究極怪人VS魔王殺しー
キンサシャの顔から血の気が引く。
目の前に立つ異形を見上げながら。
震える声を絞り出した。
「そんな…ゼニエダ…」
一歩。
後ずさる。
「あんたついに…人間までやめちまったのかい…」
その言葉に。
シュタッヘル・ファルターが笑う。
巨大な翅を震わせ。
蠍の尾を揺らしながら。
「何を言う!」
その声はもはや人のものではない。
重なり合うような異様な響き。
「私はおまえと知り合った時からすでにー」
両腕を広げる。
まるで舞台の上に立つ役者のように。
誇らしげに。
堂々と。
「究極怪人であったよ」
キンサシャの膝から力が抜けた。
その場に崩れ落ちる。
ぽろりと涙が落ちた。
長い付き合いだった。
誰よりも理解できない男だった。
だが。
目の前のそれは。
もう理解できないとか、できるとか。
そんな段階ですらなかった。
ベルはその様子を横目で見る。
そして。
静かにゼニエダを見上げた。
「…人間捨てた奴に、負けるかよ」
両肘から伸びる刃が冷気を放つ。
白い霜が床を這った。
ゼニエダが笑う。
楽しそうに。
本当に楽しそうに。
「ふっ」
翅が揺れる。
「もっとも」
蠍の尾がゆっくりと持ち上がる。
「人間からかけ離れた君が、それを言うのは」
紫の複眼がベルを映す。
「なんだかおかしいよねぇ」
ベルは答えない。
ただ。
腰を落とす。
両足に力を込める。
その姿を見て。
ゼニエダの笑みがさらに深くなった。
「そうだ」
歓喜に震える声。
「それでいい」
巨大な鋏が開く。
「来たまえ」
翅が大きく広がった。
「魔王殺しベル・ジット」
ベルが駆け出す。
一直線に。
怪人へ向かって。
そして叫んだ。
「バルザックーーーーー!」
咄嗟に察したバルザックが右手で印を結ぶ。
「転移!!」
瞬間。
ベルの姿が消える。
次の瞬間。
シュタッヘル・ファルターの懐へと現れた。
ベルが両腕を引く。
そして同時に振り抜いた。
交差する二本の刃。
怪人の腹部へ迫る。
だが。
ガギィンッ!!
怪人の巨大な右鋏が割り込む。
二本の刃を受け止めた。
表面が瞬時に凍りつく。
しかし。
白い蒸気が立ち上る。
凍結はみるみる溶けていった。
ベルが舌打ちする。
「ちっ!」
その瞬間。
ベルが強く地面を蹴った。
床が砕ける。
そして。
怪人の足元の影が揺れた。
黒い波紋のように広がる。
次の瞬間。
無数の腕が影から飛び出した。
腕。
腕。
腕。
数え切れない黒い手が怪人の脚へと絡みつく。
腰へ。
尾へ。
下半身へ。
幾重にも巻き付き拘束する。
シュタッヘル・ファルターが目を見開いた。
その隙に。
ベルが大きく後方へ跳ぶ。
距離を取る。
着地と同時に滑るように下がる。
そして刃を構えたまま怪人を睨み据えた。
ベルが両肘から伸びる刃を引っ込める。
冷気が消える。
そして。
だらりと両手を垂らした。
シュタッヘル・ファルターが複眼を細める。
「諦めたのかねぇ?」
巨大な翅が揺れる。
「いや、それはないだろうねぇ」
蠍の尾がゆっくりと持ち上がる。
「ならばー…」
ベルがニヤリと笑った。
「そうだ!」
右手を振り上げる。
拳を握る。
「作戦変更!」
その瞬間。
その瞬間。
ベルの首筋に黒い鱗が浮かび上がる。
それは瞬く間に全身へと広がった。
肩を覆い。
胸を覆い。
腕を覆う。
皮膚を押し退けるように現れた竜鱗が、鈍い光を放つ。
筋肉が膨張した。
服の上からでも分かるほどに。
肩幅が広がり。
腕が太くなる。
足元の床がミシリと軋んだ。
ラインが目を見開く。
キンサシャが息を呑んだ。
変化は止まらない。
ベルの背中が大きく盛り上がる。
骨が軋む音。
肉が裂ける音。
次の瞬間。
轟音と共に巨大な翼が広がった。
暴風。
砕けた机や瓦礫が吹き飛ぶ。
砂埃が舞い上がる。
銀色の瞳が縦に裂けた。
額から二本の角が伸びる。
人の姿を残しながら。
確かに別の生き物へと変貌していく。
シュタッヘル・ファルターが歓喜に身を震わせた。
翅を広げる。
鋏を打ち鳴らす。
「素晴らしいっ!」
尾が高く持ち上がる。
「実に素晴らしいよねぇ!」
ベルは何も答えない。
ただ怪人を見据える。
竜の瞳で。
その全身を観察するように。
測るように。
やがて。
鱗に覆われた右手をゆっくりと握った。
爪が軋む。
そして。
小さく息を吐く。
「……さて」
翼がゆっくりと広がる。
床に落ちた瓦礫が風で転がった。
ベルが一歩前へ出る。
その姿を見て。
シュタッヘル・ファルターの笑みがさらに深くなった。
ベルがニヤリと笑う。
鋭くなった牙が覗いた。
竜の翼がゆっくりと広がる。
「おまえに合わせてやる!」
その言葉に。
シュタッヘル・ファルターが歓喜の声を上げた。
翅が震える。
鋏が打ち鳴らされる。
尾が天井へ向けて高く掲げられた。
「素晴らしい!」
怪人の全身から喜悦が溢れる。
「それでこそ、魔王殺し!」
次の瞬間。
ベルの姿が消えた。
床が爆ぜる。
轟音。
砕けた石片が宙へ舞う。
シュタッヘル・ファルターの複眼が見開かれた。
速い。
先程までとは比較にならない。
怪人が咄嗟に鋏を振り上げる。
その直後。
ベルが眼前に現れた。
竜の腕が握り締められている。
そして。
拳が放たれた。
ベルの右拳が怪人の左頬を打ち抜いた。
轟音。
複眼に亀裂が走る。
外骨格が砕ける。
紫色の破片が飛び散った。
怪人の顔が大きく弾かれる。
「なっ…」
言葉が終わる前に。
ベルはさらに踏み込んでいた。
床が砕ける。
竜の翼が風を巻く。
そして。
左足が怪人の右頬を蹴り抜いた。
バキィッ!!
