ベルからの手紙ー
そうして一か月が経った頃、一通の手紙が届いた。
差出人の名前を見た瞬間、胸が少しだけ軽くなる。
ベルさんからだ。
大陸横断列車の影響で、区間内なら郵便も三日ほどで届くようになっていた。
ほんの少し前までは考えられなかった速さだ。
封を切り、中身に目を通す。
内容は、簡潔だった。
――ミリィがいなくなってマジ大変。できれば早く帰って来て。
思わず、口元が緩む。
抑えようとしても、表情が勝手に崩れる。
頬が少し熱い。
私は手紙を軽く握りしめて、もう一度だけ読み返した。
同じ内容なのに、さっきよりも少しだけ、重みがあるように感じた。
手紙の内容をパティに伝えた瞬間だった。
「……え?」
一拍遅れて、理解が追いつく。
そして――
「お嬢様が……お戻りに……っ……」
次の瞬間には、もう止まらなかった。
「うぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
盛大に号泣。
さっきまでの落ち着きはどこへ行ったのか、という勢いで泣き崩れる。
私は反射的に肩を掴んで支える。
(……やっぱりこうなるよね)
内心でため息をつきながらも、すぐに切り替える。
「だ、大丈夫だよ、ちゃんと戻ってくるから……!」
「お嬢様ぁぁぁぁ……!」
全然聞いていない。
私はそのまま、あの手この手で宥める。
頭を撫でて、言葉をかけて、少し持ち上げて視線を合わせて――
「パティのおかげで、すごく助かったし……!」
「ほんとに?」
「ほんとほんと!すごく頼りになったし!」
「……っ……!」
褒める。
とにかく褒める。
少しずつ、泣き声が弱くなっていく。
時間をかけて、ようやく落ち着いた頃。
パティは目を赤くしたまま、こくりと頷いた。
「……お見送りの準備、いたします」
その言葉に、私はほっと息をついた。
(……よし)
ひとまず一つ、越えた。
私は小さく気を引き締める。
次は――
クレタにも、話さないといけない。
クレタにその話をすると、拍子抜けするくらいあっさりした反応が返ってきた。
「よかったじゃねぇか」
それだけだった。
私は少しだけ目を瞬かせる。
「……それだけ?」
クレタは肩をすくめる。
「それ以上なんかあんのかよ」
いつも通りの口調。
けれど、どこかあえて軽く流しているようにも見えた。
私は少しだけ言葉を探す。
「その……もうすぐ、帰ることになると思う」
「おう」
短い返事。
間が空く。
風が、練習場の砂をわずかに揺らした。
クレタは剣を肩に担いだまま、空を見上げる。
「まぁ、なんだ」
少しだけ、言葉を選ぶように間を置いてから。
「サボんなよ」
視線はこっちに向けないまま言う。
私は思わず小さく笑った。
「サボらないよ」
クレタは鼻で笑う。
「どうだかな」
それでも、その声はいつもより少しだけ柔らかかった。
クレタはふっと表情を消し、真剣な顔になる。
さっきまでの軽さが、きれいに消えていた。
「うちは必ず神殿を復活させる。そん時、誰かが立ち塞がるなら全力で殲滅する。たとえそれが、ミリィ、てめぇであってもな」
その言葉は、静かだった。
けれど、重かった。
逃げ道のない、まっすぐな宣言。
私は一瞬、言葉を失う。
クレタはそのまま続ける。
「ゆめゆめ忘れんな」
視線が、まっすぐにこちらを射抜く。
冗談も、軽口もない。
ただの事実として、突きつけてくる。
私は小さく息を吸う。
胸の奥で、何かがきしむ。
それでも、目は逸らさなかった。
「……うん」
短く、頷く。
それ以上の言葉は出なかった。
でも、それで十分な気がした。
クレタの言葉を受け止めたまま、私はしばらく動けなかった。
胸の奥に残る重さは消えない。
けれど、不思議と嫌な感じではなかった。
(……きっと)
ふと、そんな考えが浮かぶ。
クレタが作ろうとしているものは、前にあった神殿とは違う。
同じ「神殿」という言葉でも、中身はきっと別物になる。
あの人のやり方で。
あの人の信じ方で。
荒くて、不器用で、それでもまっすぐな形に。
私は小さく息を吐く。
まだ何も見えていないのに、なぜかそう思えた。
ただの勘かもしれない。
でも――
それでもいい気がした。
私は父と母、そしてトレントや屋敷のみんなにも、一人ずつ帰ることを伝えて回った。
