そして決着!ー
ベルの身体から白い靄のような煙が立ち上る。
竜の鱗が消えていく。
角が縮む。
翼が崩れるように霧散する。
やがて。
そこにいたのは傷だらけの少年だった。
ベルは床に手をつきながら息を吐く。
そのもとへラインとバルザックが歩み寄った。
バルザックが空になった空間を見上げる。
「…あの馬鹿、今度こそやれんだろうな」
ベルが肩を竦めた。
「大丈夫だろ」
口元の血を拭う。
「気合い入ってそうだったからな」
ラインが小さく笑う。
「信じてるんだね。彼を」
ベルとバルザックが顔を見合わせた。
そして。
同時に笑う。
「「ウルフだからな」」
その様子を。
少し離れた場所からキンサシャは見ていた。
両手で水晶玉を握りしめながら。
強く。
壊れそうなほど強く。
視線はずっと。
ウルフとゼニエダが消えた場所へ向けられていた。
十分。
誰もが息を潜めていた。
十分。
長くも短くも感じる沈黙。
誰も口を開かない。
誰も空を見上げない。
ただ。
二人が消えた空間を見つめ続けていた。
そして。
不意に空間が揺らぐ。
誰かが息を呑んだ。
次の瞬間。
二つの影が現れる。
誰かが息を呑む。
次の瞬間。
二つの影が現れる。
一つは人影。
もう一つは巨大な異形。
ギルド中の視線がそこへ集まった。
ウルフは床に座り込んでいた。
全身が血に濡れている。
服は裂け。
身体中に傷が走っていた。
両足を投げ出し。
上体を前へ傾ける。
項垂れたまま動かない。
顔も見えない。
呼吸をしているのかすら分からなかった。
そして。
その遥か向こう。
視線は自然ともう一つの影へ向かった。
離れた場所。
石畳の上。
巨大な異形がうつ伏せに倒れていた。
蠍の尾。
蝶の翅。
鋏。
黒い外骨格。
シュタッヘル・ファルター。
微動だにしない。
ただそこに倒れている。
静寂が広がった。
バルザックの頬を汗が伝う。
「…ウルフ」
ラインも息を呑んだ。
倒れた怪人。
動かないウルフ。
どちらも微動だにしない。
「…これは…」
ベルが笑った。
「大丈夫だよ」
次の瞬間だった。
カキーンッ――。
乾いた金属音がギルドに響く。
全員の視線が動く。
ウルフだった。
項垂れていた頭がゆっくりと持ち上がる。
右手。
その指の間には煙草。
先端には赤い火が灯っていた。
ウルフが大きく息を吸う。
煙草の火が強く赤くなる。
そして。
白い煙を吐き出した。
長く。
ゆっくりと。
その顔に浮かんだのは笑みだった。
ベルが笑う。
バルザックも笑う。
ラインも思わず肩の力を抜いた。
ウルフが左手を上げる。
そして。
何かを放った。
ベルが片手を伸ばす。
ぱしり。
何の苦もなく掴み取る。
手のひらの上。
赤い光が脈打っていた。
生き物の心臓のように。
どくん。
どくん。
脈動を続ける赤い結晶。
魔王核。
ベルはそれを見下ろした。
そして。
離れた場所でうつ伏せに倒れる怪人へ視線を向けた。
バルザックが歩き出す。
ゆっくりと。
傷だらけのウルフへ向かって。
やがて目の前まで来ると。
黙って右手を差し出した。
ウルフが顔を上げる。
そして。
その手を掴もうと腕を伸ばした。
だが。
ひょい。
バルザックが手を引く。
ウルフの動きが止まった。
一瞬。
虚を突かれたような顔になる。
バルザックが鼻で笑った。
「ちげぇよ、馬鹿野郎」
もう一度。
右手を差し出す。
今度はまっすぐ。
ウルフがその顔を見る。
そして。
ニヤリと笑った。
パァンッ!!
