第7話:包囲網形成
『大いなる野望Ⅱ 天下布武』第七話をお届けします。
第7話:包囲網形成
東側の丘から怒涛の如く駆け下りた織部信綱の本隊は、佐久間軍の本陣を容赦なく踏み荒らした。
しかし、佐久間景勝もまた、数々の修羅場を潜り抜けてきた百戦錬磨の野心家であった。
「怯むな! 成り上がりの小勢など恐るるに足りん! 押し包んで揉み潰せ!」
景勝の凄まじい一喝により、混乱に陥りかけた佐久間本隊の側近たちが瞬時に体勢を立て直す。数で勝る佐久間軍の重厚な旗本勢が信綱の突撃を肉の壁で受け止め、泥沼の混戦へと持ち込んだのだ。
「ちっ……さすがに景勝の本陣、一筋縄ではいかぬか!」
信綱は凄まじい剣戟の音と返り血の中で、冷静に引き際を見極めていた。
ここで無理に景勝の首を狙い続ければ、西側の森に伏せられていた敵の予備兵力が戻り、逆に挟み撃ちにされて壊滅する。
「全軍、引け! 北の谷へ退却する!」
信綱は間一髪で手綱を引き、本隊を引かせた。
景勝の首こそ挙げられなかったものの、この奇襲によって佐久間軍の本陣は大混乱に陥り、北の隘路を進んでいた先鋒部隊との連携は完全に寸断された。
北の隘路では、柴崎左近率いる鉄砲隊が絶大な威力を発揮していた。
佐久間軍が買い付けたはずの最新式鉄砲は、豪商・今井宗兵衛の手回しによる「不慮の湿気」で次々と不発を起こし、不審に思った兵たちが混乱する中、左近の鉄砲隊が容赦ない斉射を浴びせ続けたのだ。
「かかったぞ! 一兵たりともこの谷を通すな!」
左近の咆哮が谷間にこだまする。
初日の激突は、信綱の鮮やかな軍略と事前の謀略により、圧倒的有利な状況で一時撤退という形に終わった。佐久間軍は甚大な被害を受け、鷹ヶ峰城の喉元で足止めを余儀なくされたのである。
――しかし。
本当の地獄は、合戦の「翌日」から始まった。
「報告! 西方の巨大大名・武田家より一万の軍勢が出陣! 我が領地の西境へ向かって進軍中!」
「報告! 南方の豪族・神保一族が佐久間家に呼応し、挙兵いたしました!」
軍議の間に、悲痛な報せが次々と舞い込んだ。
本陣を襲撃され頭に血が上った佐久間景勝は、持てるあらゆる外交ルートと金銀を駆使し、信綱を東西南北から一気に押し潰す「織部信綱包囲網」を電撃的に形成したのだ。
「くっ……景勝め、なりふり構わず周りの大名どもを巻き込んできたか!」
左近が拳を畳に叩きつける。
現状、鷹ヶ峰城に集結している信綱の兵力は一万弱。
対する佐久間軍の本隊、そして西からの武田軍、南からの神保軍を合わせれば、その数およそ四万。四方を敵に囲まれた完全な孤立無援であった。
室内に重苦しい絶望が立ち込める中、軍師・黒崎玄蕃が静かに扇子を開いた。
前夜、信綱に自らの忠誠を試され、謀略を破られた玄蕃であったが、その顔には不敵な笑みが戻っていた。
「殿。いよいよ『天下』という盤面らしくなってまいりましたな」
「玄蕃。四万の包囲網だ。正面から戦えば、三日と持たずに我が家は潰れるぞ」
信綱は文机に描かれた地図をじっと見つめていた。その瞳に諦めの色は一切ない。
「ええ。ですが殿、包囲網とは言わば『野合の衆』。佐久間、武田、神保……奴らは一枚岩ではございませぬ。皆、己の欲のために動いているに過ぎん」
「……言わんとすることは分かる」
信綱の口元が吊り上がった。
「武田が動いたのは、佐久間から『織部を潰した暁には、井伊谷の鉱山を与える』と約束されたからだ。神保が挙兵したのは、佐久間の威光を恐れたからに過ぎん」
信綱は立ち上がり、すっと影から現れた女忍び・お葉と向き合った。
「お葉。我が家に残された最後の金銀をすべて使え。武田の陣営へ極秘の使者を飛ばせ。『佐久間は信綱を倒したのち、勢いそのままに武田の領地へ侵攻する計画である』という偽の密書を握らせるのだ。さらに、神保の重臣どもには、今井宗兵衛を通じて莫大な賄賂を贈り、陣を動かさぬよう工作しろ」
「はっ……! 直ちに取りかかります」
お葉は素早く影に消えた。
「左近!」
「ははっ!」
「お前は鉄砲隊を率いて城の南へ向かえ。神保の軍勢に対し、撃ち合うのではなく『空砲』を打ち鳴らして威嚇せよ。買収された神保の重臣どもが『織部軍の鉄砲隊が強大すぎて進軍できぬ』と言い訳するための口実を作ってやるのだ」
「なるほど! 奴らに戦う気を失わせるわけですな!」
左近の目が輝く。
「戦とは兵を殺し合うことではない。敵の『欲望のズレ』を突き、内側から包囲網を切り崩す」
信綱は京都の方角を見据えた。朝廷から賜った官位、豪商の財力、二重間者の情報、そして敵の利害関係。
自らの野望を阻む四万の包囲網を前に、織部信綱の真の謀略が、静かに、そして苛烈に動き始めた。
(第8話へ続く)




