マリーナの憂鬱ー
カフェを出た二人は、そのまま足早に通りを抜け、大陸警察支部へと向かった。
さっきまでの穏やかな空気はもうどこにもなく、足取りだけがわずかに速い。
建物に入り、受付へと進む。
ベルが名を告げると、受付の職員の表情がわずかに変わった。
「マリーナ警部への取り次ぎをお願いします」
簡潔な言葉。
職員はすぐに頷き、奥へと連絡を入れる。
その間、二人は無言のまま立っていた。
先程の出来事が、まだ身体に残っているようだった。
ややあって、二人は奥の部屋へと通された。
この街の支部は初めてだが、構造はどこも似たようなものだ。
無機質な通路を抜け、案内されたのは通信室。中央には魔力を利用した装置が据えられている。
起動されたそれが淡く光り、中空にスクリーンが浮かび上がる。
揺らめく魔力の中に、見慣れた顔が映し出された。
「久しいな。二人とも」
低く落ち着いた声が、空間に響く。
「マリーナさん、実は——」
ベルは一度言葉を区切り、息を整えてから話し始めた。
カフェでのこと。
白狛に乗った少女、殺。
魔王殺しを討伐するために来たという目的。
言葉を選びながらも、できるだけ正確に、順を追って説明していく。
ミリィも途中で補足を入れ、見たもの、感じたことを加えていった。
そして最後に——
「……あそこまで...戦闘中以外にダイレクトに殺意を向けられたのは初めてで...
ベルの声が、わずかに低くなる。
スクリーンの向こうで、マリーナの表情が変わった。
わずかに目を細める。
マリーナはゆっくりと目頭を指で押さえた。
「南大陸か……あそこもまた独特な思想や文化を持つ国があると聞いている」
ミリィが頷く。
「南大陸は他民族国家と聞いています……」
「そうだ。私もそこまで詳しくはないものの、魔王殺し関連で各国の情勢や思想はある程度調べてはいたのだが……」
マリーナは顎に指を当て、思考を巡らせる。
「南は不干渉を提言していた筈だが……何があった?」
その言葉に、ベルは小さく息を吸った。
「それで……どうしたらいいんでしょう」
問いかけに、マリーナの視線がまっすぐこちらへ向く。
「案ずるな。私もすぐそちらに向かおう」
短く、迷いのない声音だった。
「いつものようにギルドと中央教会にも私から連絡しておこう。それからルグレシアとカダブランカ、そして……」
マリーナの言葉が一瞬だけ途切れる。
わずかに眉間に皺が寄った。
「……プラテナスにも、な」
その響きに、ベルは思わず苦笑を漏らす。
「……やっぱり、マリーナさんも嫌いなんだね……」
「勘違いするな、嫌いなわけではない」
即座に返ってくる否定。
だがその顔は、明らかに納得していない側のそれだった。
隣でミリィも同じように顔を顰め、小さく頷いている。
マリーナは軽く咳払いを一つ。
「ただ……気に入らないだけだ」
「それを……嫌いって言うと思うんだけどな……」
ベルのぼやきが、場の緊張をほんの少しだけ緩めた。
「時に——」
やおら、マリーナが言葉を濁す。
わずかに頬が染まり、視線が泳ぐ。
指先が落ち着きなく動き、どこか居心地の悪そうな仕草になる。
それを見たベルとミリィが、同時に目を細めた。
「あぁーあいつなら、元気ですよ。あいかわらず」
その一言で、マリーナの表情がぱっと明るくなる。
「そ、そうか!先日も108体目の魔王核を滅したと聞いて、祝いでも送ろうかと思ってな」
「あぁー……それは喜ぶでしょうね」
ベルが軽く笑いながら答える。
「そうか!お前達もそう思うか……ならばついでに……」
言いかけて、少しだけ言葉が詰まる。
ベルはその空気を崩すように言った。
「また夜になっちゃうと思いますけど、伝えておきますね」
「いや、別にわざわざ……よろしく頼む」
結局、最後は小さくそう締めくくられた。
大陸警察支部を出た二人は、そのまま宿へと戻ることにした。
街は変わらず賑わっている。だが、その喧騒がどこか遠く感じられる。
先ほどまでとは違う緊張が、二人の間に残っていた。
マリーナの助言もあり、今は下手に出歩かない方がいい。
あの白い一人と一匹が、いつどこから現れるか分からない以上、無用な移動は危険だった。
足早に通りを抜けながら、ベルは一度だけ後ろを振り返る。
そこには、いつも通りの街の景色が広がっているだけだった。
宿へ向かう道すがら、ベルはふっと息を抜いた。
「マリーナさん……すごい心配してたね」
ミリィも頷く。
「はい……隠そうとしてたみたいでしたけど……ぜんぜん慌ててましたね」
人通りの中を歩きながらも、二人の声は少しだけ小さい。
