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RUN&GUN ― 二人で一人の逃走譚 ―  作者: F94
第12章ー南大陸の強者ー
401/438

マリーナの誕生日ー

挿絵(By みてみん)


翌日。


大陸警察支部。


仮眠室の簡素なベッドの上で、マリーナはゆっくりと目を覚ました。


重たい瞼を持ち上げ、そのまま上体を起こす。


乱れた長い金髪が肩から胸元へと滑り落ちる。


「……ん……」


小さく息を漏らしながら、両腕を上へと伸ばす。


背筋を反らし、ぐっと身体を伸ばすその仕草は、普段の彼女からは想像もつかないほど無防備だった。


白いシャツ一枚の身体が、朝の光に淡く照らされる。


わずかに目を細めながら、そのまま数秒、動きを止める。


——次の瞬間。


ふっと力が抜けると同時に、腕が自然と下りる。


そして、何も考えていないように——


無意識のまま、胸の前で腕を組んでいた。


「……あ」


自分で気付いたのか、小さく呟く。


だがすぐに、そのままの姿勢で視線を逸らす。


まるで最初からそうしていたかのように。


しかし、その頬はわずかに赤く、


目の下のクマも隠しきれてはいなかった。


「……寝不足、だな……」


小さくぼやきながら、マリーナは息を吐いた。


昨夜はそのまま支部へ戻り、ベッドに潜り込んだものの——


眠れなかった。


何度も寝返りを打ち、目を閉じても、意識が落ちない。


頭の中に浮かぶのは、あの言葉ばかりだった。


マリーナは深く息を吐き、額に手を当てる。


「……何を考えているんだ、私は……」


小さく呟きながら、視線を落とした。


枕元に置いていた眼鏡に手を伸ばし、静かに掛ける。


視界がはっきりすると同時に、マリーナの表情もいつものそれに近づいていく。


ベッドから足を下ろし、立ち上がる。


ハンガーに掛けられた制服へと視線を向け、そのままスカートへ手を伸ばしかけて——


止まる。


「……シャワー、浴びたいな」


小さく呟く。


わずかに眉を寄せ、髪に触れる。


寝起きで乱れた金髪が、指に絡む。


一度息を吐いてから、そのまま立ち上がる。


シャツのボタンに手をかけ、外しながら浴室へと向かう。


仮眠室の一角に設けられた簡易的なシャワールーム。


事件が長引けば数日帰れないこともある。


そのための、最低限の設備。


マリーナは扉の前で一瞬だけ立ち止まり、


それから何も言わずに中へと入っていった。




シャワーの余熱が肌に残っているのに、心だけが冷えていた。


タオルを巻いたまま、マリーナはベッドに腰を下ろす。濡れた髪が背に貼りついても、それを拭う気にはならなかった。


視線は床に落ちたまま、そこにいない人物を思い浮かべている。


「……抹殺、か……ついに」


その言葉は、世界全体の意思ではない。


ほんの一部――過激な判断に傾き始めた側の提案。


だが、それが出たという事実だけで十分だった。


大陸警察、中央教会、ギルド、各国家。


今もほとんどは変わらず「観察」に留まっている。


危険視しながらも、まだ線を越えていない。


踏み込めば何が崩れるか分からないまま、慎重に距離を測っているだけだ。


それでも、一部はもう違う方向を見ている。


“観察では足りない”と。


“いつかでは遅い”と。


マリーナは小さく息を吐いた。


「……これまでが上手くいき過ぎていた」


そう思っていた理由が、ようやく輪郭を持つ。


今までは均衡だった。


誰かが止めていたのではなく、誰も踏み切れなかっただけ。


その均衡が、少しずつ歪み始めている。


まだ全体ではない。


だが――だからこそ危うい。


一部の動きは、やがて全体の流れになる。


それを彼女は知っている。


知ってしまっている。


濡れた髪から一滴、水が落ちる音だけが、やけに静かに部屋へ響いた。


身体に巻いていたタオルを外し、そのまま髪へと当てる。


マリーナは濡れた髪をゆっくりと拭きながら、指の間をすり抜ける水滴をぼんやりと見ていた。


まだ思考の奥には「抹殺」という言葉の余韻が残っている。だが、それすら今は遠く感じる。


拭くたびに、肩から背中へと流れていた緊張が少しずつほどけていく。


そして、不意に思い出す。


「……そうだ」


声というより、呼吸に近い小さな呟きだった。


「今日は誕生日、彼が祝ってくれると、言っていたな……」


タオルで髪を拭く手がわずかに止まる。


その瞬間だけ、時間の重さが変わる。


ベル・ジット。


あの男が、何気なく、当然のように口にした約束。


状況も空気も関係なく、ただ「祝う」と言っただけの言葉。


それを思い出した途端、マリーナの口元がわずかに緩んだ。


気づけば、肩の力が少し抜けている。


タオルで髪を拭く動きが、先ほどより少しだけ柔らかくなった。


ノックもなく、扉が開いた。


「警部!遅ればせながら、マークス警部補、到着いたしー…」


敬礼したままの姿勢で、マークスの動きがぴたりと止まる。


視線の先にある光景を理解するまで、ほんの一拍。


部屋の中には。


全裸のままベッドに腰掛け、濡れた髪を拭いているマリーナの姿。


空気が一瞬で凍った。


「…け、警部…なんでさんな…」


言葉が途中で崩れ、顔が真っ赤になる。


視線は泳ぎ、敬礼は崩れそうで崩れない、中途半端な姿勢のまま固まっていた。


次の瞬間、マリーナがゆっくりと立ち上がる。


タオルで身体を隠しながら、一歩、彼へ近づいた。


髪を拭いていたそのタオルのまま、視線はまっすぐに固定されている。


そして。


「…マークス…マークスマークスマークスマークスマークス…マークス警部補!!」


その声が部屋に落ちた瞬間、空気の温度がさらに数度下がったような錯覚が生まれた。


マークスの喉が、ごくりと鳴る。


マークスは反射的に敬礼したまま、完全にフリーズしていた。


「た……大変申し訳っ……!」


「まずその目を閉じろぉっ!」


マリーナの声が一段跳ねる。


次の瞬間、枕が一直線に飛んだ。


「ぐはっ!」


顔面に直撃した衝撃で、マークスの上体がきれいに後方へ吹き飛ぶ。敬礼は崩れたが、妙に律儀な姿勢のまま床に沈んだ。


「着替える!良いというまで廊下で待機!早く出ていけ!」


タオルで前を隠したまま、マリーナが鋭く指を突きつける。


その目は完全に“警部”のそれだった。


「はっ!ただちに!」


即座に立ち上がるマークス。


だが次の瞬間――


「だから見るなぁっ!」


枕元の置き時計が、追加で投げられた。


「がはっ!!」


今度もきれいに顔面で受け止め、再び崩れ落ちる。


数秒後、マークスは這うような姿勢でドアへ向かい、そのまま器用に外へ退避した。


ドアが閉まる。


静寂。


残されたマリーナは、ようやく肩の力を抜いた。


「……まったく……なんて最悪な誕生日なんだ」


濡れた髪を軽く払いながら、ぼそりと呟く。


ただその声には、さっきまでの鋭さとは違う、ほんの少しだけ緩んだ疲れが混じっていた。

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