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大いなる野望 敵の城を買いました。~30石の武士が商人と軍師を味方につけ、謀略で大名になるまで~  作者: 松本 俊介


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第6話:軍師の毒薬

『大いなる野望Ⅱ 天下布武』第六話をお届けします。


第6話:軍師の毒薬


 決戦を翌日に控え、鷹ヶ峰城(たかがみねじょう)の空気は緊迫の度を増していた。


 柴崎左近(しばさき さこん)率いる鉄砲隊は谷間の隘路(あいろ)に配置され、豪商・今井宗兵衛(いまい そうべえ)による火薬工作も完了。二重間者となったお葉(おは)の報せにより、佐久間景勝(さくま かげかつ)の数万の大軍は、信綱が掘った墓穴へと順調に進軍を開始していた。


 すべては完璧に見えた。――ただ一人、天才軍師・黒崎玄蕃(くろさき げんば)の動きを除いては。


 丑の刻(午前二時頃)。城外の深い森の中に、玄蕃の姿があった。


 彼の前に佇むのは、虚無僧(こむそう)の身なりをし、顔を深編み笠で隠した謎の男――御影道玄(みかげ どうげん)であった。


「――玄蕃。織部信綱という駒は、実に見事に育ったな」


 道玄の低く掠れた声が、闇に響く。


「はっ。足軽の倅(せがれ)に過ぎなかった男が、いまや天下の命運を握る大戦を動かそうとしております。我が仕込みに狂いはございません」


 玄蕃は淡々と答えた。その顔に、信綱に見せるいつもの軽妙な笑みはない。


「信綱は、自分が己の欲望と知恵だけでここまで上り詰めたと信じ切っておる。……だが、すべては二十年前から我らが描いた絵図の上だ。佐久間を撃破させた後、信綱を京へ上洛させ、既存の幕府と朝廷の権威を破壊させる。頼んだぞ、玄蕃」


「御意」


 玄蕃は深く頭を下げ、道玄の影は風のように消え去った。


 玄蕃が忍び足で自室へ戻ると、そこには行灯(あんどん)の灯りの下、一人の男が腰掛けていた。


 織部信綱である。


「……これは殿。こんな深夜に、軍師の部屋で夜明かしでございますか」


 玄蕃は一瞬でいつもの笑みを貼り付け、扇子を手に取った。


「どこへ行っていた、玄蕃」


 信綱の問いただしは静かだったが、眼光は冷ややかに研ぎ澄まされていた。


「なに、明日の合戦に備え、地形の確認と風の向きを確かめておりましたよ」


「そうか。……玄蕃、お前に明日の決戦における『真の作戦』を伝えておく」


 信綱は懐から一枚の極秘の陣図を取り出し、畳の上に広げた。


「左近の鉄砲隊を北の隘路に配置したのは囮(おとり)だ。佐久間全軍が隘路に殺到した瞬間、俺は本隊を率いて佐久間軍の『西側』の手薄な側面に突撃する。一気に景勝の本陣を奇襲し、その首を上げる」


 玄蕃は陣図を見つめ、目を細めた。


「ほう……本陣への直接奇襲でございますか。成功すれば劇的な勝利となりますが、もし読まれていれば我が本隊が孤立し、壊滅いたしますぞ」


「だからこそ、この作戦を知っているのは俺とお前だけだ。……玄蕃、頼むぞ。俺の命はお前に預けている」


「――はっ。この黒崎玄蕃、骨を折って軍略を尽くしましょう」


 翌朝。佐久間景勝率いる二万の大軍が、鷹ヶ峰城を目指して怒涛の如く押し寄せてきた。


 「信綱毒殺、城内大混乱」の報を信じ切っている佐久間軍は、一切の警戒を怠り、狭い北の隘路へと一筋の長蛇となって雪崩れ込んでいく。


 だが、その佐久間本陣に、一羽の鳩が飛び込んだ。


 景勝のもとに届けられた文には、こう書かれていた。


『信綱の毒殺は偽り。信綱は左近を隘路に配し、自らは本隊を率いて西側から貴殿の本陣を奇襲する手筈なり』


 差出人の名はなかった。だが、その情報は信綱が昨夜、玄蕃だけに明かした「極秘の作戦」そのものであった。


「ふははは! 騙されたフリをして我らを誘い出すつもりだったか、成り上がりめ!」


 景勝は酷薄な笑みを浮かべた。


「西側の森に全予備兵力を伏せさせよ! 奇襲に現れた信綱を包囲し、一人残らず血祭りに上げてやるのだ!」


 佐久間軍の動向は、即座に変化した。本陣の西側に極秘裏に重厚な包囲網が敷かれ、信綱の本隊が飛び込んでくるのを手ぐすね引いて待ち構えた。


 ――しかし。


 西側の森から信綱が現れることは、なかった。


 ドゴォォォォン――!


 凄まじい地響きと腹に響く鉄砲の連続音が、北の隘路から轟いた。


 柴崎左近率いる鉄砲隊の斉射である!


「な……なに!? 西側ではない! 北の隘路で我が先鋒が足止めされているだと!?」


 景勝が驚愕の声を上げる。


 その時、景勝の本陣の『東側』――予備兵力を西へ移動させたことで、完全に手薄になっていた逆側の小高い丘から、怒号とともに一群の騎馬隊が駆け下りてきた!


 先頭に立つのは、黒糸威(くろいとおどし)の鎧を纏った織部信綱である!


「景勝ッ! 首をもらい受ける!」


「バ、バカな……! 西からの奇襲ではなかったのか!?」


 景勝は錯乱した。


 陣中に立ち尽くす軍師・黒崎玄蕃は、混乱する佐久間軍のただ中で、静かに扇子を開いた。


(……見事だ、殿)


 玄蕃の胸に、冷や汗と感嘆が同時に吹き出していた。


 信綱は昨夜、玄蕃を試したのだ。


 「西からの奇襲」という偽の作戦を玄蕃だけに伝えることで、玄蕃が自分を裏切って敵に情報を売るか否かを試した。そして玄蕃が情報を流すと踏み、あえて敵が西側へ兵力を割くように誘導した上で、手薄になった「東側」から本陣を襲撃したのだ。


(己の軍師すら囮にし、その裏切りすら計算に入れて合戦の盤面を完成させるとは……)


 信綱の馬が、佐久間本陣の旗印をなぎ倒す。


 軍師・黒崎玄蕃の忠誠の真意。そして謎の黒幕・御影道玄の影。無数の謀略が交錯する中、信綱の刃が、ついに宿敵・佐久間景勝の喉元へと迫っていた。


(第7話へ続く)


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