「普段あんな顔しないのにね」
「それだけ……今回の件が普通じゃない、ということだと思います」
ミリィの言葉に、ベルは返事をせず、少しだけ視線を落とした。
さっきの白い影が、まだ頭から離れなかった。
「……あの感じだと……」
ベルが小さく呟く。
「今夜には着きそうですね……」
ミリィが続けると、ベルも頷いた。
「どこにいるか知らないけど、ありえるよね」
足取りは止めないまま、会話だけが静かに交わされる。
「夜のベルさんには私から説明しておきますね」
「うん、よろしくお願い」
短いやり取りの後、二人は言葉を切った。
夕方の光が、少しずつ街の色を変え始めていた。
了解です。そこは統一します。
夜でも昼でも地の文は「ベル」で固定、違いは描写で出します。
⸻
夜。
宿の一室。
窓の外はすでに暗く、昼間の喧騒は遠くへと消えている。
ベルは腕を組み、壁に寄りかかりながらミリィの話を聞いていた。
ミリィは一通りを説明し終え、小さく息をつく。
「——と、言うわけで今、南大陸からベルさんの命を狙った人が来ています」
短い沈黙。
ベルは視線を落とし、軽く息を吐く。
「要するに……また面倒なことになってると、言うわけだな?」
低く、ぶっきらぼうな声だった。
ミリィは小さく頷く。
「そういうことに、なります」
ベルは天井を仰ぎ見て、深くため息をついた。
「たまにはこう……平和に過ごせないもんかなぁ」
その呟きに、ミリィはわずかに苦笑を浮かべる。
「……それは無理だと思いますよ。今となってはもう」
ベルは一瞬だけ黙り、それから肩を落とした。
「だよなぁ……」
短い諦めが、静かに部屋の中へと落ちた。
「それでその殺ってやつ、強そうだったか?」
ミリィは神妙な顔で、はっきりと頷く。
「強い……と思いました。それに、今まで戦闘中以外で、あそこまではっきり殺意を表明した方はいませんでしたので……とても怖い、と」
ベルは短く息を吐く。
「……そっか……」
一拍の沈黙。
そのまま、何かを決めたようにベルは立ち上がる。
足音を立てて、迷いなくドアへ向かう。
「え?どこに行くんですか?」
ミリィの声に、ベルは振り返らないまま答えた。
「待ってるより、会いに行った方が話が早いだろ?」
その言葉には、ためらいがなかった。
ミリィは慌てて立ち上がり、ベルの背に手を伸ばす。
「ダ……ダメですよ!マリーナさんが来るまで、待って……」
だがベルは足を止めない。
ドアノブに手をかけたまま、低く言い返す。
「マリーナが来る前に襲われたらどうすんだよ?同じことだろ?」
振り返らない声。
そのまま扉を開けようとする。
ミリィは一歩踏み込む。
「でも……!」
言葉が続かない。
正論だと、わかってしまうから。
「大体、マリーナが来たからなんだってんだよ?そいつ強いんだろ?マリーナなら勝てる保証もないなら……」
ベルの言葉は冷静だった。
現実だけを並べたような、逃げ場のない響き。
その背に、ミリィが飛びつくように腕を回す。
「それでも……止め、ます」
腰にしがみつくようにして、必死に力を込める。
だがベルの足は止まらない。
まるで何もないかのように、そのまま前へ進む。
「ミリィ……諦めろ」
低く、淡々とした声。
ミリィの腕ごと引きずるように、ベルはドアへと向かう。
その歩みに、躊躇はなかった。
ドアノブに手をかけた、その瞬間だった。
開きかけた扉の隙間から、すっと腕が差し込まれる。
金属音。
「なっ!?」
ベルの手首に、冷たい感触が走る。次の瞬間には、手錠がしっかりとかかっていた。
外側から引かれるようにして、ドアがゆっくりと開く。
「ど、どうやら……間に合ったようだな」
荒く息を切らしながら、それでも体裁を保とうとする声。
「マリーナさん!」
ミリィの顔がぱっと明るくなる。
そこに立っていたのは、長い金髪を後ろで束ねた女だった。
整った顔立ちに、鋭い切れ長の目。丸い眼鏡の奥で、その視線が真っ直ぐベルを捉えている。
細身の制服に身を包み、長い脚を際立たせるストッキング。赤いハイヒールが床を打ち、コツ、と乾いた音を鳴らす。
片手はまだ手錠を繋いだまま、もう片方は無意識に腕を組もうとして——途中で止まる。
呼吸を整えながら、わずかに頬を染めているのは、走ってきたせいだけではない。
「まったく……お前は……」
言いかけて、言葉が詰まる。
一瞬だけ視線が揺れる。
それでもすぐに咳払いを一つ。
「勝手に動くなと言ったはずだ」
きっぱりとした声音。
だが、その奥にわずかな安堵が滲んでいた。




