エピソード1-3
仲間には驚くほど優しくて、なにがあっても切り捨てたりしない。
相手が警察やヤクザでも、仲間のためなら迷わず噛みつく。
私から見れば、欠点の見当たらない男。
「で、なんの話をしてたんだ?」
ぼんやりしていた意識が、その声で戻った。
「え?」
「凛と話してただろ?」
前髪の隙間から覗く視線が、まっすぐに突き刺してくる。
「ああ、バイトを紹介してもらおうと思って」
「バイト?」
瑞貴の眉間に皺が寄り、声が低くなった。
……こういう反応をされるって分かっていたから、話したくなかったのに。
「なに?」
私もまっすぐ瑞貴を見返した。
瑞貴と私は付き合っているわけじゃない。だから、私がバイトをしようと、文句を言われる筋合いはない。なにも間違ったことはしていないし、堂々としていればいい。
周囲では仲間たちの話し声や笑い声が続いているのに、私たちは視線を外さなかった。どちらかが折れない限り、この沈黙は終わらない。
私と瑞貴は、似た者同士だ。お互いが簡単には引かない。
溜息が漏れそうになった瞬間、瑞貴の口から舌打ちが落ちた。
「……場所、変えようぜ」
先に折れたのは瑞貴だった。
行き先は分かっている。そこでなにをするつもりかも。
「……私、明日面接があるんだけど」
「あ? 明日の話して逃げてんじゃねぇぞ」
「逃げてる? 誰に言ってんの?」
「お前以外に誰がいる?」
「ケンカ売ってんの?」
「望むなら、いくらでも売ってやるよ」
「上等じゃん」
私は瑞貴の胸倉を掴んだ。
「ここでいいのか?」
掴まれても、瑞貴は表情を変えない。いつも通りの余裕。それが、余計に癪に障る。
瑞貴は、私がここでは殴れないと分かっている。分かったうえで、挑発している。
このグループには決まりがある。
居場所をなくして集まった私たちにとって、仲間は家族みたいな存在。だから、裏切りも、内部でのケンカも、殴り合いも禁止。もし破れば、二度と繁華街には来られない。
法律すら守れない私たちが、唯一守っている決まり。
それだけは、なにがあっても破れない。
私は瑞貴の服から手を離した。
その手首を、すぐに瑞貴が掴む。
「殴りてぇなら、いくらでも殴らせてやるよ。……でも、場所を変えてからだ」
瑞貴は話が終わるまで、私を帰す気はないらしい。
答えずに睨み返す私を、瑞貴は鼻で笑い、顔だけ背後に向けた。
その瞬間、振りほどこうとしたけれど、手首を掴む力は緩まなかった。
「ちょっと出てくる。なんかあったら連絡してくれ」
近くにいた男の子に瑞貴が声をかけると、相手は頷いて右手を振った。
「行くぞ」
そう言って、私の手を引く。
掴まれた手に力がこもっていて、離す気がないことがひしひしと伝わってくる。
だから私は、瑞貴の一歩後ろを歩き出す。
連なる車のテールランプ。
目が眩むほどのネオン。
静まる気配のない街。
途切れない人の波。
弾んだ笑い声。
その見慣れた光景の中を私は、瑞貴の背中だけを見つめながら進んだ。
◇◇◇◇◇
「綾、ビールを取って」
広い部屋に、大きなベッドと大きなテレビ。
冷蔵庫の中身は、ビールとミネラルウォーターだけ。
テーブルにはテレビのリモコンと、さっきまで瑞貴が身につけていた時計と指輪とブレスレットが並んでいる。
何度も来たことのある瑞貴の部屋。
二週間前、私はここで処女を捨てた。
瑞貴にあげたわけじゃない。私が、捨てたかったから捨てた。
フローリングに直接腰を下ろした瑞貴が、ベッドに座ろうとした私に声を投げる。
「自分で取れば?」
私はアンタの彼女でも嫁でもない。だからビールを取ってあげる義理もない。
「あ? お前は飲まねぇのか」
「飲むに決まってんじゃん」
「じゃあ、自分の分を取ってこいよ」
……自分の分なら、いいか。
私は立ち上がって、ベッド脇の冷蔵庫へ向かう。
扉を開け、缶ビールを掴んだ瞬間。
「綾、パス」
不意に大きな声が響き、反射的に、瑞貴に向かって缶を投げていた。
勢いよく飛んだ缶は、見事にすっぽりと瑞貴の手に収まる。
「サンキュ」
勝ち誇った笑み。
……やられた。
悔しさに唇をかみしめながら、私はもう一本を掴んで冷蔵庫を閉め、ベッドに腰を下ろした。
美味しそうにビールを流し込む瑞貴を横目に、悔しさを噛み殺す。
私は負けず嫌いだ。
これは勝ち負けの話じゃないのに、策に嵌められたのが腹立たしい。
「飲めば?」
機嫌のいい顔が、余計に神経に触る。
「言われなくても飲むわよ」
缶に口をつけ、そのまま喉に流し込む。
飲み干した缶を、テーブルに置いた。
「……イッキかよ」
瑞貴が呆れた声を出す。
その一言を聞いた瞬間、私は内側で小さく勝ちを確信した。
ようやく悔しさが抜け、瑞貴に向けて言う。
「瑞貴、ビールを取ってきて」
「は?」
「早く」
舌打ちしながら瑞貴は立ち上がり、冷蔵庫から缶ビールを取り出して差し出した。
それを受け取り、私は気分よくタバコをくわえて火を点ける。
煙を吐き出したところで、瑞貴が口を開いた。
「なんのバイトをするんだ?」
「は?」
「バイトするんだろ?」
「うん」
「なんの?」
「お水」
「……お水?」
また声が低くなる。
気づかないふりをして、私は続けた。
「そう。キャバクラ」
「……」
瑞貴は黙り込んだ。




