タイムリミットー
ベルが眉を寄せた。
しばらくキンサシャを見つめる。
そして。
ゆっくりとしゃがみ込んだ。
怒りはもう消えていた。
困ったような顔だった。
「なぁおい…」
キンサシャの肩が僅かに震える。
「嘘ならそれでいい」
ベルは頭を掻く。
言葉を探すように。
「なんつえばいいかわかんねぇけど…」
少しだけ視線を逸らし。
それからまたキンサシャを見る。
「とりあえず警察行こうぜ?」
キンサシャが顔を上げた。
涙で濡れた顔。
赤く腫れた目。
その顔に。
ふっと笑みが浮かぶ。
「..あんたはずるい男だねぇ…」
呟くような声だった。
キンサシャはゆっくりと両手を伸ばす。
その動きに。
ラインの目が鋭くなる。
反射的に腰の剣へ手をかけた。
だが。
ベルが軽く手を上げる。
それだけで。
ラインは動きを止めた。
キンサシャの手が伸びる。
震える指先。
細い腕。
やがて。
その両腕がベルの首へ回された。
力は弱い。
今にも解けてしまいそうな抱擁だった。
キンサシャはそのまま身体を預ける。
ベルの肩へ額を押し当てる。
ベルは何もしない。
抱き返さない。
拒絶もしない。
ただ。
されるがままにそこにいた。
ギルドには静かな空気だけが流れていた。
キンサシャの腕に力が入る。
細い腕だった。
だが。
驚くほど強く。
まるで二度と離さないと言わんばかりに。
ベルの首へしがみついた。
その時だった。
「やあやあやあやあ!元気かな!?諸君!」
場違いなほど明るい声が響き渡る。
キンサシャの口元が吊り上がった。
ニヤリと。
ベルの表情が変わる。
「何!?」
ウルフが反射的に周囲を見回す。
バルザックも振り返る。
ラインは即座に剣へ手をかけた。
だが。
そこに誰もいない。
代わりに。
石畳の上へ転がっていた水晶玉が淡く光っていた。
声はそこから聞こえる。
「この声を聞いていると言うことは、私は倒されたということだねぇ!」
ゼニエダの声。
生前と変わらぬ調子。
「おめでとう!すばらしい!」
ウルフが眉をひそめた。
「なんだ、こりゃ」
水晶玉の光が脈打つ。
まるでそこに本人がいるかのように。
「さぁ!倒された私は幹部として責任を取らねばならないんだよねぇ!」
嫌な予感が走る。
ベルも。
ウルフも。
バルザックも。
ラインも。
同時に顔を強張らせた。
「と、いうわけでー」
バルザックが低く呟く。
「何が…起きる!?」
一拍。
そして。
「この建物は、300秒後に自爆するんだよねぇ!」
静寂。
一瞬。
誰も言葉を失った。
戦慄が走る。
ラインの目が見開かれる。
ウルフの顔から笑みが消える。
バルザックが舌打ちした。
ベルも息を呑む。
その瞬間。
立ち上がろうとしたベルの身体が止まる。
キンサシャだった。
ベルへ抱きついたまま。
両腕に全力で力を込める。
爪が服へ食い込む。
顔をベルの肩へ押し付けながら叫んだ。
「逃がさないよ!」
涙声だった。
だが。
その腕は離れない。
「せめて魔王殺し、あんただけはねっ!」
ぎりり、と。
キンサシャの腕がさらに強くベルの首へ絡みついた。
ウルフが舌打ちした。
天井を見上げる。
どこかで鈍い振動音が鳴り始めていた。
ゼニエダの言葉が本当なら。
この建物は本当に吹き飛ぶ。
ウルフが振り返る。
「バズ!お前の転移はたしかー」
バルザックが頷く。
「そうだ。同時に運べるのは1人だけだ」
低い声だった。
「しかも長距離転移となれば、再度能力を使うには時間が必要だー」
ラインの表情が険しくなる。
「つまり…全員は無理ということですか」
「そういうことだ」
残り時間は少ない。
全員は救えない。
キンサシャが笑った。
「ははっ…」
涙に濡れた顔のまま。
「一緒に死ねるじゃないかい」
ベルは眉をひそめた。
そして。
首に絡みつく腕を掴む。
力任せに引き剥がした。
「なっ…!」
キンサシャの身体が浮く。
ベルはそのままバルザックへ押し付けた。
「そいつ頼む」
キンサシャの目が見開かれる。
