ミリィの気持ちー
夜。
王宮の部屋は静まり返っていた。
外の風の音だけが、かすかに窓を揺らしている。
ベッドの上で、ミリィは壁の方を向いたまま動かない。
布団を頭まで被り、小さく丸くなっている。
ベルはそれを見て、わずかに眉をひそめた。
少しだけ様子を眺めてから、ベッドの端に腰を下ろす。
「ミリィ」
間を置く。
「なんか機嫌悪くねぇか」
布団の中から、すぐに声が返る。
「……別に」
短い。
だが、その言い方で分かる。
ベルは小さく息を吐いた。
「その“別に”は無理あるだろ」
ミリィは答えない。
布団の端を握る手に、わずかに力が入る。
ベルはしばらく黙っていたが、やがてあっさり続けた。
「俺、またなんかしたか」
飾りのない、まっすぐな言葉だった。
ミリィの体が、ぴくりと揺れる。
それでも、すぐには返事がない。
沈黙が落ちる。
ベルはそれ以上は言わず、ただ座ったまま待つ。
理由は分からない。
だが、何かあるのは分かる。
だから聞く。
それだけだった。
やがて、布団の中から小さな声が漏れる。
「……してません」
ベルは視線を逸らさずに続けた。
「何もない顔じゃねぇ」
少しだけ声が落ちる。
「なんかあるなら言ってくんねぇか」
ぶっきらぼうで、短い言葉。
けれど、それ以上でもそれ以下でもなかった。
ミリィは布団の中で、小さく震える。
夜の静けさの中、その気配だけがはっきりと浮かび上がっていた。
ベルは少しだけ首を傾けたまま、ミリィを見ていた。
理由は分からない。
だが、何かが引っかかっているのは確かだった。
一度だけ小さく息を吐き、言葉を続ける。
「こないだみたいに、俺がなんかしちまってるなら……ちゃんと言ってくれよ」
その一言で、ミリィの体がびくりと震えた。
布団の中で、息を呑む気配がはっきりと伝わる。
少しの沈黙のあと、くぐもった声が返ってきた。
「……わからない……んですか?」
ベルは眉をひそめる。
「わからないから聞いてんだろ」
間を置かずに返す。
ミリィの指が、布団の中で強く握られる。
「やっぱなんかあるんじゃねぇか。言ってくれよ」
責めているわけではない。
ただ、まっすぐに向けられているだけ。
ミリィはしばらく何も言えなかった。
言葉が出てこない。
胸の奥にあるものは確かにあるのに、それが何なのか、自分でも分からない。
そして――
分からないまま、伝えることもできない。
「……わからないなら……もういいです」
小さく、突き放すような声だった。
その言葉で、部屋の空気がわずかに冷える。
ベルはしばらく黙ってミリィを見ていたが、やがてぽつりと口を開いた。
「ミリィ、たまにめちゃくちゃ女っぽくなるよな」
布団の中で、ぴたりと動きが止まる。
少し間を置いて、くぐもった声が返ってきた。
「……どういう意味……ですか?」
ベルは肩をすくめるように答える。
「そういうとこだよ」
ミリィの指先が、布団の中でぎゅっと強く握られる。
「私……女ですから」
少しだけ棘のある言い方だった。
ベルはそれを聞いて、ああと小さく納得したように息を吐く。
「つまりあれか、また俺が子供扱いしたから怒ってるのか?」
間。
ミリィはすぐには答えない。
やがて、短く返す。
「知りません」
ベルは軽く眉をひそめる。
「やっぱそれか……」
一拍置く。
「どれだ?」
その一言で、ミリィの感情が弾けた。
「もう、いいです!」
布団の中で体が小さく揺れる。
怒っているのか、困っているのか、自分でも分からないままの声だった。
ベルは少しだけ言いづらそうに、視線を逸らした。
「こんなこと言うとまた怒るかもしんねぇけど……」
一拍置く。
「俺もまだ言っても十八だからな。俺も大人ってわけじゃねぇんだ」
ミリィは何も返さない。
布団の中で、ただ黙っている。
「つまり、俺も子供ってこと。ミリィの倍近く生きててもな」
それでも、返事はない。
静かなまま、時間だけが流れる。
「だから、言ってくんないとわかんねぇ」
ベルは少しだけ身を乗り出す。
「教えてくれないか?ちゃんと聞くからさ!」
ミリィはその言葉に、わずかに息を呑んだ。
少しの間、考えるように黙り込む。
そして――
「私……昨日、思わず、勢いで、気の迷いで……」
ベルは短く返す。
「おう」
布団の中で、ミリィはしばらく迷っていた。
言うべきか、やめるべきか。
何度も言葉を飲み込んで――それでも、逃げきれなかった。
「昨日、アダラさんとビビさんと、あとミカゲさんが…ベルさんにキスした、じゃないですか…それで」
ベルはわずかに眉を寄せる。
「昨日?そんなことあったか?」
あまりにも自然な返しだった。
ミリィの呼吸が、わずかに止まる。
「…覚えてないんですか?」
ベルは後頭部を軽くかきながら、少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
「悪ぃ、昨日はなんか変身した時から酔いが酷くて…途中スッキリするまでの記憶が曖昧なんだよ」
あっさりとした説明。
