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大いなる野望 敵の城を買いました。~30石の武士が商人と軍師を味方につけ、謀略で大名になるまで~  作者: 松本 俊介


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第九話 裏切りの同盟

『大いなる野望』


第一部・第九話「裏切りの同盟」


「……父上?」


その一言が。


燃え残った井伊谷城の一室に落ちた。


男は黙って信綱を見つめている。


顔。


声。


立ち方。


十年前に死んだはずの父。


織部宗重。


間違えるはずがなかった。


「信綱」


その声を聞いた瞬間。


信綱の手から刀が落ちた。


「父上……」


一歩。


また一歩。


男との距離が縮まる。


「本当に……父上なのですか?」


宗重は答えない。


ただ、信綱の肩に手を置いた。


「大きくなったな」


その瞬間。


信綱は拳を握った。


「なぜです」


「……」


「なぜ、死んだと?」


「それを話すために来た」


信綱は父を睨んだ。


「十年です」


宗重は黙っている。


「十年間、俺は父上が死んだと思っていた」


「そうだ」


「なぜ生きていた?」


「生きていると知られれば、お前が殺される」


「誰に?」


宗重は答えなかった。


信綱は一歩踏み込んだ。


「誰にです!」


「……あの三家だ」


信綱の表情が変わった。


「三つの家紋」


「そうだ」


宗重は頷いた。


「井伊谷、佐久間。そして、もう一つ」


「どこの家です?」


「もう存在しない」


「なぜ?」


「俺が滅ぼした」


信綱は息を呑んだ。


「父上が?」


宗重は目を伏せた。


「それが、すべての始まりだった」


◇


十年前。


織部宗重は、井伊谷家の家臣だった。


だが。


表向きの姿とは別に、密かに各地を巡っていた。


商人。


僧。


武士。


忍び。


あらゆる人間から情報を集めていた。


そこで知ったのが。


「裏切りの同盟」だった。


井伊谷。


佐久間。


そして、もう一つの大名家。


三家は密かに手を組んでいた。


目的は一つ。


ある男を消すこと。


御影道玄。


「……道玄を?」


信綱が尋ねる。


宗重は頷いた。


「道玄は、当時まだ一介の商人だった」


「商人が、なぜ?」


「金を持っていた」


宗重は答えた。


「そして、人を動かす力を持っていた」


商人は戦をしない。


だが。


兵糧を止めることはできる。


鉄を止めることもできる。


金を貸さないこともできる。


「道玄は、大名よりも強い」


宗重はそう言った。


「だから三家は、道玄を殺そうとした」


「では、父上は?」


「俺は、それを止めようとした」


信綱は父を見つめる。


「なぜ?」


「道玄を殺せば、もっと大きな戦が起きる」


「だから父上は、三家を裏切った?」


「そうだ」


宗重は静かに答えた。


「そして、俺が裏切ったことで、すべてが崩れた」


◇


その頃。


佐久間城。


佐久間景勝は、父・景虎の部屋へ入った。


「父上」


「何だ」


「玄蕃が戻りません」


景虎は黙っていた。


「救出軍を出しますか?」


「必要ない」


景勝の目が動く。


「なぜです?」


「玄蕃は、自分で戻ってくる」


「もし戻らなければ?」


景虎は景勝を見た。


「その時は、お前がどうするかを見る」


景勝は頭を下げた。


「承知しました」


部屋を出る。


扉が閉じた。


景虎は一人になった。


そして。


小さく呟いた。


「景勝……」


その顔には、父親としての表情はなかった。


「お前は何を企んでいる?」


◇


城外。


一人の女が歩いていた。


お葉だった。


肩の傷はまだ痛む。


だが。


彼女の手には一通の書状がある。


景勝から渡されたものだった。


「織部信綱を殺せ」


以前と同じ命令。


しかし。


今回は違った。


その下に。


「黒崎玄蕃も殺せ」


と書かれている。


お葉は足を止めた。


「……景勝様」


その命令を出したのが誰なのか。


もう分かっている。


景虎ではない。


景勝だ。


つまり。


信綱と玄蕃を同時に消そうとしている。


お葉は書状を破った。


「できない」


自分でも驚くほど、はっきりした声だった。


◇


井伊谷城。


玄蕃は、宗重を見ていた。


「織部殿」


「何です?」


「あなたの父上は、十年前から生きていたのですね」


「そうらしい」


「ならば、私は一つ間違えていた」


信綱が振り返る。


「何を?」


玄蕃は答えた。


「あなたが、この騒ぎを起こしたと思っていました」


「違う?」


「逆です」


玄蕃は地図を広げた。


「あなたは、騒ぎの中に放り込まれた」


信綱は黙った。


「誰かがあなたを動かしている」


「御影道玄」


「そうです」


玄蕃は頷いた。


「しかし」


「しかし?」


「道玄だけではない」


玄蕃は地図に駒を置いた。


佐久間。


井伊谷。


小田切。


さらに。


「今井」


「宗兵衛?」


「商人は中立に見えます」


玄蕃は言った。


「ですが、商人ほど戦の行方を早く知る者はいない」


信綱は考え込んだ。


「宗兵衛が道玄の仲間だと?」


「分かりません」


「また分からないか」


「軍師とは、分からないことを分からないままにしておく仕事です」


信綱が笑う。


「面白いことを言う」


「あなたに似てきたのかもしれません」


二人は顔を見合わせた。


「では」


信綱が言った。


「宗兵衛に会いに行く」


玄蕃が頷く。


「私も同行します」


「佐久間家を裏切るのか?」


玄蕃は少しだけ笑った。


「まだ裏切っていません」