「ま、待ちなっ!」
バルザックが受け止める。
「おいおい、面倒ごと押し付けやがって」
キンサシャが暴れる。
必死にベルへ手を伸ばす。
「魔王殺し!」
ベルは振り返らない。
「知らねぇよ」
短く言い捨てる。
そして。
肩越しにウルフとラインを見る。
「いいだろ?」
ウルフがニヤリと笑った。
「ま、お前らしいな」
ラインも苦笑しながら頷く。
「ええ。そうしなければ、あとで後悔するでしょう」
ベルの口元が僅かに緩む。
キンサシャの指先が空を掴む。
届かない。
その瞬間。
バルザックとキンサシャの姿が消えた。
まるで最初からそこにいなかったかのように。
残されたのは。
ベル。
ウルフ。
ライン。
三人だけだった。
バルザックとキンサシャが消える。
静寂。
ほんの一瞬だけだった。
ウルフが肩を回す。
骨が鳴る。
全身傷だらけのまま。
ニヤリと笑った。
「で、俺たちはどうすんだい?」
ラインが懐から時計を取り出す。
蓋を開く。
針を確認した。
「残りー210秒」
淡々とした声。
だが表情は険しい。
三分半。
長いようで短い。
ベルが二人を見る。
そして。
口元を吊り上げた。
「決まってんだろ!」
毒で身体は重い。
血も流した。
それでも。
その目に迷いはない。
「全力で走るんだよっ!」
言うが早いか。
ベルが駆け出す。
石畳を蹴る。
ギルドの出口へ向かって。
ウルフが吹き出した。
「はっ!そうこなくっちゃな!」
ラインも苦笑する。
「実にベルくんらしいですね」
三人が走る。
迫り来る終末から逃れるために。
残された時間は。
ー208秒。
三人は走り続けた。
崩れた廊下を。
砕けた石畳を。
ただ前だけを見て駆け抜ける。
どこかで警報のような音が鳴っていた。
天井から砂埃が落ちる。
建物そのものが悲鳴を上げている。
ベルが走りながら振り返る。
「もしものために、ウルフの能力使えるようにしといてくれよ!」
ウルフが懐から砂時計を取り出す。
走りながらそれをひっくり返した。
さらさらと砂が落ち始める。
「もしもの時は俺も考えたがー…この能力も俺を入れて2人だけだ!」
ラインの表情が変わる。
「なら、ベルくんをー」
即座にベルが否定する。
「いや!ダメだ!」
声が響く。
「ラインを連れてけ!」
ラインが目を見開いた。
「ベルくん、それはー」
ベルが笑う。
血に濡れた顔で。
傷だらけの顔で。
それでも堂々と。
「俺を誰だと思ってんだ!?」
走る足は止まらない。
「魔王殺しだぞ!?」
その言葉に。
ウルフの口元が吊り上がる。
思わず笑みが漏れた。
「…ベル」
呆れたように。
だがどこか誇らしげに。
「おまえはほんと、漢だよ!」
三人は走る。
残り時間は刻一刻と減っていく。
それでも。
誰一人として足を止めなかった。
残り160秒。
三人は階段を駆け下りる。
足音が響く。
天井からは砂埃が降り続けていた。
建物全体が震えている。
ベルが先頭を走る。
「ここ何階だ!?」
後ろからラインが叫ぶ。
「2階だ!」
手すりを蹴るように飛び降りる。
「この階段を降ればすぐ入口ホールだよ!」
ウルフが口笛を吹いた。
「ひヒュー!」
ボロボロの身体を無理やり動かしながら笑う。
「ギリギリ間に合いそうだな!」
ラインが懐中時計を確認する。
「あと120秒!」
針は確実に進んでいた。
「間に合うよ!」
最後の階段を飛び降りる。
三人の視界が開ける。
巨大な入口ホール。
そのまま出口へ向かおうとして――
足が止まった。
ベルが立ち止まる。
ウルフも。
ラインも。
誰も一歩も進めない。
「なんてこったい!」
ウルフが顔をしかめる。
ラインも息を呑んだ。
「ここまで来て…」
ベルは黙ったまま前を見る。
入口。
本来なら外へ続いているはずの場所。
そこには。
分厚い金属製の隔壁が降りていた。
床から天井まで。
隙間一つない。
まるで脱出など最初から許さないと言わんばかりに。
3人の前に立ちはだかっていた。
ー残り100秒