それぞれ反応は違ったけれど、大きく止められることはなかった。
ただ、少しだけ寂しそうな顔をされた気がする。
今回の帰省は、思っていたより屋敷の外に出る機会が少なかった。
街も、景色も、ほんの少ししか見られていない。
(……次は)
ふと、そんな考えが浮かぶ。
今度は――一人じゃなくて。
「ベルさんたちと、来よう」
小さく呟く。
その方が、きっと楽しい。
その方が、もっとちゃんと見られる気がした。
私は屋敷を振り返る。
見慣れたはずの景色が、少しだけ違って見えた。
ベルさんへの返事を書き終え、私は郵便局へと向かった。
窓口で手紙を差し出し、確かに受け取られるのを見届ける。
ほんの少しだけ、胸が軽くなる。
これで、伝わる。
外に出ると、クレタが腕を組んで待っていた。
「終わったか」
「うん」
短く答えて、並んで歩き出す。
護衛という名目でついてきているけれど、いつも通りの距離感だった。
他愛のない会話もなく、ただ足音だけが続く。
帰り道、ふと人気のない路地裏に差し掛かる。
人の気配が薄く、音も少ない。
そのときだった。
クレタの足が止まる。
私は一歩遅れて、隣で立ち止まる。
「……どうしたの?」
問いかける。
クレタは答えない。
ただ、前を見据えたまま、わずかに重心を落とした。
空気が、変わる。
さっきまでの静けさとは違う、張り詰めた気配。
私は無意識に息を潜めた。
クレタは前を見据えたまま、ぽつりと口を開く。
「明日、行くんだろ?」
私は少しだけ背筋を伸ばして、静かに頷いた。
「……うん」
その返事を聞いて、クレタはわずかに笑う。
「今のミリィを、うちに見せてくれ」
そう言って、両手を前に出す。
肩の力は抜けているのに、隙がない構えだった。
私は一瞬だけ戸惑う。
「え?ここで?今?」
人気のない路地裏。
さっきまでただの帰り道だった場所。
クレタは楽しそうに笑う。
「戦いなんてもんは、いつどこで始まっか、わかんねぇぞ?」
その言葉は軽いのに、妙に現実味があった。
私は小さく息を吸う。
(……そうだよね)
ここまで散々教えられてきたことだ。
私は足を開き、重心を落とす。
両手を前に出して、構える。
クレタの視線と、まっすぐぶつかる。
さっきまでとは違う空気が、二人の間に流れた。
クレタが軽く顎をしゃくる。
「おら、来いよ」
その一言に、私は迷いなく踏み込んだ。
間合いに入る。
拳をまっすぐ突き出す。
――当たる、と思った。
けれど。
クレタはその場から動かない。
足の位置はそのまま。
ただ、わずかに重心を流すだけで、私の拳は空を切る。
「……っ」
すぐに引く。
次の一歩。
今度は角度を変えて打ち込む。
それも――当たらない。
ほんの紙一重で外される。
無駄な動きがない。
大きく避けるわけでもなく、ただ“そこにいない”だけのような感覚。
私は歯を食いしばる。
(見えてる……)
クレタの目。
私の動きを、先に知っているみたいに追っている。
私は踏み込みを速める。
間を詰めて、連続で打ち込む。
拳、肘、膝。
教わった通りに、繋ぐ。
それでも――
当たらない。
全部、流される。
受けるでもなく、弾くでもなく、ただズレる。
「どうしたぁ?」
クレタの声が、余裕を含んで降ってくる。
私は呼吸を荒げながら、距離を取り直す。
(……まだ)
足を止めるわけにはいかない。
私はもう一度、構え直した。
踏み込んだ勢いのまま足を振り上げようとした瞬間だった。
裾が足に絡む。
「あっ……」
バランスが崩れる。
次の瞬間には、視界が反転していた。
地面に転がる。
受け身は取れたけれど、完全に体勢を崩している。
その直後。
ぐっと布が引かれる感覚。
視線を向けると、クレタの足が私のスカートの裾を踏みつけていた。
逃げ場がない。
「おらよ、こんな時どうするよ?」
上から見下ろされる。
私は一瞬だけ息を止める。
(……このままだと、動けない)
無理に起き上がれば、さらに体勢を崩す。
引っ張られて終わりだ。
私はすぐに判断する。
手を地面につき、身体を横に転がす。
布を引かれたままでも、軸をずらす。
同時に、もう片方の足を振り上げる。
低い軌道で、クレタの足元を払うように。
狙いは踏んでいる足。
力はない。
でも――
「っ!」
一瞬でも崩れれば、それでいい。
私はその隙に、裾を引き抜こうと身体を引く。




