白夜の街ー
3人がホームへ降り立つと、さらに圧倒された。
人が多い。
とにかく多い。
魔術師らしいローブ姿の男女。
研究者。
商人。
冒険者。
貴族らしき一団まで歩いている。
ベルは周囲を見回した。
「まずは宿かな?」
「そうですね」
ミリィも頷く。
長期滞在になるかもしれない。
まずは拠点の確保が先だった。
しかし――。
一軒目。
満室。
二軒目。
満室。
三軒目。
満室。
四軒目。
満室。
五軒目。
満室。
日が傾き始める頃には、三人ともさすがに疲れていた。
「また駄目だった……」
ベルが肩を落とす。
受付の女性は申し訳なさそうに頭を下げた。
「本当に申し訳ありません。部屋は一つも空いておりません」
「そんなに混んでるんですか?」
ミリィが尋ねる。
女性は苦笑した。
「皆さん聖女様目当てですよ」
「やっぱり」
「会えるまで何か月もかかりますからね。長期滞在される方ばかりなんです」
宿を出る。
ベルは空を見上げた。
「何か月……」
「思った以上ですね」
ミリィも少し驚いている。
その時だった。
近くを通りかかった旅人たちの会話が聞こえる。
「東のキャンプ村はもう満員だってさ」
「じゃあ今日は西側だな」
「川沿い空いてるといいけどな」
ベルが首を傾げる。
「キャンプ村?」
ミリィは近くの商人に事情を聞いてきた。
戻ってきた顔は少し困っている。
「宿が取れない人たちが郊外で暮らしているそうです」
「暮らしてる?」
「はい。テント村ですね」
「待機している方が多すぎて、一つの集落になっているとか」
街門の向こうを見る。
遠くに無数の灯りが見えた。
煙が立ち上っている。
人影も多い。
確かに小さな村のようだった。
「すごいなぁ……」
ウルフも感心したように眺める。
「人気なんだな、その聖女様」
「世界中から集まっているみたいですからね」
ミリィは頷いた。
「街の外で野宿している方もいるそうです」
ベルは思わず苦笑した。
「私たちも仲間入りだったりして」
三人は顔を見合わせる。
そして改めて気付いた。
サナトリアに着いた。
だが――
寝る場所がない。
日はすでに傾き始めていた。
サナトリアの尖塔群が夕日に染まり、街全体が金色の光に包まれている。
だがベルとミリィには景色を楽しむ余裕がなかった。
ベルは周囲を確認しながら、そっとミリィへ顔を寄せる。
「やばい、そろそろ…」
ミリィも小さく頷いた。
「はい…変身する前にどうにかしないと」
夜になればベルは少年の姿になる。
街中でそれが起きれば面倒どころでは済まない。
最低でも人目を避けられる場所が必要だった。
そんな二人の事情など知らないウルフは腕を組みながら言う。
「どうする?今夜は野宿でもするか?」
ベルは唸る。
野宿そのものは問題ない。
問題は変身だ。
街の外で夜を迎えるのも危険な気がする。
どうしたものか。
その時だった。
「あなた達、旅の方?もしかしなくても、宿をお探しかしら?」
柔らかな声。
三人は同時に振り返る。
そこに一人の女性が立っていた。
貴族を思わせる気品。
けれど威圧感はない。
豪華な装いではないのに、不思議と目を引く。
ゆるく波打つ長い銀髪が腰まで流れていた。
夕陽を受けて銀糸のように輝いている。
背は高く、すらりとした体つき。
年齢は二十歳前後だろうか。
整った顔立ちには穏やかな微笑みが浮かんでいた。
ベルは思わず見上げる。
綺麗な人だった。
女性は三人の反応を見て、少しだけ困ったように笑う。
「やっぱりそうみたいね」
その笑顔はどこか人を安心させるものだった。
まるで初対面とは思えないほど自然に。
女性は柔らかく微笑んだ。
「もう街の宿は回ってみたのかしら?」
ベル達は顔を見合わせた。
「はい。ですが、どこも満室で……」
「あらあら」
女性は口元に手を添えてくすくすと笑う。
「やはりそうでしたか」
「そんなに宿ないの?」
ベルが尋ねると、女性は頷いた。
「聖女様へ会いに来られた方々が大勢いらっしゃいますから」
「一年待ちなんだっけ?」
「ええ」
「ひぇぇ……」
ベルは肩を落とした。
「一年待ちで来るのか」
ウルフも感心したように呟く。
「すごいですね……」
ミリィも苦笑した。
三人の反応を見て、女性は楽しそうに笑う。
「皆さん同じ反応をなさいます」
「だって一年だよ?」
「私もそう思います」
「思うんだ」
思わずベルは吹き出した。
女性もくすくすと笑う。
穏やかな空気だった。
「でしたら、宿が見つかるまで私の家へいらっしゃいますか?」
ベルは目を瞬かせた。
「え?」
「客間がありますので」
「客間?」
「ええ」
ベルは女性を見る。
上品な服装。
柔らかな笑顔。
どこかおっとりした雰囲気。
悪い人には全く見えない。
だからこそ困る。
「でも……」
「はい?」
「初対面だよ?」
「そうですね」
女性は素直に頷いた。
「でも困っていらっしゃるでしょう?」
「それはそうだけど」
「それに一人で住んでおりますので、客間も余っておりますし」
本当に何でもないことのように言う。
ベルは頭を掻いた。
ミリィを見る。
ミリィも少し驚いていたが、表情は柔らかい。
「親切な方ですね」
「だよねぇ」
ウルフは肩を竦めた。
「宿代が浮くな」
「そこ?」
「重要だろ」
ベルは少し笑った。
