交渉の行方ー
アルティシアはゆっくりと指先を組み直し、まるで場を仕切り直すように一度だけ息を整えた。
視線はまっすぐベルへと向けられる。
「では、改めてお話いたしますわ。私がベル様に求めるものは3つ」
静かな声だったが、ひとつひとつを区切るように明確だった。
「まず1つ目。ルグレシアとベル様――魔王殺しとの関係を、対外的に明確に示すこと」
指を1本立てる。
「2つ目。反対勢力から、私個人およびルグレシア王国を守る力となっていただくこと」
もう1本、指が増える。
「そして3つ目。世界連盟という枠組み、その成立に向けた協力」
3本目の指が揃ったところで、手を静かに下ろす。
わずかな間を置き、今度は自分の側へと話を移した。
「対して、私が差し出せるものも同じく3つ」
声色がわずかに柔らぐ。
「各国、各組織に対する牽制。ベル様に対する軽率な干渉を許さないための枠組みを整えます」
「次に、世界連盟という形での保護の明示。個人ではなく、体制として守るということです」
そして、最後だけほんの少しだけ間を取る。
アルティシアの頬に、かすかな熱が宿る。
「――そして、私自身」
その言葉は先ほどまでの説明とは明らかに温度が違っていた。
室内に、わずかな沈黙が落ちる。
ミリィは言葉を失い、ベルの横顔を見る。
提示されたものの重みと、最後の一言の意味を、どう受け止めるべきか測りかねていた。
アルティシアは一度だけ指先を重ね、わずかに思案するように目を伏せた。
「細部についても、いくつか整理しておきましょうか」
ベルが軽く首を傾げる。
「細部?」
「ええ。まず、ベル様のご負担についてですが――常時拘束するつもりはございません」
穏やかな口調のまま続ける。
「防衛に関しては、明確な脅威が確認された場合のみ。連盟への関与も、象徴としての側面を主とし、実働は必要に応じて」
ミリィが小さく安堵の息を吐く。
アルティシアはその反応を確認してから、さらに続けた。
「また、この関係は恒久的なものではございません。連盟が一定の形を得た段階で、見直しも可能といたします」
ベルの視線がわずかに鋭くなる。
「……やめる選択もあるってこと?」
「もちろんですわ。双方の合意があれば、いつでも」
あっさりとした返答だった。
ミリィが今度は少し身を乗り出す。
「情報の扱いは……?」
「限定いたします。偽装であることを知るのは最小限。教会、大陸警察、ギルドについては“関係強化”までの共有に留めます」
淡々とした説明。
その上で、わずかに口元が緩む。
「外向けの物語は、こちらで統一いたしますのでご安心を」
ここでミリィが、少しだけ眉をひそめた。
「……あの、最後の条件なんですけど」
一瞬だけ間が空く。
アルティシアが視線を向ける。
ミリィは言いにくそうにしながらも続けた。
「その……ご自身の、心と身体って……」
アルティシアは即座に微笑む。
「はい。重要な要素かと」
アイザックがすかさず咳払いを挟む。
「殿下」
しかし止まらない。
「関係性の強化には不可欠ですもの。内政的にも外交的にも」
「違います」
アイザックの声がわずかに強くなる。
ベルが顔を押さえる。
ミリィは完全に言葉を失っていた。
それでもアルティシアは涼しい顔で締めくくる。
「いずれにせよ、条件としては以上になりますわ」
ベルはアルティシアをまっすぐに見つめたまま、わずかに声を落とした。
「…アルティシアは、本当にそれでいいの?」
確認するような問いだった。
アルティシアは一切迷うことなく、微笑みを崩さずに答える。
「全て、私の希望通りです」
即答だった。
ベルはじっとその表情を見つめる。
「本当に?本当に本当?」
重ねる問いに、今度はほんのわずかだけ――アルティシアの視線が揺れた。
そして、そっと目を伏せる。
「もし…私のわがままを聞いていただけるのなら…」
