ミリィも憂鬱ー
「まったく……こんなことだろうと思って急いで来てみれば……やはりか」
マリーナの声は呆れを含みながらも、どこか安堵が混じっていた。
そのまま言葉は止まらない。
だが——
手錠をかけたままのベルに、マリーナはぐっと距離を詰める。
そのまま胸元に顔を埋めるようにして抱きついた。
「聞いているのか……まったく……無茶をするなと……私は……」
言葉は続いているが、声はどんどん小さくなっていく。
頬は耳まで赤く染まり、時折、思い出したように顔を左右に振っては、押し付けるように擦りつける。
説教のはずなのに、まるで別の感情が混ざっているようだった。
ベルはというと、特に抵抗もせず、ただ窓の外へ視線を向けている。
明らかに面倒そうな顔。
ミリィはその様子を、じっとりとした目で見つめていた。
「マリーナさん……早かったですね」
少し低い声で、淡々と告げる。
「転送陣を使った。この街までは来れなかったものの、山一つ向こうの都市までは行けたので、そこから馬を飛ばしてきた」
マリーナはベルに顔を埋めたまま、くぐもった声で答える。
ミリィが目を瞬かせた。
「……転送陣て……有事の際だけの特別措置では……?」
「魔王殺しに刺客が送り込まれたとあれば、有事ではないか」
即答だった。
ミリィはわずかに呆れたように息をつく。
「……そう言って、押し通したんですね」
マリーナはベルの胸元に顔を埋めたまま、大きく息を吸い込む。
そして、小さく——だがはっきりと頷いた。
ベルは窓の外を見たまま、気のない調子で言う。
「マリーナ……元気そうだな。1ヶ月ぶり、か?」
その言葉に、胸元に顔を埋めていたマリーナの動きがぴたりと止まる。
わずかに間を置いてから、顔を上げる。
「……こうして直接会うのは北大陸から戻った時以来だから……半年振りくらいだがな!」
やや強めの口調。
だが頬の赤みは引いておらず、視線もほんの少しだけ泳いでいる。
それでもすぐに咳払いを一つして、表情を引き締めた。
「ん……?半年ってことは……確かマリーナの誕生日が……」
その言葉に、マリーナの顔がぱっと輝く。
「覚えていてくれたのか?あ、明日だ」
「あー、明日かぁ」
ベルは軽く頷く。
「そ……そう、明日、なんだ……」
マリーナの声がわずかに弾む。
「なら、お祝いしないとなぁ」
その一言で、空気が止まった。
「い、いや……こんな時に誕生日デートなど……そんな……いいのか?」
言いながらも、期待を隠しきれていない声音。
視線が落ち着かず、わずかに身じろぐ。
だがベルは、特に気にした様子もなく続ける。
「いいだろ。どうせ動けないんだし」
その温度差に、ミリィが静かに目を細めていた。
ミリィは無言のまま一歩踏み込み、ベルとマリーナの間に割って入る。
そのままぐい、と二人の距離を引き剥がした。
「ちちくりあってるところ……大変申し訳ございませんが」
妙に丁寧な声音。
「おまえ……いつの間にそんな言葉を……」
ベルが呆れたように眉をひそめる。
一方で、離されたマリーナは一瞬だけ固まり、それからわずかに頬を染めたまま口を開く。
「……そんな、別にいちゃついてなど……そう見えたか?カップルみたいと思ったか?」
言いながら、ちらりとベルの方をうかがう。
その視線は、否定を求めているのか、それとも——。
ミリィは二人を睨むように見て、わざとらしく咳払いを一つ。
「とりあえず、今後の話をしたいの、で・す・がっ!」
語尾に力がこもる。
ベルは肩をすくめた。
「おいおい、なんでまた怒ってんだよ」
マリーナも少しだけ首を傾げる。
「珍しいな、何があった?」
その問いに、ミリィはぷいと顔を背けた。
頬を膨らませたまま、小さく言い放つ。
「知りません!それよりも早く」
完全に不機嫌だった。
「その姫神達に影響がなくとも……お前自身には、どうなんだ?」
静かな問いだった。
だが、その言葉にベルは一瞬だけ間を空ける。
ほんの一拍。
それだけで十分だった。
「大丈夫だ。心配すんな」
軽く返された言葉。
しかし次の瞬間、マリーナの肩を掴む手に力が入る。
ぎり、と布が鳴る。
「なんだ……何が起きている?」
声が低くなる。
見逃さなかった、という確信がそこにあった。
ベルは視線を逸らすでもなく、ただ静かにマリーナを見返す。
部屋の空気が、再び張り詰めていく。
ベルはほんのわずかに視線を落とす。
