エピソード2-3
「この世界で『蝶』になりなさい」
雪乃ママが、まっすぐ私を見る。
「……蝶、ですか?」
「そう。自分が好きなものだけを選んで、優雅に舞う蝶になりなさい」
「好きなものだけを?」
「お金も、友達も、男も。好きなものだけを選べばいいの」
「……はい」
「だから、これは受け取ってね」
そう言って、茶封筒を私の手の中に収めた。
「……ありがとうございます」
「今週末、お店で待っているから」
「はい。何時に行けばいいですか?」
「お店は二十一時からだから、二十時でいいわ。ドレスもメイクも髪型も、全部お店で用意できるから、普段着で来て」
「分かりました」
「じゃあ、今週末ね」
「はい、よろしくお願いします」
席を立ち、雪乃ママに頭を下げてから、凛が待つカウンターへと向かった。
そこでは、凛と先輩が楽しそうに談笑していた。
「綾、話は終わった?」
声に気づいた凛が、カウンターの椅子から落ちそうな勢いで身を乗り出してくる。
「うん」
「どっちで働くことにしたんだ?」
先輩が訊いた。
「クラブにしました」
「そっちがいいな」
先輩は軽く笑って頷く。
「俺はいつもこっちにいる。なにかあったら、遠慮なく相談に来いよ」
「はい。ありがとうございます」
ビルを出たところで、凛が下から私の顔を見上げた。
「よかったね、綾。バイト、決まって」
「うん。凛のおかげ。ありがとう」
「別に、私はなにもしてないよ」
「そんなことない。今日だって、わざわざついてきてくれたし」
「いいって。私も先輩に会えたし。それに……」
「それに?」
「今度、一緒に遊ぶ約束したんだ」
凛は弾けるように笑った。
それはいつもと少し違う表情だった。誰かを想っている顔。
「よかったじゃん」
「うん」
返事をした瞬間、自分の口元がきちんと動いているかだけが気になった。
そのとき、スマホが震えた。
画面に表示された名前は〝瑞貴〟。
「……はい」
『面接、終わったのか?』
「うん」
『来るんだろ?』
「今から行く」
『酔っ払いに絡まれんなよ』
「……その心配はいらない」
『それもそうか』
瑞貴は、電話の向こうで笑っていた。
その声が続くほど、胸の奥がざらつく。
「じゃあ、あとで」
そう言って通話を切る。
隣で凛が、声を押し殺すように笑っていた。
「なに、笑ってるの」
「え?」
「下向いてるのに、肩が揺れてる」
「ばれてた? ごめん。綾と瑞貴って、いつも仲いいなって思って」
「仲がいい? 私と瑞貴が?」
「うん」
「そう? しょっちゅう言い合ってるけど」
「それが仲良さそうに見えるんだって」
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
私は瑞貴と過ごす時間を楽しいと思っている。ただ、それだけだ。
瑞貴も同じかどうかは分からない。
首を傾げた私を見て、凛は小さく笑った。
ずっと、このままの関係でいられたらいいと思っていた。
凛や瑞貴たちと、くだらないことで騒いで笑って。
私は早く自立して、大人になりたい。
それでも、凛や瑞貴は変わらずにいてほしい。
あの頃の私は、そんな都合のいい願いを、当たり前のように胸に抱えていた。