今度は右側の外骨格が割れる。
複眼に蜘蛛の巣状の亀裂が広がった。
怪人の巨体が大きく揺れる。
「私の複眼で…捉えきれない…!?」
よろめきながらも。
シュタッヘル・ファルターは笑った。
「素晴らしい!」
砕けた複眼の隙間から歓喜が溢れる。
「実に素晴らしいっ!」
ベルは追撃する。
右。
左。
右。
鋭い拳が連続で叩き込まれる。
外骨格が砕ける。
破片が飛ぶ。
怪人の身体が殴られるたびに揺れた。
それでも。
シュタッヘル・ファルターは笑っていた。
「これだ!」
拳を受けながら。
「私が見たかったものは!」
ベルの拳が怪人の腹部へ突き刺さる。
衝撃が背中まで貫通した。
巨大な身体が浮く。
しかし。
ベルはそこで初めて眉をひそめた。
腹部の甲殻。
砕けていない。
ひびは走っている。
だが。
割れない。
怪人が笑う。
「気付いたかねぇ」
砕けた複眼の奥で。
歓喜に濡れた瞳が細められた。
「この外骨格は、表面は砕けても内部まではダメージが通らない」
砕けた甲殻の隙間から紫色の光が漏れる。
それでも怪人は嬉しそうだった。
心の底から。
「とはいえ、そう易々と砕けるものでもないんだけどねぇ…」
巨大な翅が震える。
鋏が鳴る。
「そこも含めてすばらしいっ!」
そして。
ベルが瞬間的に後ろへ跳んだ。
竜の翼が風を裂く。
直後。
ドゴォッ!!
怪人の蠍尾が床へ突き刺さった。
石畳が砕ける。
破片が弾け飛んだ。
ベルが着地する。
視線は尾から離さない。
「…あぶねーもん持ってるじゃねぇか」
怪人が笑う。
砕けた複眼の奥で。
「これを避けるとは…いやはや」
ゆっくりと尾が引き抜かれる。
その時だった。
突き刺さっていた石畳から白い煙のようなものが立ち上る。
ジュウゥゥッ。
石が変色する。
黒く。
腐るように。
溶けるように。
ベルの目が細まった。
「これは…」
怪人が嬉しそうに尾を揺らす。
「蠍といえば、毒だよねぇ」
尾の先端から紫色の液体が一滴落ちる。
床に触れた瞬間。
再び石が音を立てて崩れた。
怪人が両腕を広げる。
「安心したまえ」
巨大な翅がゆっくりと広がる。
「即死ではない」
そして。
楽しそうに笑った。
「君を殺してしまったら、実にもったいないからねぇ」
ベルが目を細める。
尾の先から滴る紫色の毒を見ながら。
「即死しないってだけなんだろ?」
怪人が満足そうに頷いた。
「そういうことだねぇ」
翅が揺れる。
尾がゆっくりと持ち上がる。
「即死はしないけど放置すればいずれ死ぬ」
嬉しそうに。
本当に嬉しそうに。
「そしてそれまでが地獄の苦しみ」
ベルが小さく鼻を鳴らした。
怪人は続ける。
「そしてこれはー」
胸を張る。
誇るように。
見せびらかすように。
「魔王にすら効く」
一瞬。
ギルドの空気が張り詰めた。
ベルは黙って怪人を見つめる。
そして。
口元を歪めた。
「そいつぁ…すげぇじゃん」
怪人の翅が大きく広がる。
「そうだろう!?」
砕けた複眼の奥で瞳が輝く。
「わかるかねぇ!?」
「わかるさ」
ベルが頷く。
「魔王に効く毒なんて聞いたことねぇ」
怪人が歓喜に打ち震えた。
「そうだろう!そうだろうとも!」
鋏を打ち鳴らす。
尾が嬉しそうに揺れる。
「長かったんだよねぇ!」
「失敗して!」
「失敗して!」
「失敗して!」
「ようやくここまで来たんだよねぇ!」
ベルは黙って聞いていた。
怪人は止まらない。
研究者の顔で。
子供のような顔で。
誇らしげに叫ぶ。
「魔王すら殺せる毒!」
「魔王の攻撃すら耐えうる外骨格!」
「魔王すら凌駕する怪人!」
そして。
鋏をベルへ向ける。
「どうかねぇ!?」
「私の究極は!」