その言葉に、ベルとミリィは顔を見合わせ、小さく頷く。
アルティシアはゆっくりと顔を上げる。
どこか遠くを見るような目だった。
頬がほんのりと色づいている。
「子供は最低5人欲しいです。性別は問いません。どちらでも愛する自信があります」
言い切った。
空気が止まる。
ミリィの思考が一瞬で停止し、アイザックは静かに天を仰ぐ。
ベルは数秒遅れて、こめかみを押さえた。
「ん…それは自分で伝えて欲しいかな」
静かなツッコミだった。
ミリィが遠慮がちに、そっと手を挙げた。
それに気付いたアルティシアが、優雅な所作で右手を差し出し、発言を促す。
「側室は…ありですか?」
控えめながらも、はっきりとした問いだった。
アルティシアは一瞬の間も置かず、微笑む。
「もちろんです。むしろ必要と考えます。王族として万が一の備えは必要かと」
極めて現実的な回答だった。
ベルがわずかに首を傾げる。
「ん…?あれ?」
小さな違和感を拾い上げるような声。
アルティシアが視線を向ける。
「どういたしました?」
ベルは考えるように目を細める。
「もし本当に、あいつとアルティシアが結婚した場合…あいつは王様になるの?」
ミリィもはっとしたように顔を上げた。
その疑問に、アルティシアはふっと柔らかく笑う。
「素敵な想像をありがとうございます。ですが、そうはなりません」
即座に否定する。
ミリィが身を乗り出す。
「と、言いますと…?」
アルティシアは落ち着いた声で説明を続けた。
「ベル様と私が本当に結婚した場合、ベル様は王族にはなります。なりますが、王にはなりません。その場合、王位を継ぐのは私の弟になりますね」
淡々とした説明だったが、その制度の線引きは明確だった。
ベルは肩の力を抜くように、小さく息を吐いた。
「それを聞いて安心したよ。あいつに王様なんて無理だもの」
率直な感想だった。
だが、アルティシアは即座に首を横には振らない。
むしろ静かに、肯定するように言葉を返す。
「いえ、私は存外、向いているのではないか、そう思います」
その声音は冗談ではなかった。
ベルはわずかに顔をしかめる。
「…えー?そっかなぁ」
半信半疑のままの返答。
アルティシアは迷いなく頷く。
「はい。私はそう感じます」
断言だった。
その横で、ミリィが小さく口を開く。
「…それは、私もそう思うかもです」
控えめではあるが、同意は明確だった。
ベルはゆっくりと視線を二人の間で行き来させる。
そして、わずかに引いたような顔で呟く。
「…マジか」
場の空気が、ほんの少しだけ変わった。
ミリィは少しだけ視線を落とし、考えをまとめるように間を置いてから口を開いた。
「世界連盟…成立すると思いますか?」
静かな問いだった。
アルティシアはその言葉に、迷いなく頷く。
「ベル様との出会いから、私も色々な国や組織の方と関係を持たせていただいています」
ゆっくりと、確かめるように言葉を紡ぐ。
「きっとうまくいく。いいえ、うまくややります。必ず」
わずかな言い直しすら、そのまま押し切るような強さがあった。
そして――一切の揺らぎなく、言い切る。
「この命に代えましても」
その一言が、空気を重く沈めた。
冗談でも誇張でもない、覚悟そのものだった。
アルティシアはふっと視線を落とし、そのまま静かに言葉を続けた。
「そのためでしたから…私の心と身体などいくらでも、魔王殺しに差し出せる所存です…」
先ほどまでの覚悟の延長にある言葉――のはずだった。
ベルは間を置かずに、短く返す。
「本音は?」
わずかな沈黙。
アルティシアは顔を上げる。
頬はほんのりと赤く、そのまま迷いなく言い切った。
「出来るならベル様の方から求めていただきたく...」
空気が一瞬で崩れる。
後方から、大きくわざとらしい咳払いが響いた。
アイザックだった。
重苦しかったはずの場が、完全に別の方向へ転がっていた。




