そして再び、太陽の下へー
マリカを背負ったロロルを先頭に、五人は聖堂の廊下を進んでいた。
足音を殺しながら。
周囲を警戒しながら。
けれど。
歩けば歩くほど違和感が大きくなる。
ベルが眉をひそめた。
「…ちょっと、静かすぎない?」
ミリィも周囲を見回す。
「はい…夜とは言え、変ですね…」
白夜の国とはいえ夜は夜だ。
人通りは減る。
だが、ここは聖堂。
サナトリアの中枢。
警備が緩むはずがない。
ウルフも辺りを見渡した。
「いつもこんな感じなのかい?」
ロロルは首を振る。
「いえ、ここは最重要拠点なんです。普段から昼夜を問わず巡回の警備兵がいるのに…」
誰もいない。
物音もない。
人の気配すら感じない。
あまりにも順調だった。
侵入も。
救出も。
脱出も。
上手くいき過ぎている。
その感覚が、胸の奥で少しずつ不安へ変わっていく。
やがて。
正面入口へ続く最後の廊下へ辿り着いた。
そこで全員の足が止まる。
入口が見えた。
そして同時に。
違和感は確信へ変わった。
ロロルが目を見開く。
「…誰も、いない?」
本来なら警備兵が立っているはずの場所。
来る時には確かにいた。
その姿が見えない。
誰もいない。
ただ静寂だけが広がっていた。
ベルは無意識に拳を握る。
ミリィも緊張したように息を呑む。
ウルフはわずかに目を細めた。
何かがおかしい。
入口の警備兵詰め所が見えてくる。
誰もいない。
ベル達は顔を見合わせた。
慎重に近付き、詰め所の中を覗き込む。
その瞬間。
ベルが息を呑んだ。
「…っ」
中には三人の警備兵が倒れていた。
机にもたれ掛かるように。
床へ転がるように。
まるで何者かに一瞬で制圧されたかのようだった。
ウルフがそっと近付く。
しゃがみ込み、警備兵の首元へ手を当てた。
しばらく確認した後、振り返る。
「大丈夫だ。気を失ってるだけだな」
その言葉に三人は安堵した。
ロロルも胸を撫で下ろす。
「でも一体、誰が…」
答えられる者はいない。
こんなことができる人間に心当たりもなかった。
ウルフは肩を竦める。
「理由はわからねぇが、ここは状況に甘えようぜ!」
ミリィもすぐに頷いた。
「そうです!まずは脱出してから考えましょう!」
確かにその通りだった。
考えるのは後でいい。
今は聖堂を出ることが先だ。
ロロルは背中のマリカを支え直す。
そして五人は足早に詰め所を通り過ぎた。
誰もいない入口を抜け。
ついに聖堂の外へ出る。
聖堂の入口を出る。
白い光が降り注いでいた。
夜のはずなのに暗くない。
サナトリア特有の白夜。
柔らかな陽光が街を照らしている。
ロロルの足が止まった。
背中の少女をゆっくり振り返る。
「マリカ、外だよ…久しぶりだね」
返事はない。
反応もない。
ただ静かな呼吸だけが続いている。
それでも。
ロロルは少しだけ笑った。
その時だった。
「あっ!」
ベルが声を上げる。
ロロルが慌ててマリカを見る。
ミリィも覗き込んだ。
マリカの瞼が微かに揺れていた。
眩しさを感じるように。
光を確かめるように。
ほんの僅かに。
確かに。
揺れた。
「…マリカ」
ロロルの声が震える。
「反応、してる…」
ミリィも目を見開いた。
七年。
七年間閉じ込められていた少女。
その少女が初めて外の光を浴びている。
ウルフが何か言おうとして手を伸ばす。
だが背中のマリカに気付くと、そのままロロルの肩を強く掴んだ。
そして笑う。
ロロルも小さく頷いた。
「帰ろう。マリカ」
返事はない。
けれどロロルはもう一度頷いた。
そうして五人は歩き出す。
白夜の光の下を。
七年ぶりに外へ出た少女と共に。
ウルフを先頭に、マリカを背負ったロロル、ミリィ、ベルが続く。
白夜で明るいとはいえ夜は夜。
出歩く人間は少ない。
それでも時折、人影が見えることがあった。
その度にウルフは足を止める。
様子を窺い。
別の道へ進む。
なるべく人目に触れないように。
なるべく騒ぎにならないように。
そうして何度か道を変えた。
表通りを避け。
細い路地へ入り。
さらに奥へ。
気付けば周囲を建物に囲まれた路地裏の中心まで来ていた。
その時だった。
先頭を歩いていたウルフが足を止める。
