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大いなる野望 敵の城を買いました。~30石の武士が商人と軍師を味方につけ、謀略で大名になるまで~  作者: 松本 俊介


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第3話 影の決断

**『大いなる野望Ⅲ 天下統一編』**

**第3話:影の決断**


京の夜は、漆黒の静寂に包まれていた。だがその闇の奥で、激しい死闘が繰り広げられていることを知る者は、誰もいない。


月光が照らす廃寺の境内で、黒い影が交差する。金属の擦れ合う甲高い音が夜空に響き、赤い血が濡れた石畳を汚した。


お葉の苦無が、襲い来る刺客の喉を正確に貫く。倒れ込む男の額には、ムカデの刺青があった。御影道玄が手塩にかけて育てた全国規模の忍び組織「黒脛巾」の、残党の印である。


「はぁ……はぁ……」


息を乱しながら、お葉は周囲に転がる五つの骸を見下ろした。


雑賀の無血開城で足元をすくわれた道玄は、京の内側から信綱の手足を削ごうと、黒脛巾の全戦力を投入して工作を始めていたのだ。


そのとき、暗がりから足音が一つ、忍び寄った。


「見事な腕前だな、お葉」


姿を現したのは、顔の半分を布で覆った男。黒脛巾の頭領格であり、かつてお葉とともに道玄の下で刺客として育てられた男、木猿であった。


お葉は構えを解かず、冷たい瞳で睨みつける。


「道玄の狗が……何の用だ」


「相変わらず冷たいな。だが、強がりもそこまでだ」


木猿は懐から一本の簪を取り出し、お葉の足元へ放った。月光を受けたその簪を見て、お葉の息が止まる。


数年前、道玄の手から逃がし、人里離れた隠れ里で静かに暮らしているはずの、腹違いの妹・おつるの品であった。


「なっ……おつる……!?」


「道玄様は、お前のすべてをお見通しだ。妹の居場所など、とうに割れていたのだよ」


木猿は卑しい笑みを浮かべ、低く囁いた。


「道玄様からの伝言だ。『信綱の寝首をかけ。さもなくば、妹を生きたまま皮を剥ぎ、京に首を晒してやる』とな」


お葉の胸に、激しい動揺と冷たい絶望が走る。


妹のおつるは、孤独で血塗られたお葉の人生に差した、ただ一つの光だった。道玄はその弱みを正確に射抜き、再びお葉を「信綱を殺すための駒」にしようとしている。


「期限は明後日、満月の夜。信綱の首を持ってこい。さもなくば、妹の命はないと思え」


木猿はそう言い捨て、煙のように闇へ消えた。


一人残されたお葉は、簪を固く握りしめたまま、その場に崩れ落ちた。爪が掌に食い込み、血が滲む。


かつての自分なら、妹のために迷わず信綱を刺したかもしれない。だが、幾多の死線を信綱とともに越え、その孤独と天下への覚悟を間近で見てきた今、信綱はお葉にとって、命を捧げるべき唯一の主であり、愛する人となっていた。


「殿……私は、どうすれば……」


夜風が哀しく吹き抜けるなか、お葉は空を見上げた。


    *


翌日。二条城の執務の間。


お葉はいつも通り、気配を消して信綱の斜め後ろに控えていた。信綱は毛利との戦に向け、兵糧の帳面や布陣の図面を広げ、没頭している。


「お葉」


不意に筆が止まった。信綱は背を向けたまま呼びかける。


「ハッ、ここに」


「昨夜、黒脛巾と交戦したそうだな。怪我はないか」


「……問題ございませぬ。すべて片づけました」


お葉は声が震えぬよう、必死にこらえた。だが信綱は、そのわずかな変化を見逃さなかった。ゆっくりと振り返り、お葉の目をまっすぐに見据える。


「嘘をつくな。お前の目は、覚悟を決めた人間の目だ。……何を隠している」


鋭い眼光に射抜かれ、お葉は息をのんだ。もはや隠し通せぬと悟り、足元に伏して、昨夜の出来事と道玄の脅迫をすべて打ち明けた。


「申し訳ございませぬ、殿。私の因縁ゆえに、殿にご迷惑を……。今宵のうちに京を発ち、妹を救い出して、道玄を討ちます。もし戻らねば、私を道玄の手の者として、お斬り捨てください」