悪びれていないわけではないが、深く気にしている様子でもない。
ミリィはその言葉を、静かに受け止める。
胸の奥が、きゅっと締まるような感覚。
それが何なのか、自分でもうまく分からないまま――
小さく、続けた。
「…スッキリしてから…は?」
ベルは腕を組み、しばらく考え込んでいたが、やがて小さく息を吐いた。
「ダメだ。何も覚えてねぇ」
ミリィが愕然とした顔になる。
「そう、ですか…覚えてない、んですね」
「ダメだ。頭スッキリしてからも、ぜんぜん覚えてねぇわ」
その言葉に、ミリィの目にじわりと涙が滲む。
「…もう、わかりした…」
肩がわずかに落ちる。
それ以上、何も聞くつもりはなかった。
「だってよぉ、ミリィが急にキスしてきたから、それで頭真っ白になっちまったから、他のことはなにも頭に残らなかったんだよな」
その一言で、空気が止まった。
ミリィがハッとして顔を上げる。
「そのことは…覚えてるんですか?」
「当たり前だろ?インパクトありすぎて忘れらんねぇよ」
ミリィが、そっとベルの顔を見つめる。
涙を溜めたまま、まっすぐに。
「お、覚えてたんですね…」
言った瞬間、はっとしたように視線が揺れる。
次の瞬間、頬が一気に赤く染まっていく。
ベルは特に気にした様子もなく、肩をすくめた。
「当たり前だろ?忘れてたら怖ぇよ」
「へ…へぇー…そ、そうですかぁ…覚えてたんですね…そっかぁ」
どこかぎこちない相槌。
けれど、ミリィの口元はほんの少しだけ緩んでいた。
ベルはその変化を見て、軽く首を傾げる。
「なんだよ?忘れてた方が良かったか?」
その言葉に、ミリィがびくりと反応する。
「そんなことありません!!」
思わず大きな声が出た。
ベルが一瞬だけ目を丸くする。
「お、おぉ、そうかよ」
ミリィははっとして、慌てて口元を押さえた。
視線があちこちに泳ぐ。
「……あ、その……すみません……大きな声……」
小さくしぼんでいく声。
けれど、顔の赤さだけは引かないまま――
どこか嬉しそうな色が、ほんの少しだけ残っていた。
ミリィが、そっと視線を下げる。
指先がわずかに震えている。
「あ、あの…私、初めてだったんです…けど」
ベルは一瞬だけ目を細めたあと、あっさりと返した。
「あぁ?まぁそうだろうな」
あまりにも軽い返答。
ミリィのまつ毛がぴくりと揺れる。
ほんのわずか、間が空いた。
「…なにか、言うことない、んですか?」
恐る恐るの問い。
ベルは眉をひそめる。
「なにかってなんだ?」
その反応に、ミリィの頬が少しだけ膨らむ。
「……」
言いたいことはあるのに、うまく言葉にできない。
視線が揺れて、それでも逃げきれずに、もう一度だけ顔を上げた。
「……普通……あるじゃないですか……そういうの……」
小さな声。
けれど、今度ははっきりと不満が滲んでいた。
涙目のまま、頬を膨らませたミリィがベルを睨む。
小さく、でもはっきりとした不満がそこにあった。
ベルは軽く息を吐く。
「今度はなんだよ?」
ミリィは一瞬だけ言葉を飲み込む。
それでも視線は逸らさないまま、絞り出すように言った。
「か…感想が聞きたい、です」
ベルが眉をひそめる。
「なんの?」
間が空く。
ミリィの喉が、こくりと動いた。
「キ、キスの感想に決まってるじゃないですか!!」
言い切った瞬間、空気が一瞬止まる。
ベルはしばらく固まったあと、ぽつりと呟いた。
「……キスの感想なんて……初めて聞かれたぞ」
「……へ?」
ミリィの声が裏返る。
ベルは肩をすくめる。
「普通、聞かないだろ?」
その言葉に、ミリィの表情がゆっくり崩れていく。
「……皆さん、聞かないんですか?」
「聞かないだろ……?」
即答だった。
その瞬間、ミリィの耳まで一気に赤くなる。
目が潤み、今にも泣きそうな顔になる。
「……っ、そ、そんな……」
声が小さく震える。
「……わ、私……変なこと……聞いちゃいました……?」
視線が落ちる。
さっきまでの勢いが、音を立ててしぼんでいくようだった。
ミリィは小さくうつむいたまま、消え入りそうな声で言った。
「や、やっぱり…忘れてもらえませんか?」
ベルは即答する。
「そりゃ、無理だろー」
「…そ、そうですよね」
肩が少し落ちる。
けれど、完全に諦めたわけではなかった。
ベルはそんな様子を見て、軽く息を吐く。
「まぁでも、ありがとな!嬉しかったぜ」
その言葉に、ミリィがぱっと顔を上げる。
「ほ…ほんとですか?」
「当たり前だろ?嘘なんて言うかよ」
迷いのない声。
ミリィはそのまま、自分の唇にそっと指を当てる。
しばらく考えるように沈黙してから――
「も、もう一回言ってください!」
少しだけ勢いのある声。
ベルは怪訝そうに眉をひそめる。
「は?」
それでも、少しだけ肩をすくめて言い直した。
「うれしかったよ。ありがとう」
同じ言葉。
けれど、今度は少しだけ間を置いて、はっきりと。
ミリィの表情がゆっくりとほどけていく。
「はい…どういたしまして」
小さく、にこりと微笑んだ。
さっきまでの涙目が嘘のように、柔らかい笑顔だった。