乾いた音が響く。
ウルフの平手がバルザックの手を打った。
思った以上の勢いだった。
バルザックが顔をしかめる。
振り抜かれた右手をぶらぶらと振った。
「いてーな」
眉をひそめる。
「加減くらいしやがれ」
ウルフが笑う。
バルザックも笑う。
長かった緊張が。
ようやく解けた。
キンサシャが動いた。
歩くことすらできない。
膝をつき。
手をつき。
這うようにして。
シュタッヘル・ファルターのもとへ向かう。
誰も止めなかった。
巨大な怪人はうつ伏せのまま動かない。
だが。
その外骨格から少しずつ色が失われていく。
黒が薄れる。
翅が白くなる。
鋏が白くなる。
尾が白くなる。
まるで命そのものが抜け落ちていくように。
キンサシャの喉から声が漏れた。
「あぁ…」
震える指が前へ伸びる。
「あぁぁぁあぁぁ…」
あと少し。
あと少しで届く。
だが。
その瞬間だった。
怪人の身体が崩れる。
さらさらと。
音もなく。
白い灰へと変わっていく。
翅が。
鋏が。
尾が。
外骨格が。
全てが灰となって風に舞う。
キンサシャの指先が触れた時には。
もう何も残っていなかった。
「あぁ…」
白い灰が指の間をすり抜ける。
「ああぁ..ああ…」
キンサシャが両手で顔を覆う。
肩が震える。
嗚咽が漏れる。
止まらない。
ギルドには誰も声を出さなかった。
ベルは黙ってその光景を見つめる。
風が吹く。
最後の灰が舞い上がる。
そして消えた。
ベルが小さく呟く。
「…満足したかよ…ゼニエダ…」
ウルフが煙草を口から離す。
短くなった吸い殻を見つめ。
そのまま床へ落とした。
靴先で押し付ける。
じゅっ、と小さな音が鳴った。
赤い火が消える。
ウルフはゆっくりと立ち上がった。
全身が軋む。
それでも構わず。
腰に積もった埃を両手で払う。
ぱん。
ぱん。
乾いた音。
そして。
何事もなかったような顔で歩き出した。
ベルの方へ。
バルザックも続く。
ラインも歩き出す。
ベルは一度深く息を吐いた。
まだ身体は重い。
毒も残っている。
だが。
膝に力を入れる。
ゆっくりと立ち上がった。
四人が並ぶ。
そして。
同じ方向を見る。
少し離れた場所。
キンサシャがそこにいた。
膝をついたまま。
項垂れたまま。
動かない。
灰だけが残る石畳を見つめている。
風が吹く。
だが。
キンサシャは顔を上げなかった。
四人は黙ってその背中を見ていた。
四人が顔を見合わせる。
誰も何も言わない。
だが。
答えは同じだった。
ベルが一歩前へ出る。
そして。
キンサシャへ向き直った。
「あんた、どうすんだ?」
肩が跳ねる。
びくり、と。
キンサシャの身体が震えた。
長い沈黙。
やがて。
彼女はゆっくりと立ち上がる。
ふらつく足。
それでも倒れない。
両手には水晶玉が握られていた。
強く。
壊れそうなほど強く。
俯いていた顔が上がる。
涙で濡れた頬。
赤く染まった目元。
そして。
ベルを見た。
その瞳には。
悲しみがあった。
喪失があった。
そして。
隠そうともしない憎しみがあった。
キンサシャはベルを睨みつける。
まるで。
全ての怒りをぶつけるように。
全てを奪った相手を見るように。
じっと。
キンサシャの肩が震えた。
そして。
不意に口元が吊り上がる。
涙で濡れた顔のまま。
笑った。
「ふふっ…」
肩が揺れる。
「ふふふふふっふふふっ…」
笑い声は次第に大きくなる。
「ふははははははっ」
四人の表情が変わる。
バルザックが眉をひそめた。
ラインも警戒する。
ウルフの目が細まる。
キンサシャが水晶玉を掲げた。
四人の身体が僅かに強張る。
だが。
キンサシャは勝ち誇ったように笑った。
「ゼニエダを…倒したからって油断してるんじゃないよっ!」
涙に濡れた目がベルを射抜く。
「いいのかい?」
水晶玉を握る手に力が入る。
「あんたたちが来るのを見越してたあたしたちが、なんの準備もしてないとでも、思ったのかい!?」
バルザックの顔から笑みが消える。
「…なんだと?」
ラインも警戒を強めた。
「どういうことでしょう?」
キンサシャが笑う。
まるで復讐を果たした人間のように。
「…あたしゃ、事前にあんたらの仲間の、あのガキを攫ってんのさ!」
空気が凍った。
四人の脳裏に同じ姿が浮かぶ。
金髪の少女。
小さな身体。
いつも敬語で話す少女。
ミリィ。
ベルの目が細まる。
「…てめぇ…ミリィを…」
ウルフが一歩踏み出そうとする。
怒気が漏れる。
だが。
その肩をベルが手で制した。
視線はキンサシャから外さない。
一瞬たりとも。




