26)屋敷での暮らし
「なぁ、ヴァレンティナ。今ちゃんと幸せか?」
そう唐突に聞いてきたのは、久しぶりにあったリアリスだった。思わず飲もうとしたカップが宙にとまってしまった。
「え? どうしたの急に?」
この屋敷に来てすでに数ヶ月が経ち、ここでの生活にも慣れたころだった。いつものルーティーンで庭で優雅にお茶をいただいている最中に問われ、ヴァレンティナは質問の意図が分からず思わず聞き返した。
近くに人はおらず、少し離れた場所に警備の人はいるが屋敷の使用人はちょうど席を外しているタイミングだ。
「いや、俺の気のせいじゃなければ、元気ないように見えるからさ」
「そうかな? お淑やかに生活してるから?」
「……まぁそうとも言うのかもな」
「リアリスの方こそ疲れてる?」
「めっちゃ疲れてる! 殿下にこき使われてさー、楽な仕事にしてくれーって騒いだら君の警護を任されたんだけどね」
「ふふふ、それは良かったわ。リアリスがいるととっても楽しいし」
「そりゃーどうもー」
「でも、ここはやることがないから逆に暇すぎるんじゃない?」
「そんなことはないよ」
笑みを浮かべるリアリスは普段の顔と違い貴族のような笑みを浮かべた。その様子にヴァレンティナは引っかかったが、これ以上突っ込んでも答えてくれなさそうだと思った。
「でも、そうだなー。ヴァレンティナが逃げたいって言ったら俺はいつでも連れ出してあげるよ」
一瞬真面目な表情をしたリアリスにヴァレンティナは驚いた。
「え?」
「俺はずっと君の味方だからさ。時々はさ城下町で屋台を巡るのもいいと思うんだよな〜」
「なにそれ! ふふふ、それってリアリスが行きたいだけじゃない」
「それもある!」
「もう! 私をダシに使わないでよね」
笑っているとちょうど侍女がポットを持って戻ってきて、ヴァレンティナのカップにあたたかい紅茶が注がれ、会話が止まってしまった。
侍女が後ろに控えるをのみてリアリスは、自分の役目はおしまいというかのように、「それでは失礼」と優雅にポーズを決めて退出した。
だが、ちょうど侍女の横を通り過ぎようとした時、侍女が耳打ちした。
「リアリス様、奥様を勝手に外に連れ出すのはやめてください、殿下の唯一なのですから」
「わかっているさ。侍女どの、ちょっとした冗談だよ」
ぽんと肩に手を当てて、へらりと笑ったリアリスに対して、侍女の眉間に皺がよった。
*
夜静まり返った屋敷の庭では、淡い光が揺らめいている。聞こえるのは虫の声と微かな 葉擦れの音。綺麗な夜空の下で、不穏な影が蠢いていた。
「またか」
リアリスは暗い部屋の窓辺から外を伺っていた。
犬の遠吠えと共に警備兵が庭へとかけていく、ほんの少しの騒音も屋敷の窓越しでは小さく耳、をそばだてないと聞こえない程度だ。
ヴァレンティナの部屋は、かなり防音がしっかりした作りに変えられているため、この騒動は届かないだろう。
朝日が昇る前には綺麗に片付くであろうが、それでも警戒は怠らない。腰に下げた剣の柄に手を添えながら、暗闇の庭を見続けていた。
「まぁ、気づく奴は気づくよな」
辞退した婚約者候補が職場にも現れないと慣れば、消去法でわかるだろう。しかも誰かが幼い頃に一緒に遊んだことのある令嬢だと流せばなおのこと。
婚約者候補の令嬢達は当初は、身の丈のあった判断をしたのでしょうと和やかな茶会を開いていたが、各家で情報が集められたようで、今ではかなりピリついた茶会となっている。
「愛人のはずが住まいが不明で、殿下の持ち物である屋敷の一つが常に警備が厳重となればわかっちゃうよねー」
最近は仕入れいている食材に怪しいものが紛れ込んでくる始末。
屋敷に勤めているものは皆口が固く、誰が住んでいるかわらなければ、実力行使にもでるだろう。他の屋敷も狙われたらしいが、ここが一番鉄壁だ。
