ありえないはずの記憶ー
そうして二週間目に入る頃には、私はクレタだけでなく、トレントとパティからも稽古を受けるようになっていた。
トレントは騎士としての剣。
構え、間合い、足運び。
一つ一つを崩さず、順序立てて教えてくる。
「まず重心です。振る前に崩れていては意味がありません」
淡々とした口調で、けれど確実に核心を突いてくる。
私は何度も同じ動きを繰り返させられた。
地味で、単調で、でも確実に身体に残る。
パティは格闘術。
「力で押すのではありません。相手の力を利用してください」
手を取られ、姿勢を崩され、そのまま軽く地面に転がされる。
けれど痛くはない。
どう崩されたのか、ちゃんと分かる。
「今のは、ここが空いていました」
そう言って、自分の動きをなぞるように見せてくれる。
無駄に傷つけられることもなく、理屈が通っている。
私はその場で理解し、すぐに試すことができた。
クレタの稽古とは、まるで違う。
あちらは実戦そのもの。
容赦がなく、気づけば地面に転がっている。
でも――
私は剣を握り直す。
トレントの型。
パティの崩し。
それを思い出しながら、一歩踏み込む。
少しだけ、身体が言うことを聞くようになっていた。
「……いけるかも」
小さく呟く。
まだ弱い。
でも、何もできなかった頃とは、確実に違っていた。
トレントが理論を、パティが実戦的な技術を、そしてクレタが実戦そのものを叩き込んでくる。
三週間が過ぎる頃には、私はようやく「打ち合い」と呼べる動きができるようになっていた。
まだ遠い。
三人には、まるで届かない。
それでも、ただ震えて何もできなかった頃とは違う。
剣を握って、前に出られる。
それだけでも、大きな変化だった。
(今は――)
その瞬間。
「いたっ」
頭に鈍い衝撃が落ちる。
クレタの拳だった。
「余計なことばっか考えてんじゃねぇ!集中しやがれ!」
私は頭を押さえながら、恨めしく見上げる。
(……ちゃんとやってるのに)
それでも、すぐに気持ちを切り替える。
剣を両手で握り、構え直す。
呼吸を整える。
そのときだった。
クレタが、ふと口を開く。
「ミリィ……ちっとよぉ、想像してみろや」
その声音が、少しだけ低くなる。
「魔王殺しでも、黒髪のベルでもいい。どっちかが、殺されるところをよぉ」
――心臓が、跳ねた。
その言葉は、深く刺さる。
否定しようとする。
そんなこと、あるはずがない。
あるはずがないのに。
(……ある)
頭の奥で、何かが引っかかる。
視界が揺れる。
胸の奥に、冷たいものが落ちる。
次の瞬間――
鮮明な光景が浮かぶ。
剣が、胸を貫く。
血が、広がる。
倒れる身体。
――彼の姿。
それは想像じゃない。
否定しようとしても、消えない。
記憶として、そこにある。
(……なんで)
息が詰まる。
手が震える。
視界の端が歪む。
それでも、目を逸らせない。
その瞬間。
――内側で、何かが弾けた。
そこから先のことは、自分でもはっきりとは覚えていない。
ただ、涙だけが止まらなかった。
視界が滲んで、何も見えていないはずなのに。
それでも、身体は勝手に動いていた。
私は駆け出していた。
剣を振る。
考えも、型も、何もかも抜け落ちている。
ただ、前へ。
ただ、届かせるみたいに。
夢中で。
本当に、無我夢中で。
耳鳴りの中で、何か声が聞こえた気がする。
でも、言葉としては残っていない。
ただ、クレタの顔だけが断片的に残っている。
見たことのない顔だった。
焦った顔。
驚いた顔。
それから――
楽しそうに、凶悪に笑う顔。
全部が混ざって、ぐちゃぐちゃになっている。
どれくらい動いたのかも分からない。
どこで終わったのかも分からない。
気がついたとき。
私はまた、地面に転がっていた。
背中に伝わる土の冷たさ。
視界いっぱいに広がる空。
「……はぁ……」
息だけが、荒く漏れる。
身体は重い。
指一本動かすのも、少し億劫だった。
それでも――
(……さっきの……)
胸の奥に、まだ何かが残っている。
消えない熱のようなものが、じわりと広がっていた。
気がつくと、クレタがすぐ隣に立っていた。
見下ろしてくるその顔に、私は息を止める。
右目が大きく腫れ上がり、うっすらと血が滲んでいた。
さっきまでの記憶が、途切れ途切れに繋がる。
(……私が……?)
声が出ない。
ただ、見上げることしかできなかった。
クレタはそんな私を見て、ふっと笑う。
いつもの軽い笑いじゃない。
どこか、少しだけ満足そうな笑い方だった。
「やるじゃねぇか……驚いたぜ」
そう言って、右手を差し出してくる。
私は少しだけ迷ってから、その手を掴んだ。
ぐっと力がかかる。
次の瞬間、身体が軽く引き上げられていた。
「……あ」
思わず声が漏れる。
自分の足で立っている感覚が、少しだけ遠い。
クレタはそのまま手を離して、肩を回す。
「つい、本気になっちまった」
何気ない一言。
でも、その意味はすぐには分からなかった。
私は自分の手を見る。
震えは、もう止まっていた。
胸の奥に残っている熱だけが、現実を教えてくる。
(……あぁ)
うまく言葉にはできない。
でも、確かに感じる。
さっきまでとは違う、自分。
ほんの少しだけ――
前に進めた気がした。
クレタが肩を回し、そのままぐっと距離を詰めてくる。
「ミリィ、おめぇは泣きながら戦った方が強ぇんじゃねぇか?」
その言葉に、私は眉を寄せて顔を向けた。
「えー……やだよ、そんなの、カッコ悪ー……」
言い終わるかどうかのところで、クレタの動きが一瞬だけ鋭くなる。
視界が揺れた。
「んんー!んんんんんー!」
クレタの舌が私の唇の中に入ってくる。
「ん……っ」
その生々しい感覚に、私の脳は一瞬でフリーズした。
抵抗するとか、受け入れるとか、そんな余裕なんてこれっぽっちもない。
されるがままになった私の頭の中は、ただ真っ白に染まっていく。
目の前の光景も、さっきまでの会話も、全部どこかに吹き飛んでしまった。
数秒。
本当に、ほんの数秒。
クレタが離れる。
私は一歩後ろに下がり、口元を押さえたまま固まる。
「……い.,.1度ならず2度までも……」
何を言えばいいのか分からない。
頭が追いつかない。
クレタはそんな私を見て、ケラッと笑う。
「ごっそさん!」
まるでいつもの軽口みたいに言う。
私はしばらく何も言えずに、その場に立ち尽くしていた。




