エピソード1-5
「私は、人を好きになることはないの」
「……どういう意味だ?」
「瑞貴のことは好き。でも、それは友達として」
「……他に好きな奴がいるのか?」
「違う。そうじゃない。私は、今までも、これから先も、人を愛することはないと思う」
その言葉を聞いた瑞貴の眉間に、深い皺が刻まれた。
でも、それは怒っているとか、不機嫌だとか、そういうものじゃなかった。
どちらかと言えば、なにかを考えているような沈黙だった。
「『これから先も』っていうのは、絶対なのか?」
「絶対とは言い切れないけど……」
この世に、絶対なんてない。
それくらい、私にも分かっている。
父と母も、結婚するときには誓ったはずだ。
絶対に、一生愛し続けると。
でも、それは絶対じゃなかった。
「……けど?」
「ほぼ確定だと思う」
張りつめていた空気が、少し緩んだ気がした。
瑞貴の表情が和らいだからだ。
「『ほぼ』なんだな?」
「え?」
「ほぼってことは、百パーセントじゃねぇよな?」
「……うん。でも、百パーセントに限りなく近いと思う」
「少しでも確率があるなら、それで十分だ」
満足そうに笑う瑞貴を見て、胸が締め付けられた。
「……瑞貴」
「ん?」
「……やめときなよ。女なんていくらでもいるでしょ。アンタ、モテるんだし……可愛い彼女作ればいいじゃん」
瑞貴を信じていないわけじゃない。
でも、人は変わる。
今は『好きだ』と甘い言葉を言っていても、その気持ちがずっと続く保証なんてない。
この世に絶対はない。
それで関係が壊れるくらいなら、今のままの距離でいたほうがいい。
「俺が勝手に好きなだけだ。お前が気にすることじゃねぇよ」
そのときの瑞貴の表情が、あまりにも切なそうで。私は、それ以上、なにも言えなかった。
私は、目の前にある瑞貴の手を握った。初めて見る顔だった。
そのせいかどうかは分からないけど、考えるより先に手が動いた。
触れた瞬間、瑞貴の身体が動く。
次の瞬間、私は瑞貴の胸の中にいた。
「……瑞貴……ごめん……」
「謝ってんじゃねぇよ」
「……でも……」
「絶対なんて、ねぇんだろ?」
「……うん」
「だったら、それでいいじゃん。この先、お前が俺に惚れるかもしれねぇし」
「……そうだね」
未来のことなんて分からないし、考えたくもない。
今だけで、手一杯。
今が楽しいなら、それでいい。
顔を上げると、瑞貴の瞳が私を見つめていた。
私はその眼差しから、目を逸らせなかった。
窓の外では、雨が地面を打つ音がしていた。
瑞貴の顔が近づいてきても、私は拒まなかった。
キスを許したら、その先があることも分かっていた。
私にとって、ファーストキスも処女も、それほど大事なものじゃない。
クラスの女の子たちが、彼氏との経験を自慢げに話すのを聞くたび、うんざりしていた。
『初めては大好きな人と!!』
そう騒ぐ気持ちが、どうしても理解できなかった。
ファーストキスも処女も、私には邪魔でしかない。
だからといって、見ず知らずの親父に売るのも嫌だけど。
処女を捨てたら、大人になれる気がしていた。
私は、早く大人になりたかった。
誰にも頼らず、自分ひとりで生きていけるようになりたかった。
だから、私は瑞貴を拒まなかった。
窓の外で叩きつけるような雨音と、瑞貴の乱れた吐息。
全身に伝わる温もりに、身を委ねる。
そして、少しの痛みを伴って、私は処女を捨てた。
大人になれると思っていたのに。
そこにいたのは、今までとほとんど変わらない私だった。
裸のまま私を抱きしめて眠る瑞貴の腕の中で、小さく息を吐く。
でも、もしかしたらこれで良かったのかもしれない。
穏やかな表情で眠る瑞貴を見ながら、そう思った。
◇◇◇◇◇
「……なぁ、綾」
「なに?」
「もう、お前の生活に口出しはしねぇから……」
「うん」
「ひとつだけ、約束してくれ」
「なに?」
「高校には、毎日来いよ」
「……分かってる」
「それから、困ったことがあったら、真っ先に俺に話せ」
「……うん」
「あと……」
「……瑞貴」
「うん?」
「ひとつじゃないじゃん」
「そうだな」
瑞貴は穏やかに笑う。それにつられて、私も笑った。
その日、私はまた瑞貴に抱かれた。優しく触れてくる手。
溢れる想いが伝わってきて、胸が締めつけられる。
私は、瑞貴の気持ちに応えられない。
そんな私が抱かれるのは、間違っている。
分かっている。嫌というほど。
それでも、瑞貴を拒むほうが残酷だと思ってしまう私は、まだ子どもだった。
あのころの私が、そんなことに気づけるはずもなくて。自分のことで精一杯で、瑞貴の想いに、あんな答え方しかできなかった。
私は、不幸なんかじゃない。
私みたいな境遇の子は、いくらでもいる。
親なんて、なくてもいい。
私は、自分で生きていける。
人を愛することはできないけど、それでも、私は生きている。
だから――愛情なんて、生きていくためには必要なものではないのかもしれない。




