それは大問題だねー
「別に私は、あいつがいいなら構わないけど?」
ベルは特に構えた様子もなく、自然に言葉を続けた。
「私たちの身体のことも知ってるし」
ミリィはわずかに間を置き、静かに視線を落とす。
「…それですよ」
ベルは小さく首を傾げた。
「?」
ミリィはすぐには顔を上げず、言葉を選ぶように続ける。
「…ずっと気になっていたんですけど…」
ベルは身を少し乗り出し、興味を示すように覗き込む。
「なになに?」
ミリィはストローから口を離し、そのままカップの縁を見つめながら、ゆっくりと口を開こうとしていた。
ミリィは周囲を気にするように一度だけ視線を巡らせ、それからそっと身を乗り出した。ベルの耳元に顔を寄せ、声を潜める。頬にはわずかに赤みが差していた。
「その…例えば…2人がその気になった時に…」
ベルは一瞬だけきょとんとした表情を見せる。
「その気…?」
ミリィは言葉に詰まりながらも、どうにか続ける。
「だから、その…いちゃいちゃしてるうちに…その…」
その言い方で察したのか、ベルの頬にもじわりと熱が上がる。
「…続けて」
ミリィは小さく頷き、さらに声を落とした。
「…その何かしら…あったとして…」
ベルは気まずそうにしながらも、相槌を打つ。
「ふんふん…」
ミリィはほんの少しだけ顔を上げ、それでも目を合わせないまま言った。
「途中で朝になったりしたら…どうなっちゃうんでしょう?」
その問いに、ベルは赤くなったまま視線を落とす。しばらく何かを考えるように沈黙し、やがてゆっくりと顔を上げた。
「それは…気まずいね」
ミリィは小さく頷き、まだ赤みの残る頬のまま確認するように見上げた。
「…ですよね?」
ベルは肩をすくめ、ため息混じりに返す。
「めちゃめちゃ大問題だよ…私にとって」
ミリィはすぐさま身を乗り出すようにして言葉を重ねた。
「ですよね?ですよねですよね?」
勢いに押されるように、ベルは少しだけ視線を逸らす。
「今までも…目が覚めたら隣に知らない女の人が寝てたことはあったけど…」
その言葉に、ミリィは一瞬だけ反応しかけるが、何も言わずに飲み込む。
「明確に何かしらやらかした感じはなかったから…ちょっと気まずいくらいで済んだけど」
ミリィは呆れ半分に息を吐く。
「それも…すごいですけどね」
ベルはあっさりと返した。
「…慣れよね」
ミリィの表情がさらに引き締まる。
「知り合い、形だけでも婚約者、しかも王族となると…」
ベルは軽く頷きながら、状況を補足する。
「アルティシアだしね…彼女はその気なわけだし」
ミリィは想像してしまったのか、わずかに顔をしかめた。
「…想像すると恐ろしくて」
ベルはその反応を見て、ふと口元を緩める。
「それにしても…ミリィもそんな想像するんだね?」
ニヤリと笑う。
ミリィはびくりと肩を揺らし、耳まで真っ赤に染めて抗議した。
「ち…違います!私はただ…考えられるリスクをですねぇ…」
ベルはその様子を楽しむように、軽く手を振る。
「わかってるわかってる、わかってるって」
ニヤニヤと笑いながら、どこか余裕のある態度を崩さなかった。
ミリィは少しだけ躊躇いながらも、現実的な可能性を口にする。
「だって婚約したら…一緒に住んだり、するわけですよね?」
ベルは予想外だったのか、目を瞬かせた。
「え?それはないんじゃない?」
ミリィは首を横に振り、淡々と補足する。
「でも…王侯貴族は結婚の前に婚約した時点で、相手の家に住んで花嫁修行をしたり、しますよ?」
その説明に、ベルの表情が固まる。
「…嘘でしょ?」
間を置かずに返ってくる。
「マジです」
短い断言だった。
ベルは言葉に詰まり、視線を泳がせる。
「で…でも、今回は偽装なわけだし、ねぇ?」
どこか頼るような言い方だったが、確信はない。
ミリィは少しだけ言いにくそうに続ける。
「…アルティシアさんも、そのつもりなら、いいんですけど…」
その含みのある言い方に、ベルの顔色がわずかに変わる。
「私、ちょっとマズったかな?」
ミリィは慎重に、しかし否定はせずに答えた。
「かも…しれません」
ミリィの言葉が落ちた、その直後だった。
「もちろん、一緒に住みますわ」
