23)雷鳴
部屋の中は真っ暗だ。
「ちょっとワクワクしない?」
「殿下……お遊びじゃないんですよ?」
「昔さ、空き部屋に忍び込んで寝過ごしちゃったこと覚えてる?」
「あーありましたね。大人たちが蝋燭を持ってあちこち探し回ってましたよね」
「そうそう」
殿下に抱き寄せられながら楽しそうに思い出話をされ、当時を朧げに思い出した。あの時は棚の中で息を潜めて隠れて、真っ暗な部屋の中を使用人たちが蝋燭を持って駆けずり回って探していた。
今みたいに使用人たちが部屋のあちこちに火を灯していくのが美しいな、なんて思いながらも今出て行ったら確実に怒られるとおもい、殿下とひっついて震えていたっけ。
「あの時は違う意味で抱き合ってましたね」
ヴァレンティナの言葉に殿下は思い出し笑いをした。
殿下が笑うたびに体に直接振動が伝わってくる、小さい頃とは違い肉厚な胸板に押しつぶされそうだ。しかも、頭に息がかかりこそばゆく、ヴァレンティナはは思わず殿下の顔面に向かって手を伸ばして、離らかすも手の内側を舐められてしまった。
「ちょ!!! きたない!」
「ひどい!」
思わず殿下のシャツで手の内側を拭うと、側近の一人が近づき濡れタオルを差し出した。
「どうぞ、ヴァレンティナ様、おふきください」
「ありがとう」
「おい、ひどいじゃないか」
「軽食にサンドイッチとフルーツを用意しました。どうぞお召し上がりを。どうやら、この悪天候はもう少し長引くようです」
「そうか……」
「はい、警備は廊下に配備しております。何かありましたらお呼びください」
「わかった。下がって良い」
側近が説明終えると、ホテルの従業員がテーブルの上に食事を並べ、一緒に出て行ってしまった。
「さて、食事にしようか」
「そうですね……」
まさかの二人っきりの状態だ。
侍女も側近も部屋にいない。
扉を守る護衛も今は外にいる。
ヴァレンティナは途端に、殿下のことを意識し始めてしまった。さきほど、キスをしてしまったのだ。それなのに殿下は普通に食事を始めている。ヴァレンティナが自分だけ過剰に意識しているだけかと思い直し、小さくため息をついた瞬間、口の中にフルーツを入れられた。
「ん?!」
「美味しいだろ? 泳ぐと結構体力を使うからなー、しっかり食べないとダメだぞ」
口の中に物があり返事ができず、もぐもぐしながら頷けば殿下は楽しそうに笑った。その笑顔が普段の澄ました顔ではなく、幼少期の笑顔のままでヴァレンティナは思わず殿下の腹に軽くパンチを送った。
「おい、なんだよ」
「しらない!」
「いきなりひどいなー」
「ひど…ん?!」
酷いのはどっちだと言おうとしたところで、今度はサンドイッチを突っ込まれてしまった。
「ほらよく噛んで、喉に詰まっちゃうよ」
ヴァレンティナは思わず唸りながらも、サンドイッチを噛みちぎり咀嚼した。残りを齧ろうとしたところ殿下に食べられてしまった。
「……これ私のサンドイッチじゃないんですか?」
「二人のサンドイッチだ」
しかも食べるのが早く、残りのサンドイッチはヴァレンティナの指ごと食べられてしまった。
「がっつきすぎでは?」
「これでも我慢している方だ」
ぺろりと舐められて、ヴァレンティナの息が上がる。
暗闇の中、蝋燭やランプの光に反射して殿下の瞳が宝石のように瞬いて見える。その瞳にじっと見つめられると、うまく呼吸ができなくなってしまった。
「シノン……ヴァレンティナ」
「で、殿下」
「違うだろ」
「う……アル」
正解という言葉と共に、口を塞がれてしまった。
頭の中では「これ以上はダメだ、部屋を出なければいけない」と思うのと同時に「もう、こんなふうに触れ合う機会は今回しかない」と甘く囁く声が聞こえる。
これ以上超えてはいけない、わかっているのに振り解くことができずにそのまま殿下の腕の中に埋もれた。
*
「お腹が痛い」
ヴァレンティナが目覚めれると、窓の外は朝日が水平線の向こうから登りかけていた。
ジクジクと痛む体に、昨夜のことは夢ではなく現実だと知らしめてきて焦燥感が募った。
「ん……シノン」
ヴァレンティナを抱き寄せる殿下の顔は幸せそうで、ほんの少し幸せな気持ちが優り、殿下に抱きついた。
「もう君を手放さない」
抱きしめられながら告げられた言葉に、ヴァレンティナは喜びを感じた。
「アル」
甘いひとときはすぐに終わってしまう。今日からは公務が再開される。側近や世話係の人は何も言わずに二人の身支度を整えれば、残りの公務は粛々と進められた。
唯一違うのは、相手国の人がいない空間になった瞬間に殿下に抱き寄せられることくらいだろう。
「近いです」
「幸せを噛み締めているんだ」
「……今だけですよ」
そう今だけだ、ヴァレンティナに後ろ盾はない。少し冷静になればわかることだ、王妃にはなれない。自国に帰ったら、爵位のために裁判をしなければならない。この甘い夢のような時間は終わりだ。
気づけばもう帰りの列車の中だ。このままずっと殿下と旅をし続けていたいと思ってしまった。




