エピソード1-4
私もタバコの煙を吸い込み、視線を逸らす。
しばらく続いた沈黙を破ったのは、やっぱり瑞貴だった。
「いくら、必要なんだ?」
問われた言葉の意味がすぐには、理解できなかった。
「……なんの話?」
「金だよ。いくら必要なんだ?」
「なんで、そんなこと聞くのよ?」
「俺が出してやるよ」
……なにを言ってるの?
私は眉間に皺が寄ったのが、自分でも分かった。
「なんで私がアンタからお金もらわなきゃいけないのよ? 私のことナメてんの?」
「……」
「……一回寝たくらいで、調子にのらないで」
瑞貴はなにも言わない。
ただ、黙って私を見ている。まっすぐな視線。
一度、溢れ出してしまった感情は、もう自分でも止められない。
「私は、言ったよね? 彼氏なんて要らないって。そんな存在、必要ないって。それでもいいってアンタが言ったんでしょ? だったら、彼氏みたいなこと言わないで」
感情が前に出て、呼吸が乱れる。
このままここにいたら、もっと制御できなくなる。
そう思って立ち上がり、玄関へ向かおうとした。
「綾」
低く、よく通る声。
あまりにも切なそうで、悲しそうで。
私は思わず、足を止めてしまった。
その瞬間、手首を掴まれた。
「どこに行くんだ?」
「……帰る」
「帰さねぇよ」
瑞貴は掴んだ手を、そのまま引き寄せる。
どれだけ踏ん張っても、男の力には敵わない。
全身に温もりを感じた瞬間、私は瑞貴に抱き締められていた。
溢れた感情を宥めるように、背中を撫でる大きな手。
……私とタメのくせに。
まるで大人が子どもをあやすみたいな触れ方。
「悪かった」
普段は、絶対に謝らないくせに。
こういう時だけ、瑞貴は素直に謝罪の言葉を口にする。
瑞貴だけが悪いわけじゃないのに。
「……もう、いい」
私は、小さく呟いた。
……分かってる。
瑞貴は、私の扱い方を私以上に分かっている。
時間は流れているはずなのに、私はそれを感じなかった。
時間が止まってしまったような感覚。
離れようとしない瑞貴が、低く問いかける。
「高校はどうするんだ?」
耳元に、熱い息がかかる。
「行く」
「本当か?」
「そのために、バイトをするんだから」
「……どういう意味だ?」
ようやく身体を離した瑞貴が、顔を覗き込んでくる。
「私、家を出ることにしたの」
「は? なんで?」
「そうすることを、親も私も望んでいるから」
私の言葉を聞いて、瑞貴はなにか考えるみたいに宙を見た。
「親は、どこまで出してくれるんだ?」
「部屋を借りる時に必要な分だけ」
「生活費は?」
「だから、バイトするって言ってるでしょ?」
「……なるほどな」
納得したように頷いて、小さく息を吐く。
「ここに住めばいいじゃん」
その一言に、思わず溜息が漏れた。
……こいつ。全然、分かってない。
もしかしたら、さっき「悪かった」って謝ったけど、私がなんでキレたのかさえ、分かってないのかもしれない。
そんな疑念を抱きつつ、私は尋ねる。
「なんでよ?」
「なにが?」
「なんで私が、ここに住まなきゃいけないのよ?」
腹は立つ。でも、さっき感情を爆発させてしまったせいで、今は怒るのも面倒だった。
「お前がキャバクラなんかで働くのが嫌だからに決まってんだろ」
「……ねぇ、瑞貴」
「あ?」
「あんたが私のことを好きなのは勝手だけど、私の生活にまで口を出さないでくれる?」
私が吐き出した言葉で、瑞貴の表情は硬くなった。
瑞貴の気持ちを分かっていながら、こんなことを言う私は最低だ。
……でも、私は、瑞貴の気持ちに応えることはできない。
「……そうだな……」
弱々しい声。
その響きに、胸の奥が締めつけられる。
瑞貴だけが悪いわけじゃない。
……もし、私が瑞貴を好きになれたら。
その気持ちを受け止められたら、こんな顔をさせずに済んだのかもしれない。
ひとりで繁華街にいた私を、仲間として迎え入れてくれた瑞貴。
気づけば、いつも傍にいてくれた。
見張るでもなく、守るでもなく、ただ見ているだけ。
口の悪い私たちは、会えば言い合いばかりで、じゃれ合っているような関係だった。
でも、それが私には心地よかった。
その関係がこのままずっと続くものだと思っていた。
二週間前。
瑞貴の気持ちを聞くまでは……。
◇◇◇◇◇
「綾、好きだ」
その真剣な表情を見た瞬間、それが冗談じゃないと分かった。
瑞貴に誘われて来たこの部屋で、どうでもいい話をしていた時。
前触れもなく、そう言われた。
私も、瑞貴のことは好きだ。
好き嫌いがはっきりしている私が人に抱く感情は、「好き」「嫌い」「興味がない」の三つしかない。
瑞貴が好き。
でも、それは恋や愛とはまったく違う、別物。
凛が好き、という感覚と一緒。
瑞貴のことも凛のことも、友達として好きなだけ。
私には、欠けているものがある。
異性に向ける愛情。
私は、男の子を好きになったことがない。
今までも……たぶん……これから先も。
別に男嫌いなわけじゃない。
友達としてなら、普通に付き合える。
過去になにかあったわけでもない。
男友達は多いし、女友達より多いくらいだ。
面倒な女の子といるより、さっぱりした男の子といるほうが楽で、性に合っている。
……それでも、恋愛感情を持つことはできなかった。
それは、瑞貴も例外じゃない。




