第5話:豪商の秤(はかり)
『大いなる野望Ⅱ 天下布武』第五話をお届けします。
第5話:豪商の秤
鷹ヶ峰城の開け放たれた対面所。
秋の冷たい風が吹き抜ける中、織部信綱の前に坐していたのは、天下の商港・堺に巨大なネットワークを持つ豪商、今井宗兵衛であった。
宗兵衛は絹の着物の裾を整え、揉み手をしながら、独特の商人の微笑みを浮かべていた。
「――織部様。いやはや、柴崎左近殿率いる鉄砲隊の練度、見事なものにございますな。我が今井屋が納めた堺の種子島(鉄砲)が、あのように威風堂々と並ぶ姿を見るのは、商人冥利に尽きるというもの」
「白々しいぞ、宗兵衛」
信綱は冷淡な一言で宗兵衛の言葉を遮った。
傍らで扇子を弄んでいた軍師・黒崎玄蕃も、薄笑いを浮かべたまま宗兵衛を睨みつける。
「な、何か……某に手落ちでもございましたでしょうか?」
「手落ちどころか、大商売をされたようだな」
信綱は懐から一枚の木札を取り出し、畳の上に投げ置いた。そこには佐久間家の家紋と、極秘の物資輸送の刻印が押されていた。
「佐久間景勝が、お前経由で堺から最新式の鉄砲二百挺と、大量の硝石(火薬の原料)を買い付けた。……そうだな?」
宗兵衛の顔から、一瞬にして商人の笑みが消えた。
室内を重苦しい静寂が包む。
「……さすがは織部様。耳がお早いですな」
宗兵衛は開き直ったように溜息をつき、姿勢を正した。
「左様でございます。某は商人。武士の戦にどちらかの肩を持つわけにはまいりませぬ。織部様にも鉄砲を売り、佐久間様にも鉄砲を売る。どちらが勝ち、どちらが負けようと、我が今井屋は生き残り、儲けを出さねばならんのです。それが商人の道というもの」
「どちらが勝っても儲かる仕組み、か」
信綱は顎を撫でながら、ふっと口元を緩めた。
「宗兵衛。お前は俺と佐久間の戦いを、天秤にかけて高みの見物を決め込むつもりだったわけだ。佐久間の圧倒的な大軍と二百挺の鉄砲があれば、我が織部家など一溜まりもなく潰れるとな」
「……滅相もございません。ですが、佐久間軍の財力と物量は、いまや一国を軽々と呑み込むほど。織部様が苦戦されるのは火を見るより明らかでございます」
宗兵衛の言葉は本音だった。商人の眼力から見て、今の織部家と佐久間家の戦力差は壊滅的であった。
「ならば、その天秤を俺の手で傾けてやろう」
信綱が身を乗り出した。その眼光の強さに、百戦錬磨の豪商である宗兵衛が思わず息を呑む。
「宗兵衛。佐久間に売りつけたその二百挺の鉄砲と火薬……『仕込み』をしてほしい」
「仕込み……と、おっしゃいますと?」
「佐久間に渡す火薬の硝石の配合をほんの少し減らせ。あるいは、湿気を含ませろ。実戦で一発目は撃てても、二発目、三発目と撃ち続けるうちに銃身に煤が詰まり、不発を起こすか、破裂するように仕込むのだ」
宗兵衛の顔が劇的に蒼白になった。
「な……!? 滅相もない! そのような欺瞞が佐久間景勝様に知れれば、我が今井屋は首を撥ねられ、店は取り潰されます! 商人の信用も地に落ちまする!」
「信用だと?」
玄蕃が冷たく口を挟んだ。
「宗兵衛殿。我が殿が負ければ、佐久間は次に何を考えると思う? 天下を狙う景勝は、肥大化しすぎた堺の商人どもを抑え込み、その財産をすべて没収するだろうよ。奴は自由な商いなど許さぬ男だ」
宗兵衛の手が微かに震え始めた。玄蕃の言う通り、佐久間景勝は極めて厳格かつ統制を好む領主であった。
「宗兵衛」
信綱は静かな、だが逃れられない声で囁いた。
「俺が勝てば、佐久間の領地を含むこの国のすべての鉱山、港、そして城下町の商業権を、すべてお前に一任する。堺の商人ではなく、天下の豪商にしてやる」
「天……天下の豪商……」
「佐久間を取るか、俺を取るか。お前が日頃重宝しているその『秤』で、どちらの未来が重いか測ってみろ」
巨大な富と権力という甘い毒。そして、一歩間違えれば死という地獄。
宗兵衛の額から大量の汗が吹き出す。彼は両目を固く閉じ、長くて重い数十秒の沈黙の後、深く深く床に頭をこすりつけた。
「……承知いたしました。佐久間様に納める火薬……『不慮の湿気』により、実用に応じぬよう手を回しましょう。ただし、織部様……必ずや、勝利していただきとうございます」
「ククク……交渉成立だな」
信綱は満足げに笑った。
宗兵衛が辞去した後、天守の陰から女忍びのお葉が姿を現した。
「信綱様。佐久間陣営の道鬼へ『信綱毒殺成功、城内は大混乱』との報を届けさせました。景勝は明日未明、全軍をもってこの鷹ヶ峰城へ向けて進軍を開始いたします」
「見事だ、お葉」
信綱は立ち上がり、遠く佐久間領の山並みを見据えた。
武力は柴崎左近の鉄砲隊。
情報は二重間者となったお葉。
経済と物量は買収した今井宗兵衛。
そして謀略は黒崎玄蕃。
「佐久間景勝よ。お前が信じる『大軍』も『最新の兵器』も、すべて俺の掌の上で腐り果てているとも知らずに……攻め寄せてくるがいい」
天下を揺るがす大激突まで、あとわずか数刻。
信綱が張り巡らせた見えざる網が、巨大な大名家を呑み込もうとしていた。
(第6話へ続く)