「……本当になんでもねぇんだって」
その曖昧な返しに、マリーナの表情が一変する。
次の瞬間、胸ぐらを強く掴まれ、ぐっと引き寄せられた。
「いい加減にしろ!」
怒声が部屋に響く。
その勢いに、ミリィが慌てて立ち上がる。
「マリーナさん——」
「何かあるなら言え!」
マリーナの顔が、すぐ目の前まで迫る。
「それとも……私には言えないと言うのか……?」
その問いに、ベルは一瞬だけ黙り——
「……マリーナには、言いたかねぇ」
その一言が、決定的だった。
マリーナの手が震える。
瞳が揺れ、力が抜けそうになるのを必死に堪えている。
「私が……そんなに信用できない……のか」
ぽつりと、落ちる声。
頬を、涙が静かに伝う。
「……それなりに……信頼し合えていると……思っていたのは……私だけ、なのか?」
その言葉は弱く、だが確かに刺さった。
ベルの表情が、初めて崩れる。
わずかに目を見開き、言葉を失う。
部屋の空気が、完全に変わっていた。
「ば、ばかやろうっ!……そういうことじゃねぇんだよ……」
ベルは焦ったように言い返す。
「ならば……教えてくれ……」
「いや……それは、ちょっと……」
言い淀むその様子に、マリーナの視線が揺れる。
「やはり……信用してもらえないんだ……絆なんて嘘か……」
その一言に、ベルは頭をがしがしとかいた。
「あーもうっ!わかったよっ!」
勢いのまま一歩踏み込み、マリーナの耳元へ顔を寄せる。
手で口元を隠し、声を落とす。
突然の距離に、マリーナの身体がびくりと震えた。
「あ……っ、息が……近いっ……」
かすかに触れる吐息に、思わず目を閉じる。
頬が一気に赤く染まり、こそばゆさに肩がわずかに揺れた。
ベルはさらに声を落とし、マリーナの耳元で囁く。
「……これはアダラ達の意見だから……俺は信用してねぇんだが……」
「あっ……息がっ……はぁっ……」
内容とは関係ないところで、マリーナは完全に意識を持っていかれていた。
肩がびくびくと揺れ、まともに話を聞けているのか怪しい。
ミリィはその様子を、半目でじっと見ている。
「このまま魔王核を取り込み続けると……遺伝子に問題起きたり、その前に不能になるんじゃないかと言い出してな……」
「ふ……ふむふむ……ふむっ!?」
理解が追いついた瞬間、マリーナの身体がびくんと跳ねた。
耳まで真っ赤に染まり、唇が小刻みに震え出す。
ベルは特に気にした様子もなく、続ける。
「まぁ……だから早めに子供作りたいって……言いたいだけなんだと思うんだけどよ」
その一言で、マリーナの思考が完全に停止した。
マリーナは真っ赤な顔のまま、ぐるぐると目を回しながらも、意を決したようにベルの耳元へ口を寄せる。
手で口元を隠し、小さく囁いた。
「つまり……アレか……?出来なくなる……というやつか?」
その言葉に、ベルもわずかに顔をしかめる。
再び耳元へ顔を寄せ、短く答える。
「……立たなくなるって……やつだ」
その瞬間、マリーナの肩がびくんと大きく震えた。
理解が追いついたのか、顔の赤みがさらに深くなる。
そのまま数秒、完全に思考が止まったように固まる。
少し離れた位置で、ミリィが無言のまま二人を見ていた。
マリーナはその場に、がくりと膝から崩れ落ちた。
両手を床につき、深く項垂れる。
肩が小さく震えていた。
その様子を見下ろしながら、ベルは苦笑して腕を組む。
「……だから、あんたには言いたくなかったんだよ」
事情を知らないミリィは、二人を交互に見て眉をひそめる。
「……私には……言えない話なんでしょうか?」
少しだけ、むっとした声。
ベルは肩をすくめる。
「ミリィには……無理だな」
床に崩れたままのマリーナも、小さく続ける。
「ミリィには……まだ早い」
その言葉と態度に、ミリィの頬がふくらんだ。
明らかに不満そうだった。
マリーナはふらつきながら立ち上がる。
まだ顔は真っ赤なまま、視線もどこか定まらない。
「今日はもう……帰って寝る……」
投げるように言い残し、そのまま部屋を出ていった。
ミリィも頬を膨らませたまま、無言で後に続く。
ドアが勢いよく閉まる音だけが残った。
部屋には、ベル一人。
静寂が落ちる。
ベルはその場で大きくため息をつくと、ゆっくりと両手を開いた。
指に嵌められた九つの指輪が、淡く光を帯びる。
その光を、しばらく無言で見つめる。
「言えねぇよなぁ……」
ぽつりと、誰に向けるでもなく呟いた。