不意に背後から差し込まれた声に、二人の動きが同時に止まる。
次の瞬間、揃って盛大にドリンクを吹き出した。
むせ返りながら、慌てて振り向く。
いつの間にか、二人のすぐ後ろにアルティシアが立っていた。
ベルはむせながらも、目を見開いたままその姿を見上げた。
「ア、アルティシア?」
ミリィも慌てて姿勢を正し、驚きを隠せないまま問い返す。
「ど…どうしてここに?」
アルティシアは二人を見下ろしながら、余裕のある微笑みを浮かべた。
「ルグレシア内で起こることに、私が気付かないとお思いで?」
その言葉に、ベルの表情がわずかに引きつる。
「もしかして…」
アルティシアは静かに頷いた。
「はい。お2人が到着した瞬間から、私の耳に入っておりました」
穏やかな口調でありながら、その内容は逃げ場のないものだった。
アルティシアは静かに一歩前へ出ると、スカートの裾を優雅に摘み、そのまま丁寧に一礼した。
「この度は私のわがままをお聞きいただきまして、ありがとうございます」
突然の改まった態度に、ベルは戸惑いながらも慌てて言葉を返す。
「う、うん、私たちにとっても都合よかったから…」
ミリィは少しだけ身を乗り出し、確認するように問いかけた。
「あ、あくまでも偽装、なんですよね?」
アルティシアは柔らかな笑みを浮かべたまま、迷いなく頷く。
「はい。もちろんです」
その一言に、ベルとミリィは揃って肩の力を抜いた。
張り詰めていたものが緩み、小さく息を吐く。
しかし――。
「今はまだ」
その続きに、再び空気が固まる。
ベルの表情が引きつる。
「ちょっと…」
ミリィも同じように眉をひそめる。
「不安しかない」
二人の反応を前にしても、アルティシアの微笑みは崩れなかった。
ベルはまだ動揺を引きずったまま、恐る恐る問いかける。
「で、でも本当に一緒に住むつもり?」
アルティシアは即答した。
「はい。もちろんです。習わしですので」
迷いのない断言だった。
ベルは言葉に詰まりながらも、現実的な問題を口にする。
「でも…どこで?私たち、家なんてないよ?」
それに対しても、アルティシアの態度は変わらない。
「どこでも構いません。街の宿でも馬小屋でも、野宿だって大丈夫です」
さらりと告げられた内容に、ベルは思わず顔をしかめた。
「いや…さすがにそこまではないけど」
常識の線引きを確認するような返しだったが、アルティシアの表情は依然として余裕を保っていた。
ミリィは慌てて身を乗り出し、常識的な懸念を口にする。
「そ、それに…王族の方を街の宿に泊まっていただくわけには…」
アルティシアは一瞬だけ考える素振りを見せ、それから軽く手を打ち合わせた。
「それならー」
そのまま、自然な流れで提案を口にする。
「王城にベル様たちが住まわれるのは、いかがでしょう?」
あまりにも当然のように提示された選択肢に、空気が一瞬止まる。
ベルは間髪入れず、顔をしかめた。
「え…嫌だよ」
即答だった。
アルティシアはわずかに首を傾げながらも、落ち着いた声音で続ける。
「…安心かつ安全、そして豪華な生活を保障いたします」
しかしベルは、間を置かずに首を横に振った。
「…嫌だってば」
即答に、アルティシアの眉がわずかに寄る。
「なぜですか?」
ベルは肩をすくめ、当たり前のことのように答えた。
「私は旅をしてるし、魔王殺しもやんなきゃだし、1箇所にずっとはいられないもの」
その理屈に、アルティシアは少し考える素振りを見せる。
「では私が旅に同行するしか…」
だが、その案にもベルは首を振る。
「それもアルティシアの安全とか考えると、ちょっと」
静かに否定され、アルティシアは一瞬言葉を失った。
「では…どうしましょう?」
珍しく判断を委ねる形になる。
ベルも腕を組み、少し考え込む。
「うーん…どうしよっか」
そのやり取りに、ミリィが慌てて割って入った。
「ちょ、ちょっと待ってください」
ベルが振り向く。
「どうしたの?」
ミリィははっきりと言い切る。
「ベルさん…いつの間にか一緒に住む前提で話進めてますよ!」
その指摘に、ベルがはっとする。
「あっ」
一拍遅れて、アルティシアが楽しげに微笑んだ。
「あら…お気付きになりました?」




