幹部。
頭の中で全てが繋がっていく。
デッドエンドはそんなベルを見て、楽しそうに指を差した。
「だからベル達とはちがうよー」
ニタリと口元を歪める。
「デッドちゃんは普通の方」
そう言ってベロリと舌を出した。
まるで当たり前のことを言ったかのように。
その言葉にベル達はさらに混乱する。
二重人格。
同一人物。
そして。
普通と言い切るデッドエンド。
食堂には重苦しい沈黙だけが広がっていた。
ベルは思い出していた。
聖女から託された手紙。
その最後に書かれていた言葉を。
表と裏。
気をつけて。
その意味が今ようやく分かった。
ハーブとデッドエンド。
別人ではなかった。
二人は同じ人間だったのだ。
表と裏。
二つの人格を持つ、一人の幹部。
だから聖女は警告した。
だから聖女は気をつけろと言った。
ベルの瞳から一筋の涙が零れる。
遅かった。
気付くのが。
あまりにも遅すぎた。
目の前ではデッドエンドが楽しそうに笑っている。
全てを知った者の顔で。
全てを騙し切った者の顔で。
デッドエンドはくるくると踊るようにテーブルの周囲を回った。
楽しそうに。
嬉しそうに。
まるで長年隠していた秘密をようやく打ち明けられた子供のように。
「デッドエンドはKeilflammeでのあちきのコードネーム。かわいいっしょー?」
ベルの瞳が揺れる。
「…あ…」
デッドエンドはニヤリと笑った。
「あちきの本名はハーヴェスト・アンセン。ハーブとおーんーなーじー♪」
両手を広げる。
「だってー、おんなじ人間だからねーキャハッ!」
笑いながら一回転。
スカートの裾がふわりと舞う。
「意識と記憶は共有してるからー?ベルよりはハイグレードって感じだし?」
その時だった。
「ぬ…ぬぉぉぉぉぉ…」
ウルフが歯を食いしばる。
全身を震わせながら無理矢理立ち上がろうとしていた。
腕が持ち上がる。
脚が床を踏み締める。
少しずつ。
少しずつだが確実に。
その様子を見た瞬間。
デッドエンドの笑顔が消えた。
「うっさい!動くなし!」
鞭が振り下ろされる。
乾いた音が響いた。
次の瞬間。
ウルフの頭へ叩き込まれる。
「ぐはっ…」
轟音。
テーブルが真っ二つに砕けた。
木片が宙を舞う。
ウルフの身体が叩き付けられる。
その衝撃でベル達も巻き込まれた。
椅子ごと吹き飛び。
床へと投げ出される。
鈍い音が響く。
痺れた身体では受け身も取れない。
ベル。
ミリィ。
ロロル。
そしてウルフ。
四人は砕けたテーブルの残骸の中へ転がった。
デッドエンドは鞭を肩へ担ぎ。
不機嫌そうに頬を膨らませる。
「ったく…クソザコウルフのくせにさー」
そう言いながらも。
その目だけは楽しそうに細められていた。
デッドエンドはしゃがみ込む。
床へ転がったベルの目の前に。
そして、わざとらしく首を傾げた。
「あれー?ベールー、なんで床に落ちてるのー?」
楽しそうな声だった。
返事はない。
ベルは身体を動かせない。
デッドエンドは満足そうに笑うと、そのままベルの身体を抱き上げた。
膝の上へ乗せる。
まるで大切な人形でも扱うように。
「ふふーん、デッドちゃんがひーろった♪」
ニンマリと笑う。
「これでーベルはーあちきのもーのー」
指先がベルの頬へ触れる。
優しく。
愛おしむように。
「かーわいーいー」
ベルの瞳が揺れる。
「ぜ…ぶ、…そ…」
声にならない。
それでも伝わった。
困っている時に声をかけてくれた。
優しく微笑んでくれた。
美味しい食事を用意してくれた。
あれが全部、嘘だったなんて。
デッドエンドは瞬きをした。
そして小さく首を傾げる。
「ん?あー、うそ?うそじゃないよーん」
頬に触れたまま笑う。
「ハーブはベルのことが本当に好き。デッドちゃんもベルが大好き」
その言葉だけは妙に真っ直ぐだった。
「それだけは、ほんとーだよん」
デッドエンドはベルの顔を覗き込む。
笑っている。
けれどその瞳だけは、不思議なほど嘘をついていなかった。