女性もまた楽しそうに笑っている。
「もちろん嫌でしたら無理には」
「うーん……」
ベルは少し考える。
宿は見つからない。
女性は親切そう。
ミリィも反対していない。
ウルフは最初から気にしていない。
「……じゃあ」
ベルはぺこりと頭を下げた。
「お世話になります」
女性の表情がぱっと明るくなる。
「ええ、ぜひ」
そう言って優雅に一礼した。
「私はハーヴェスト・アンセンと申します」
「ベル・ジットです」
「ミリィです」
「ウルフだ」
「よろしくお願いしますね」
夕陽に照らされた銀髪が、さらりと揺れた。
「私のことは気軽にハーブと呼んでね」
そう言うと、ハーヴェストは柔らかく微笑んだ。
「こっちよ」
そう言って踵を返し、歩き出す。
夕陽を受けた銀髪がさらりと揺れた。
どこか貴族らしい上品さがあるのに、気取ったところはない。
穏やかで柔らかな笑顔だった。
「ハーブさんかぁ」
ベルはその背中を見ながら呟いた。
「良い人そうですね」
ミリィもほっとしたように微笑む。
「お人好しにもほどがあるがな」
ウルフは肩を竦めた。
「確かに」
ベルは苦笑した。
初対面の旅人を家へ招くなんて、なかなかできることじゃない。
「でも悪い人じゃなさそう」
「はい」
ミリィも頷く。
「それに綺麗な人だし」
「ベル様」
「ん?」
「顔が緩んでます」
「えっ」
ベルは慌てて表情を引き締めた。
ミリィは小さく吹き出す。
前を歩くハーブは、そんなやり取りを聞いているのかいないのか。
ただ穏やかな笑みを浮かべながら、夕暮れの街をゆっくりと進んでいた。
前を歩くハーブの背中を追いながら、ベルはふと空を見上げた。
夕陽はまだ街を照らしている。
かなり歩いた気がするのに、太陽の位置がほとんど変わっていない。
「あれ?」
ベルは首を傾げた。
「なんか……陽が沈まなくない?」
「あっ!」
ミリィが足を止める。
「もしかしたら……サナトリアはこの時期……」
ハーブが振り返り、柔らかく微笑んだ。
「ええ、そうよ」
「今の時期はこの地域は白夜なの」
「白夜……て?」
ベルはきょとんとする。
「あーーーっ! そうでした! ごめんなさいっ! 忘れてました……」
ミリィは慌てて額を押さえた。
「説明してませんでした……!」
ハーブはくすくすと笑う。
「簡単に言うとね」
「この辺りは夏になると、夜になっても太陽がほとんど沈まないの」
「沈まない?」
「ええ」
「だから真夜中でも薄明るいままなのよ」
ベルは空を見上げた。
「ずっと昼ってこと?」
「そこまで明るくはないけれど、夜という感じもしないわね」
「へぇ……」
「慣れない方は時間の感覚が狂うこともあるの」
「それ絶対狂う」
ベルは即答した。
ハーブは楽しそうに微笑む。
「冬は逆に日がとても短くなるのよ」
「なんか大変そう」
「慣れてしまえば普通よ」
ミリィは恥ずかしそうに肩を落とした。
「知識としては知っていたのですが……」
「忘れてた?」
「忘れてました……」
「ミリィでもあるんだ」
ベルが笑うと、ミリィは少しだけ頬を膨らませた。
「あります」
「ははっ」
前を歩くハーブがまたくすくすと笑う。
太陽はまだ空にあった。
夕方なのか夜なのかも分からない不思議な光の中を、一行は歩き続けた。
ミリィがこっそりとベルの耳元へ口を寄せた。
「……この場合、どうなるんですか?」
「……何が?」
「白夜の場合……ベルさんの変身は?」
ベルが一瞬固まる。
「え……どうなる、の?」
二人は顔を見合わせた。
今まで考えたこともなかった。
ハーブが振り返る。
「どうかしたの?」
「えっ」
ベルとミリィは同時に顔を上げた。
ウルフが怪訝そうに眉をひそめる。
「二人とも、さっきから変だぞ? トイレか?」
「違うわよ!」
「違います!」
二人は同時に抗議した。
ハーブはくすくすと笑う。
「仲が良いのね」
「そういう話じゃないから!」
ベルは慌てて否定した。
ミリィは顔を赤くしながら視線を逸らす。
そして再び二人は少し距離を詰めた。
「……でも、今変身してないってことは……」
「そういうこと……ですよね」
ミリィも神妙な顔で頷く。
ベルは空を見上げた。
白夜。
つまり夜が来ない。
「……タイミングとしては都合いいかも」
「そんな……楽観的でいいんですか?」
「なんで?」
「なんでって……」
ミリィは呆れたような顔になる。
「変身できないと、困ることないんですか?」
ベルはしばらく考えた。
歩きながら。
うーんと唸りながら。
真面目に考えて。
そして結論を出した。
「……んー……まぁなんとかなるんじゃない?」
ミリィは額を押さえた。
「なりますかねぇ……」
「なるなる」
「その根拠のない自信はどこから来るんですか……」
「なんとかならなかったら、その時考える」
「それを楽観的と言うんです」
ミリィは深いため息を吐いた。
前を歩くハーブはそんな二人を微笑ましそうに見ている。
ウルフは何の話か分からないまま首を傾げていた。
「結局なんの話だったんだ?」
「秘密」
「秘密です」
「お前らなぁ……」
ウルフは呆れたように笑った。
ベルとミリィは再び顔を見合わせる。
少なくともサナトリアにいる間は、夜が来ない可能性が高い。
それがどういう意味を持つのか。
二人とも、まだ答えは分からなかった。




