戦える、力をー
庭の一角では、まだ金属音が途切れずに続いていた。
クレタは息を整える間もなく踏み込み、鋭い一撃を放つ。
でも、それはすべて空を切る。
パティはほとんど動いていないように見えた。ほんのわずかな角度だけで、全部の攻撃を外している。
「ちっ……!」
クレタの舌打ちと同時に、距離が詰め直される。
速い。
私では目で追うのも難しいくらいの動きなのに、それでも届いていない。
次の瞬間。
視界が一瞬ぶれた。
クレタの体勢が崩れる。
気づいた時には、膝をついていた。
勝敗は、あっという間だった。
「……意味わかんねぇ動きしやがって」
クレタが乱れた呼吸のまま顔を上げる。
パティは表情を変えずに言う。
「無駄が多いだけです」
その言葉に、クレタの眉がぴくりと動いた。
「はっ、言うじゃねぇか」
悔しそうなのに、どこか納得しているようにも見えた。
私は少し離れた場所から、その光景を見ていた。
動けないまま終わる戦い。
届かない攻撃。
一方的に決まる結果。
胸の奥が、少しだけ重くなる。
(……やっぱり、違う)
そんなふうに思ってしまう自分がいる。
そのとき、クレタがゆっくり立ち上がった。
乱暴に服の土を払う音がする。
そして、こっちを見た。
「……なんだよ」
まだ戦いの熱が残った目だった。
私は少しだけ迷ってから、口を開く。
「……あの」
声が少しだけ震えた。
でも、それでも続ける。
「私も、少しでいいので……できることを増やしたいです」
クレタの動きが止まる。
「は?」
「ベルさんたちに任せてばかりで……何もできないのは、嫌なので」
言いながら、自分でも少しだけ怖いと思っていた。
でも、目は逸らさない。
クレタは数秒黙ったあと、頭をがしがしと掻いた。
「……あー、めんどくせぇこと言い出しやがって」
「ダメ、ですか?」
「ダメじゃねぇよ」
即答だった。
ただし、次の言葉は少しだけ低い。
「ただし、うちは優しく教える気ねぇぞ」
それから1時間もしないうちに、私は地面に転がっていた。
息が上がって、うまく呼吸ができない。
打たれすぎて、身体中が痛い。
痛すぎて、どこが痛いのかすらよく分からない。
頭はぼんやりと揺れていて、視界も安定しない。
手足に力を入れようとしても、うまく反応してくれなかった。
そのまま、地面に横たわったまま動けない。
クレタが、私の顔のすぐ横に立っているのが分かる。
呆れたような顔だった。
「てめぇ…弱いにもほどがあんだろうがよ」
私は言い返す気力もなかった。
体力も、残っていない。
それでも、その言葉を否定する気にはなれなかった。
……ほんとに、その通りだと思ってしまった。
もう少し、できると思っていたのに。
何もできなかった。
ただ、転がされて、終わっただけだった。
情けなくて、涙が滲む。
悔しい。
悔しいのに、身体が言うことをきかない。
呼吸が浅くて、喉の奥が熱い。
地面の冷たさだけがやけに鮮明だった。
クレタがその様子を見下ろしていた。
舌打ちが一つ落ちる。
「……ちっ」
それだけ言うと、踵を返した。
土を踏む音が遠ざかっていく。
私は動けないまま、その背中をぼんやり見ていた。
もう少しで完全に見えなくなる、そのとき。
クレタは振り向かずに言う。
「明日は朝から来い」
一拍置いて、続ける。
「模擬戦の後なら、稽古付けてやる」
それだけ言い残して、今度こそ歩いていった。
私は地面に転がったまま、しばらく動けなかった。
翌朝。
身体中の痛みが、まだ鈍く残っていた。
起き上がるだけで少し息が詰まる。
それでも私は、ゆっくりとベッドから這い出た。
着替えるだけで、いつもの倍以上の時間がかかる。
鏡に映った自分は、少しだけ疲れて見えた。
それでも、昨日よりは――まだ、動ける。
私は静かに部屋を出て、庭へ向かった。
練習場として使われている場所。
そこで、私は足を止める。
そこには、クレタがいた。
大の字に地面へ転がり、肩で大きく息をしている。
昨日の余裕はない。
むしろ、こちらより先に消耗しているように見えた。
私の気配に気づいたのか、クレタが目だけをこちらに向ける。
「よぉ。いい朝だな。覚悟はいいか?」
その言葉に、私は一度だけ息を整えた。
昨日と同じように、逃げる理由はない。
私は模擬剣を握り直し、ゆっくりと構える。
「……お願いします」
短くそう答えた。
朝食の時間になる頃には、私にはもう自力で歩く余裕がなかった。
何度も地面に転がされ、立ち上がっては崩されを繰り返した結果、意識を保っているだけでも精一杯だった。
そんな私を、クレタが当然のように背負い、歩き出す。
「……おい、昨日より弱くなってねぇか...?」
「ごめんなさい……」
「謝ることじゃねぇけどよぉ」
乾いたやり取りのまま、食堂へ向かう。
扉の前で、クレタが片足でドアを押し開けた。
その瞬間だった。
空気が変わる。
中にいたパティの視線が、こちらに向いた。
――次の瞬間。
殺意、としか言いようのない気配が溢れた。
「……」
私は言葉を出す間もなかった。
クレタの背中から、まるで物を引き剥がすように、私がすっと抱き取られる。
そして、そのまま。
「え」
視界が切り替わる。
轟音。
クレタの喉元に、パティの蹴りが正面から突き刺さっていた。
そのまま壁へ押し付けられる。
ドン、と屋敷全体が揺れるほどの衝撃。
空気が一瞬で凍る。
「……っ、パティ……?」
声がかすれる。
パティは私を腕の中に抱えたまま、表情ひとつ変えない。
ただ、静かに言う。
「お嬢様...」
その声だけが、異様に落ち着いていた。
私はその場で固まるしかなかった。
パティの目が、明確に変わっていた。
普段の無表情ではない。
静かに沈んだまま、熱だけが底に溜まっているような目。
「貴様……お嬢様に何をしているっっ!!!?」
声と同時に、足にさらに力が込められる。
鈍い圧迫音が響き、クレタの喉から苦しげな息が漏れた。
「がっ……お、おい……!」
クレタの顔色がわずかに変わる。
その様子を見て、私は慌ててパティの腕にしがみついた。
「ま……待って!違うっ、違うのっ!」
声が裏返る。
必死だった。
でも、パティは微動だにしない。
「お嬢様は黙っていてください。私はこの女に聞いているのです」
冷たい声だった。
私の方を見ていない。
視線は、完全にクレタに固定されている。
その圧だけで、空気が重くなる。
クレタは喉を押さえられたまま、なんとか視線を上げる。
「……っ、はっ……誤解、だっつの……!」
苦しげに吐き出された言葉。
それでもパティの力は緩まない。
私はどうしたらいいのか分からず、ただパティの腕を握ったまま立ち尽くしていた。




