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RUN&GUN ― 二人で一人の逃走譚 ―  作者: F94
第12章ー南大陸の強者ー
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怒っているんだからー

イヌイがベルに意識を向けた、そのわずかな隙を突いて、再生を終えたマークスが接近する。両腕を地を這う様に振り切る。


だが、その動きに対してイヌイは一切視線を向けない。


気配だけで異変を捉えると、即座に地を蹴った。上方へと跳躍し、迫る攻撃を回避する。


空中で身体をひねり、向きを反転。


両手で大刀を強く握り直すと、そのまま落下の勢いを刃に乗せ、マークスへと鋭く打ち下ろした。


イヌイの刃が落下の勢いのままマークスの右肩を捉える。


骨と肉が一瞬で断たれ、右腕ごと肩口が崩れ落ちた。


しかしイヌイは止まらない。


着地と同時に、振り抜いた刃をそのまま逆回転させるように引き戻し、即座に振り上げる。


二撃目は、ほぼ間髪を入れずに放たれた。


左肩。


再生が追いつくよりも早く、刃が軌道ごと肉体を切り裂き、左腕もろとも肩部が吹き飛んだ。


両腕を失ったマークスが、それでも倒れない。


開いた口の奥、喉のさらに奥深くに、濃密な魔力が渦を巻くように収束していく。空気が震え、周囲の温度すら歪むような圧が生まれた。


イヌイは即座に殺し切る判断へ移ろうとした。その瞬間――


足元。


地面から伸びた、糸のように細く黒い影が瞬時に絡みつく。右足首を絡め取り、地面へ縫い付けるように拘束した。


わずかに動きが止まる。


舌打ち。


「ちっ」


その刹那、マークスが咆哮を放った。


ただの声ではない。凝縮された魔力そのものが解放され、衝撃波となって空間を叩き潰す。


マークスの喉奥から放たれる咆哮が、収束された魔力の奔流となって空間を圧し潰すように押し寄せる。


その直撃を前に、イヌイは即座に大刀を正面へと構えた。


刃を盾のように使い、真正面から受け止める。


衝撃がぶつかった瞬間、空気が裂けるような音が響き、地面が軋んだ。足元の土がめくれ上がり、両足はそのまま地面へと深く沈み込んでいく。


それでもイヌイは押し負けない。


全身の筋肉を総動員し、刃を支点にして衝撃を殺し続ける。


圧力に歯を食いしばりながら、低く吐き捨てる。


「この……犬畜生め!」


咆哮と刃の拮抗が、空間そのものを震わせ続けていた。


咆哮の衝撃波が頂点を越え、わずかに“抜ける”瞬間。


その刹那を、イヌイは逃さなかった。


背後から迫る二つの気配――ベルと白狛。


そして、白い槍が空気を裂いて伸びてくる軌道を、気配だけで完全に捉えている。


常識ではありえない可動域で、イヌイの上半身がねじれるように回転し、完全に真後ろへと向いた。


「な…、なにそれ!?」


ベルの声が驚愕に揺れる。


イヌイの両手には、すでに大上段に構えられた長大な刀。


背中にはなお、マークスの咆哮の余波が圧し掛かっている。だがそれすら背で押し返すように、全身を軸にして刃を振り下ろした。


同時。


白狛がさらに一段、限界を超える加速を見せる。


ベルの右肩から伸びた槍が、一直線にイヌイへと放たれる。


振り下ろされる巨刃と、突き込まれる白槍。


二つの軌跡が一点で交差し――


激突した。


金属が悲鳴を上げるような衝突音が空間を裂き、衝撃が四方へと爆ぜる。


金属同士が噛み合った瞬間、空気がひび割れるような音を立てた。


だが均衡は一瞬で崩れる。


ベルの頬を、一筋の汗がゆっくりと伝う。その口元には、戦場に似つかわしくないほど静かな笑みが浮かんでいた。


白刃の槍が、イヌイの大刀を――真芯から叩き折る。


さらにそのまま勢いを殺さず、刃を貫通させるように押し込んだ。


「……っ」


イヌイの瞳が初めて揺れる。


そこに浮かんだのは、これまで一切見せなかった純粋な驚愕だった。見開かれた視線の奥で、状況の“想定外”が一瞬遅れて理解に変わる。


槍が喉元を貫く直前。


イヌイの身体は、またしても“常識の関節構造”を裏切った。


上半身だけが滑るようにねじれ、骨格ごとずらすような回避。


白刃の軌道は、ほんの紙一重で空を裂いていく。


「ま……またそれ!?」


ベルの声が、戦場の緊張の中で鋭く弾けた。


折れた刀身が空中で回転しながら落ちていくその一瞬の間隙。


その刹那。


白狛がさらに踏み込んだ。


地面を抉るほどの一歩で間合いを詰め、その勢いを殺さないまま、獣のように喉元へと噛みつくような軌道で突き進む。


白い影がイヌイの喉へ喰らいつく。


回避の余地を削り取るように、最後の一撃が殺到した。


白狛を振り払おうと、イヌイが振り上げかけた折れた刀の軌道が、途中で途切れる。


手首を返した、そのほんの一拍。


背後の空気が“重くなる”。


再生途中の肉と骨が軋むような音を立てながら、マークスが再び形を取り戻していく。だが完全ではない。まだ骨格が歪み、皮膚も裂けたまま、それでも両腕だけは無理やり形を成していた。