「実はこのお屋敷、意外に忙しいだよーヴァレンティナ」
ドタンと天井から聞こえた音に素早くリアリスは動いた。屋根裏部屋に入れる使用人通路を駆け上り、一番乗りで屋根裏に入れば黒づくめの男が一人、床板を外そうと短剣を指しているのが見えた瞬間、剣を薙ぎ払った。
「おっと危ない」
倒れ込む死体を開いた手で掴めば、だらりと首だけが胴体にぶら下がった。だが血飛沫だけは勢いよく周りに飛散し、音が響いてしまった。
「うひぃ〜! 掃除が大変じゃないですか」
後から入ってきた警備兵が、中の様子を覗いて思わずつぶやいてしまった。
「わりぃ、ずた袋を持ってきてくれ」
ゆっくりと死体を寝かせると、侵入場所を探す。屋根裏の窓からだが、そこから外を見れば庭の隅の木に引っかかった、不自然に張った大きな布に気づいた。
「あれで空を滑空してきたのか? なりふり構わなくなってきた感じかよ」
すぐに死体は処分され屋根裏も掃除された。リアリスは着替えて水浴びをし終えれば、軽く仮眠をとる。
目を覚ませばもう朝日が昇っており、雑に制服を羽織り食堂に行けば貴婦人の姿となったヴァレンティナに挨拶をするのだ。
「おはよう〜」
「おはよう、リアリス寝癖ひどいよ〜」
「そう? イケメン?」
「はいはい、イケメンですよ」
ふざけて言うと、ヴァレンティナが呆れながら答え、侍女から新聞を受け取り広げた。この屋敷の穏やかな朝の日常だ。
ヴァレンティナ国際情勢の欄を見ては、「ここの国の料理は屋台飯が美味しい」とか「ここの寺院が珍しい精霊を祀っていて、とても大きいの」とか「ここは言ったことがあって」と話すのだ。
「もっと早く動いてたら違ってたかな」
思わずリアリスは呟くもヴァレンティナにはその言葉は届かなかった。
「ん? リアリスどうしたの?」
「ん? あーヴァレンティナは次に行きたい国ってあるの?」
「えー? もう行けないでしょ」
「いや、もしもの話さ、いろんな国に行ったんだろう?」
「そんなには行ってないよ〜。まーそうねー、また南の国に行くのもいいかなー。」
「へー、どこの国?」
楽しそうに南の国の話を始めたヴァレンティナの笑顔に、リアリスは同じように楽しそうに頷きながら話を聞いた。
思わず言いそうになった言葉を飲み込んで。
彼女には外の話をしてはいけない、新聞記事も彼女に関することは全て抜かれた状態で渡されている。それは殿下の意向だ、貴族の駆け引きに巻き込みたくないという、散々振り回された彼女のために、殿下が用意した安全な屋敷で健やかに過ごしてもらうための配慮だ。
殿下と王妃は現在冷戦中でもある。王は、議会を納得させられるなら好きに動いていいという立場を表明している。
ふと、昨日自分の答えに彼女が答えていないことに気づいた。
「それでね。あ、食事が来た」
「今日も美味しそうな朝食だ〜」
「リアリス、子供じゃないんだからテーブルに置かれてから取りなよ」
「いやーもう腹が空きすぎて」
給仕がテーブルに置く前にさらに盛り付けられたフルーツを手に取って口に放り投げた。
「もう」
「ほら、俺は君の専属だから」
「専属〜?」
「そう、専属護衛よ」
「それと、つまみ食いは関係ないからね」
「えー」
「それにリアリスは殿下の側近でしょ?」
「そうだけど、同時に君の護衛でもあるわけー」
「そうやってふざけてるとまた仕事増やされるんじゃない?」
「それは困るな〜!」
彼女に取っての幸せはわからないが、今はこの屋敷内では穏やかに過ごしてもらうことなのかもしれない。殿下は今必死に彼女の地位を上げようと必死になっている。
「君が幸せなら俺も幸せだよ」
「え、何か悪いものでも食べた?」
「実は、夜に厨房で……」
「え、本当?!」
「うそうそ」