「では?」


「比較しているだけです」


◇


その夜。


信綱と玄蕃は城下の商家へ向かった。


今井宗兵衛の屋敷。


門は開いていた。


「不用心だな」


玄蕃が呟く。


「違う」


信綱は足を止めた。


「開けている」


「誰を待っている?」


「俺たちだ」


二人が中へ入る。


広間には、今井宗兵衛が座っていた。


「お待ちしておりました」


「俺たちが来ると知っていた?」


「商人ですから」


宗兵衛は笑った。


「客の動きくらい分かります」


信綱は向かいに座った。


「聞きたいことがあります」


「何でしょう?」


「御影道玄を知っていますね?」


宗兵衛の笑顔が消えた。


一瞬。


ほんの一瞬だった。


だが。


玄蕃は見逃さなかった。


「……なぜ、その名前を?」


宗兵衛が尋ねる。


信綱は答えた。


「父が知っていた」


沈黙。


宗兵衛は深く息を吐いた。


「そうですか」


「何を知っている?」


「道玄は、あなたを大名にしようとしている」


信綱の目が鋭くなる。


「俺を?」


「はい」


玄蕃が口を挟む。


「なぜ?」


宗兵衛は答えた。


「道玄は十年前から、あなたの周囲に金と情報を流していました」


信綱は息を呑む。


「俺が知らないところで?」


「もちろん」


「なぜ?」


「あなたが、将来必要になるから」


「何のために?」


宗兵衛は答えなかった。


信綱が机を叩く。


「何のためだ!」


宗兵衛は静かに言った。


「天下の商人になるためです」


「商人?」


「いいえ」


宗兵衛は首を振った。


「天下を動かす商人です」


◇


その頃。


佐久間城。


景勝の部屋に、一人の男が入ってきた。


「景勝様」


「何だ?」


「お葉が戻りません」


景勝は黙った。


「黒崎玄蕃も」


景勝は机の上の地図を見つめた。


「二人とも、織部信綱のところか」


「おそらく」


景勝は笑った。


「ならばいい」


「よろしいのですか?」


「むしろ好都合だ」


景勝は地図の上で、井伊谷城を指した。


「信綱が玄蕃を手に入れれば、父上はさらに警戒する」


「はい」


「父上が信綱を恐れれば」


景勝は別の駒を動かした。


「私は父上を討ちやすくなる」


男が頭を下げる。


「では、次の手を?」


「そうだ」


景勝は一枚の書状を取り出した。


「小田切家へ送れ」


「何と?」


景勝は笑った。


「佐久間家は、織部信綱と和睦する」


男が驚く。


「和睦ですか?」


「偽りだ」


景勝は言った。


「信綱を安心させる」


そして。


「その間に、井伊谷の周囲を買収する」


◇


翌朝。


信綱は城の天守から外を見ていた。


自分の旗が風になびいている。


昨日まで。


自分はただの家臣だった。


今は。


一つの城を持っている。


しかし。


その城を見ても、嬉しくなかった。


父が生きていた。


御影道玄が、自分を動かしていた。


景勝が動いている。


お葉も。


玄蕃も。


宗兵衛も。


すべてが自分の周囲で何かを企んでいる。


「殿」


振り返る。


玄蕃だった。


「どうしました?」


「佐久間家から書状が届きました」


「何と?」


「和睦の申し入れです」


信綱は笑った。


「早いな」


「罠でしょう」


「もちろん」


「では?」


信綱は書状を破った。


「受ける」


玄蕃が驚く。


「罠だと分かっていて?」


「罠だからだ」


信綱は窓の外を見る。


「罠には、必ず仕掛けた人間がいる」


「その人間を?」


「捕まえる」


その時。


城下から馬の音が聞こえた。


一人の使者が城門へ入ってくる。


「織部様!」


信綱が振り返る。


「何だ?」


「佐久間家からの使者です!」


「通せ」


使者が膝をつく。


「佐久間景勝様より、和睦の書状をお持ちしました」


信綱は受け取った。


封を開く。


その中には。


一枚の紙。


そして。


小さな木片。


信綱の顔が凍りついた。


木片には。


いつもの文字が刻まれていた。


――「和睦を受けろ」


その下に。


――「そして、景虎を殺せ」


信綱は木片を握りつぶした。


玄蕃が尋ねる。


「誰からです?」


信綱は答えない。


ただ。


遠く佐久間城を見た。


そして。


静かに言った。


「景虎を殺す」


玄蕃の顔が変わる。


「本気ですか?」


「違う」


信綱は笑った。


「殺すのは景虎ではない」


「では?」


「景虎を殺そうとしている男だ」


玄蕃の目が鋭くなる。


「……景勝」


信綱は頷いた。


「裏切りの同盟は、まだ終わっていない」


その時。


城下の茶屋で。


お葉が一人、信綱の城を見つめていた。


そして。


その背後に、御影道玄が立った。


「お葉」


「……」


「織部信綱を守るのか?」


お葉は振り返らない。


「分かりません」


「ならば、よい」


道玄は笑った。


「人は迷った時に、一番大切なものを選ぶ」


お葉は尋ねた。


「あなたは、何を選んだの?」


道玄は答えなかった。


ただ。


遠くの井伊谷城を見つめる。


「私はもう選んだ」


その目には。


奇妙な光があった。


「天下だ」


風が吹く。


井伊谷城の旗が大きく翻る。


信綱の野望。


景勝の野望。


道玄の野望。


そして。


まだ誰にも見えていない、第四の野望。


それぞれの思惑が。


一つの城を中心に絡み始めていた。


そして信綱はまだ知らない。


自分が手に入れた井伊谷城そのものが。


二十年前から仕掛けられていた。


巨大な罠の中心だったことを。


第一部・第九話 了

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