その腕が、イヌイの細身の身体へと覆い被さるように伸びる。


逃げる間もなく、絡みつく。


締め上げる。


力任せの拘束。再生が追いつかない不完全な腕が、それでも獲物を捕らえ続ける。


白狛も喰らい付いたまま離さない。


戦場の中心で、イヌイの動きが一瞬だけ削ぎ落とされる。


「こ……この人間もどきがぁっ!」


その声は怒りというより、圧される側の苛立ちに近い。


だがマークスは応じない。


言葉の代わりに、ただ力で締め上げ続ける。


背後からマークスに締め上げられ、前方から白狛に喉を食い破られ続けるイヌイの身体から力が抜けていく。


喉が鳴る。


全身の骨がきしむような音を立てながら、言葉にならない呼気だけが漏れた。


限界が、少しずつ崩れていく。


やがて――


その手から、折れた刀が滑り落ちた。


金属が乾いた音を立てて地面に転がる。


白狛の背にしがみついていたベルの肩から伸びていた白刃の槍が、霞のように輪郭を失い、崩れて消えていく。


滑り落ちるようにベルが静かに地へと降り立った。


そして、揺れる視界の中でイヌイを見据える。


イヌイのゆいいつ見えている左目、その焦点の定まらない瞳を真正面から覗き込むようにして。


ゆっくりと右手を引き絞る。


拳を握る。


「マークスさんが怒ってるよ。白狛も怒ってる……私だってぇ!怒ってるんだからあっ!」


その叫びと同時に、拳が振り抜かれた。


ベルの右拳が、イヌイの顔面へと叩き込まれる。


乾いた衝撃音が戦場に響き、拘束されたままのイヌイの身体が大きく揺れた。


ベルが拳を振り抜いた反動に耐えきれず、そのまま膝から崩れ落ちるように地面へ倒れ込んだ。


荒い呼吸が喉を鳴らすたびに、戦闘の熱だけがゆっくりと抜けていく。


「も……もぉだめ……限界」


途切れ途切れの声。体の芯まで使い切ったような脱力が、指先から広がっていく。


そして、わずかに白狛を見る。


「……白狛……お疲れ様……もういいよ」


その言葉が落ちた瞬間、白狛の緊張がふっと緩む。


張り詰めていた顎がほどけ、イヌイの首元に喰らい付いていた力が静かに解けていく。


同時に、背後。


マークスの腕にも変化が訪れた。


イヌイを締め上げていたはずの両腕から、力が抜け落ちるように消えていく。


再生途中の肉体が制御を失い、巨体がわずかに揺れた。


一度。


もう一度。


そして――


後ろ向きに、重く地面へ倒れ込んだ。


鈍い衝撃音が遅れて響き、戦場の空気だけが静かに揺れる。


拘束が解けたイヌイの身体だけが、その場に崩れる様に倒れる。


地面に倒れ伏したマークスの身体は、なおも再生を続けていた。


だがその再生は先ほどまでの異様な膨張とは違い、むしろ逆方向へと収束していくような変化だった。


歪んだ筋肉が静かに整い、骨格が人の形へと戻っていく。


同時に、全身を覆っていた獣じみた毛が、雪解けのように抜け落ちていく。


荒々しさが剥がれ落ちるたびに、そこには“人間”の輪郭だけが残されていった。


地面に横たわったまま、その変化を見ていたベルが、ようやく息を吐く。


張り詰めていたものが一気にほどけるような、安堵の呼吸だった。


その頬へ、影が寄る。


白狛だ。


鼻先をそっと近づけ、確認するように一度匂いを確かめると、そのまま舐めた。


「ふふ……くすぐったいってば」


弱々しい笑い声が漏れる。


戦闘の熱が引いたあとの静かな空気の中で、白狛だけがまだ生きている温度を確かめるように寄り添っていた。


白狛がふいに動きを止める。


次の瞬間、低い唸り声を喉の奥から絞り出した。


毛が逆立ち、視線が一点へと固定される。さっきまでの緩みが一気に消え、完全な警戒態勢へと切り替わった。


「え……ちょ、何?どうしたの……?」


ベルが体を起こそうとして、そこで気づく。


視線の先。


周囲の空気が、すでに“別の密度”に変わっていた。


いつの間にか、そこにいた。


影のように立つ人影が、円を描くように広がっている。


数十。


少なくとも三十はいる。


音もなく、呼吸の気配すら薄い。


KAGE。


完全に包囲されていた。


ベルの表情が強張る。


理解した瞬間、言葉がこぼれる。


「……ここまで……来たのに……」


悔しさが滲んだ声だった。


その直後、白狛が動く。


唸り声をさらに深くしながら、ベルの前へ出るように移動する。そして倒れたベルの上に覆いかぶさるように立った。


守る。


それだけを形にした姿勢。


包囲の輪は、微動だにしないまま静かに締まっていく。

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