後ろを歩いていた四人も立ち止まった。
ウルフは何も言わない。
ただ前を見ている。
その背中から伝わる緊張感に、ベル達も視線を向けた。
ウルフが前から視線を外さないまま口を開いた。
「すまねぇ…囲まれちまった」
その言葉に三人の背筋が冷える。
ベルが反射的に振り返る。
ミリィも周囲へ視線を走らせた。
ロロルはマリカを背負い直しながら辺りを見回す。
気付かなかった。
いや。
気付けなかった。
建物の影。
曲がり角。
屋根の上。
路地の入口。
いつの間にか人影が立っている。
一人。
また一人。
さらに一人。
全員が黒い装束を纏っていた。
誰も動かない。
誰も喋らない。
ただそこに立っている。
逃げ道を塞ぐように。
見張るように。
待っていたかのように。
ミリィが小さく呟く。
「…誘導された?」
誰も答えない。
だが全員が同じ結論に辿り着いていた。
聖堂から出てから。
人影を避けて。
人のいない道を選んで。
安全だと思って進んできた。
その結果。
今いるのは袋の鼠になりやすい路地裏の中心部。
偶然ではない。
誰かが盤面を作ったのだ。
ベルは拳を握る。
ウルフはゆっくりと肩を回した。
ロロルは背中のマリカを庇うように立つ。
静寂が落ちる。
そして。
建物の影が揺れる。
曲がり角の奥。
積み上げられた木箱の隙間。
細い路地の入口。
そこから人影が現れた。
一人。
また一人。
さらに一人。
黒いロングコートが石畳の上を擦る。
裾が揺れるたび、赤い裏地が覗いた。
顔は見えない。
全員が白い陶器の仮面を付けている。
仮面の中央には赤い一文字。
まるで焼き印のように刻まれていた。
左肩だけを覆う金属装甲が白夜の光を反射する。
黒い手袋。
黒いブーツ。
統一された装い。
統一された歩幅。
そして右手には奇妙な剣。
幅広の刀身。
切るためではなく。
刺し貫くためだけに存在するような形状。
剣先は巨大な釘を思わせる楔。
柄頭には赤い結晶が埋め込まれていた。
楔剣。
それを握ったまま。
十人の楔兵が無言で歩いてくる。
誰も喋らない。
誰も威嚇しない。
ただ歩く。
一歩。
また一歩。
規則正しい足音だけが路地裏へ響く。
前方。
後方。
左右の退路。
いつの間にか全ての出口に楔兵が立っていた。
白い仮面が一斉にこちらを向く。
感情は見えない。
殺気もない。
それなのに。
まるで処刑台へ向かう囚人を見つめるような圧迫感があった。
十本の楔剣がゆっくりと持ち上がる。
その切っ先が五人へ向けられた。
ウルフは拳を握る。
ベルは周囲を見回す。
ミリィは顔をしかめた。
ロロルはマリカを背負ったまま硬直している。
「なんだ…こいつら!」
ウルフの低い声が響く。
「..知らない!見たことない!」
ベルも首を振った。
サナトリアの兵ではない。
神官でもない。
傭兵にも見えない。
何より。
あまりにも不気味だった。
「きもちわるい…」
ミリィが小さく呟く。
感情のない白い仮面。
無言のまま立ち尽くす楔兵達。
生きている人間より。
人形や死体の方が近いように思えた。
「あ…あぁ..」
ロロルの喉から掠れた声が漏れる。
路地裏を埋め尽くす楔兵。
逃げ道はない。
完全に囲まれていた。
五人が固まる中。
新たな声が響き渡る。
その声は軽かった。
ふざけるように。
笑うように。
誰かを馬鹿にするように。
「うまく逃げ出したーなんで思ってたー?」
十体の楔兵が左右へ分かれる。
まるで主へ道を譲るように。
整然と。
一糸乱れず。
その奥から。
カツ。
カツ。
カツ。
ヒールの音が響く。
静まり返った路地裏に不気味なほどよく響く。
やがて人影が現れた。
銀髪のツインテール。
毒々しいほど派手なゴスロリボンテージ。
左右色違いのボーダーニーハイ。
手には長い鞭。
舌を覗かせながら笑う少女。
その目には愉悦が浮かんでいた。
楔兵達が無言のまま両脇へ並ぶ。
まるで女王を迎える兵士のように。
少女は立ち止まる。
そして。
にたりと口元を吊り上げた。
「キャハハ♪」
鞭の先が石畳を叩く。
乾いた音が響く。
「あちき、もーほーんとー待ちくたびれたしー♪」
白夜の光の下。
デッドエンドが笑っていた。