平伏し、震えるお葉。


信綱はしばらく黙っていたが、やがて立ち上がり、お葉の前まで歩み寄ると、その華奢な肩に静かに手を置いた。


「馬鹿者が」


声は、思いのほか穏やかだった。


「お前は、いつまで一人で背負い込むつもりだ。お前は俺の『影』だ。影が消えれば、光である俺も立てぬ」


「殿……」


「道玄の狙いは、俺とお前の信頼を断ち切ることだ。奴の思い通りにはさせん。お前の妹も、お前の命も、俺がすべて救ってやる」


信綱の口元に、不敵な笑みが浮かぶ。


「道玄め、俺たちを追い詰めたつもりだろうが……それを逆手に取ってやる。お葉、捨て身の罠を仕掛けるぞ」


    *


約束の夜、満月。京の郊外、荒れ果てた神社。


闇に潜む木猿の前に、黒装束のお葉が一人で現れた。その手には、血のにじむ布に包まれた、重い物が握られている。


「来たか、お葉。約束の品は持ってきたのだろうな」


木猿が口の端を吊り上げる。お葉は無言のまま、包みを足元へ放った。転がり出たのは、信綱の愛刀と、血に染まった一房の髪であった。


「……これで満足か。妹を渡せ」


「くくく……見事だ! あの織部信綱も、女の情には勝てなんだか!」


木猿は歓喜し、懐から合図の笛を取り出して吹いた。神社の奥から、縛られたおつるが引きずり出されてくる。


「姉様……!」


「おつる!」


木猿はおつるの首筋に刃を突きつけ、嗤った。


「よし、道玄様に報告だ。信綱は死んだとな!」


だがその瞬間、お葉の口元に、冷たい笑みが浮かんだ。


「報告なら、あの世で道玄にしなさい」


「何……!?」


お葉が腕を振ると、袖口から放たれた黒い粉が爆ぜ、閃光と煙が辺りを包んだ。同時に、境内の木々から無数の影が一斉に躍り出る。


「かかったな、道玄の狗ども!」


声を張ったのは、柴崎左近。率いるのは、織部家の精鋭部隊であった。さらに物陰から、影のように信綱本人が姿を現し、冷徹な目で木猿を見下ろした。


「なっ……信綱!? 生きているだと!?」


驚愕する木猿。


すべては、信綱とお葉の仕掛けた罠だった。お葉はあえて「偽りの決断」を演じ、道玄の目を欺いて、黒脛巾の連絡網をたぐり寄せようとしていたのである。


「妹は返してもらう」


左近の刀が閃き、木猿の腕を斬り落とす。お葉は煙のなかへ飛び込み、おつるを抱きかかえて救い出した。


「おのれ……信綱ぁぁぁ!」


木猿は叫びながら逃げようとしたが、お葉の放った苦無が、その背を深々と貫いた。木猿は絶命し、地に倒れ伏した。


駆け寄るお葉とおつる。


「姉様……ありがとう……!」


「無事でよかった……おつる……」


涙を流して抱き合う姉妹を、信綱は静かに見つめていた。やがてお葉は、妹を安全な場所へ移させると、信綱の前に跪いた。


「殿……この御恩、私と妹の命をもって、生涯かけてお返しいたします」


信綱は刀を鞘に納め、満月を見上げた。


「礼などいらん。それより、木猿の懐から出てきた密書を見たか」


お葉は遺体から回収した密書を開き、顔色を変えた。


「これは……毛利軍の全軍配置図と、軍師・小早川の策を記した書……!写しか?」


「そうだ。黒脛巾の連絡網を押さえたことで、奴らが毛利と連携するための極秘の情報が手に入った。お葉、お前の捨て身の策のおかげで、勝機が見えたぞ」


信綱の瞳に、宿敵・毛利を討つ冷たい炎が燃え上がる。


「いよいよ西国決戦だ。播磨へ向かうぞ!」


(第3話 完)


**次回予告(第4話:謀略の双頭)**

毛利軍十万が播磨へ進軍! 立ちふさがるのは、稀代の智将・軍師小早川。信綱の頭脳・黒崎玄蕃との間で、瀬戸内の海を舞台に、史上最大の頭脳戦が幕を開ける!


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