第9話:黒幕の正体
『大いなる野望Ⅱ 天下布武』第九話をお届けします。
第9話:黒幕の正体
四万の包囲網を破り、佐久間景勝の大軍を潰走させた勝利の余韻が、鷹ヶ峰城を包んでいた。
柴崎左近ら将兵が歓声を上げ、家臣団が一丸となって戦勝の宴に沸く中、城主・織部信綱だけは一人、天守の最上階で静寂の中に身を置いていた。
夜風が吹き抜ける回廊。
燭台の火が不自然に揺れ、闇の中からかすかな足音が近づいてくる。
「――実に見事な大勝利であったな、織部信綱」
姿を現したのは、深編み笠を脱ぎ捨てた虚無僧姿の男――御影道玄であった。
年齢不詳の顔立ち、その奥に宿る瞳は、まるで人間のあらゆる感情を捨て去ったかのように冷たく澄んでいた。
信綱は驚きもせず、静かに腰の刀の柄に手を置いた。
「誰だ。忍びの類か、それとも刺客か」
「刺客などという卑しいものではない。……お前に『野望』という名の種を蒔いた者だ」
道玄は薄く笑い、信綱の前に歩み出た。
「二十年前……お前の父が、主君・井伊谷盛定によって謀反の疑いをかけられ、切腹させられたのを覚えているか?」
信綱の目の奥に、激しい火花が散った。亡き父の記憶――幼い己の目の前で流された赤黒い血。
「それがどうした」
「あの謀反の噂を流し、盛定にお前の父を殺させたのは……この私だ」
静寂が天守を支配した。
信綱の握り拳から、爪が皮膚に食い込むほど強い力がこもる。
「……何だと?」
「お前の父は真面目すぎた。忠義に厚く、小さくまとまった武士に過ぎなかった。だが、その血を引くお前には『狂気』の才能があった。父を不当に奪われ、復讐と怨嗟の中で育つことでしか磨かれない、爛々とした野心の才能がな」
道玄は平然と語り続けた。
「盛定にお前を生かさせ、下級武士から這い上がらせるよう仕向けたのも私だ。お前が手に入れた軍師・黒崎玄蕃も、お前を助けるために私が遣わした『仕掛け』に過ぎん」
「玄蕃が……お前の駒だと?」
「そうだ。お前が井伊谷家を乗っ取り、鷹ヶ峰城を手に入れ、朝廷を利用し、佐久間を打ち破る……。そのすべては、この御影道玄が二十年かけて描いた『天下改造の盤面』の筋書き通りなのだよ」
信綱の脳裏に、これまでの歩みが激しい濁流となって駆け巡った。
己の知恵と度胸、自らの欲望だけで掴み取ってきたと思っていた城も、勝利も、野望すらも――すべては目の前の男の手の上で踊らされていた「演出」だったというのか。
信綱の全身から、底知れぬ怒りと黒い情念が溢れ出した。
カシャン、と脇差が半ば抜かれる。
「……俺を操り人形にしていたというわけか」
「そう怒るな。お前は最高にして最高の作品だ」
道玄はあざ笑うかのように手を広げた。
「現在の日本は腐っている。無能な幕府、権威だけの朝廷、自領の利害しか考えぬ群雄ども。これらをすべて焼き尽くし、更地にするために……お前のような『欲望の化身』が必要だったのだ。お前が京へ上洛し、幕府を潰し、朝廷を屈服させた時、本当の新時代が訪れる」
「黙れッ!」
信綱の刃が一閃した。
鋭い斬撃が夜気を引き裂いたが、道玄の姿はすっと掻き消え、刃は虚空を切った。
「フフフ……無駄だ。私を斬ることはできん」
どこからともなく道玄の声が響く。
「織部信綱よ。自分自身の意志で突き進んでいると思っていた野望が、実は他人の掌の上にあったと知ってどうする? 絶望して膝を折るか? それとも……この私すらも喰らい尽くし、真の覇王となるか?」
「……クク、ハハハハハ!」
不意に、信綱が低い笑い声を上げた。
その笑いは次第に大きくなり、天守閣全体に響き渡った。
信綱は刃を鞘に収めると、暗闇に向かって叫んだ。
「道玄! お前が俺を作ったのだとすれば、最大の誤算を冒したな!」
「なに……?」
「俺の野望は、お前の矮小な『仕掛け』など軽々と飛び越える! お前が用意した盤面も、シナリオも、黒幕面したお前の首も……すべて俺の足蹴にするための踏み台に過ぎん!」
暗闇の中で、道玄の息を呑む気配がした。
「お前が作った狂気、とくと味わうがいい。俺は京へ上り、天下を奪う。そして……お前を地獄の底へ叩き落としてやる!」
答える声は、もうなかった。道玄は闇の奥へと気配を消していた。
一人残された信綱の目は、かつてないほど獰猛な光を放っていた。
操り人形であることを知らされ、絶望するどころか、信綱の野望は「黒幕を喰らう」という次元へと進化を遂げたのである。
翌朝。信綱は軍師・黒崎玄蕃を呼び出した。
玄蕃の忠誠が本物か道玄の偽りか、もはや信綱には関係なかった。玄蕃の知恵すらも使い潰し、天下を奪うのみ。
「玄蕃。京へ上洛するぞ。……佐久間景勝との最後の決着をつける」
「……御意にございます、殿」
玄蕃は深々と頭を下げた。その瞳には、かつてない不気味な光を宿した主君に対する、本物の「恐れ」が浮かんでいた。
(第10話へ続く)




