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R.B1  作者: 白川桜蓮


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20/25

エピソード5-1

 いつもと変わらない日常。

 いつもと変わらない教室の光景。

 クラスメートたちは席に着き、教師は教科書に視線を落としたまま、理解が追いつかない英語を口にしている。

 その声を聞いているうちに、意識がゆっくり沈みかけた。

 響さんがお店に来てから一週間。

 相変わらず店は忙しく、昨日も出勤していた私は、一時限目から強い眠気に捕まっている。

 ……眠い。

 この授業なら、普段はそのまま眠れてしまう。

 だけど今日は、どういうわけか瞼が落ちてこない。

 眠気だけが残り、逃げ場を失ったまま授業は終わった。

 私は立ち上がる。

 このまま教室にいたら、苛立ちがどこかに向かいそうだった。

 そうならないためにも、私は帰ることにした。

 早退といっても、担任に話したわけでも、保健室に寄ったわけでもない。

 実際は、ただの無断退出だ。

「綾!!」

 廊下に出た瞬間、背中に衝撃が走った。

 体当たりされ、足はもつれ、危うく廊下の中央で派手に転ぶところだった。

 反射的に振り向き、腕が前に出る。

「きゃっ!!」

 高い声と同時に、相手は素早く身をかわした。

 この学校で、私を名前で呼ぶ人間は多くない。

 それが女の声なら、答えはひとつだった。

「凛っ!」

「きゃー、ごめんなさい!」

 やっぱり予想どおりだった。

 大げさに頭を下げながらも、凛はどこか楽しそうに笑っている。

 その顔を見た瞬間、さっきまで張りついていた感情が抜け落ちる。

 私は息を吐いた。

「綾、どこ行くの?」

「帰る」

「なんで?」

「眠いから」

「はぁ? 眠い? 具合悪いんじゃなくて?」

「具合は悪くないわよ。気分は良くないけど」

「気分が悪い!? なにかあったの? 誰かに――」

「苛められてはないけど」

「……けど?」

「体当たりされた」

「……申し訳ありませんでした……」

 力なく頭を下げる凛を見て、私は思わず吹き出した。

「そんなに眠いなら、空き教室で寝ればいいじゃん」

「あそこは、人が多いから」

「綾が行って、瑞貴に『眠い』って言えば、すぐに誰もいなくなるよ」

「いいの。最近寝不足だし、ちゃんと眠りたいから帰って寝る」

「そっか」

「ねえ、凛。伝言、お願いできる?」

「いいけど、誰に?」

「瑞貴に、『帰るからお昼は一緒に食べられない』って、伝えて」

「分かった。今日もバイト?」

「まだ分からないけど、多分休み」

「じゃあ、たまには溜まり場にも顔出しなよ?」

「うん。起きたら連絡する」

「おやすみ」

 今の時間にはそぐわない挨拶に手を振り、私は校舎を後にした。

「眩しい……」

 校門を出た瞬間、強い日差しが視界を塞ぐ。

 この時間に外を歩くこと自体、ほとんどない。

 私は足取りも重く、自宅マンションに向かう。

 学校から繁華街にあるマンションまでの距離が、やけに長く感じられる。

 ……早くベッドに横になりたい……。

 そう考えながら歩いていると、背後から車のエンジン音が近づいてきた。

 車一台がやっと通れるほどの細い路地だ。

 ……こんなに狭い道をわざわざ通らなくても。

 そう思いながら道の端に寄る。

 譲っているはずなのに、エンジン音は近づいたまま、なぜか速度を落としている。

 追い越すなら、さっさと行けばいいのに。

 文句のひとつでも言ってやろう。

 そう考えた私は、苛立ったまま振り返った。

 でも——……。

 ……まずい。この車には、なにも言えない。

 私は瞬時にそう悟った。

 ゆっくりと近づいてくるのは、黒い車体。

 太陽の光を受け、重く鈍い光を放っている。

 フルスモークのプレジデント。

 ……振り返らなければよかった。

 数秒前の自分に、思わず手が出そうになる。

 視線を逸らすべきか、という考えが不意に浮かぶ。

 だけど私は、それができない性分だった。

 私はその車から目を離せない。

 車は私の横まで来ると、静かに停まった。

 ……文句を言うつもりだったのに、どうやら言われる側になるらしい。

 無意識に、右手のカバンを左に持ち替えた。

 空いた利き手で、拳を握る。

 こんな状況でも、身体は勝手に備えている。

 相手が誰でも、簡単に引く気はなかった。

 拳にぐっと力を込めた。

 停まった車の後部座席の窓が、ゆっくりと下がる。

「綾乃」

 穏やかで、柔らかい声。

 ……この声は……。

「響さん!?」

「おはよう」

 優しい笑みを向けられた瞬間、身体から力が抜けた。

「お……おはようございます」

 ……いや。挨拶なんてしている場合じゃない。

 今、私は制服を着ている。

 お店のお客さんである響さんに、この格好を見られたら――。

 もう働けなくなる。

 そういう未来が、一気に現実味を帯びた。

 ……どうしよう。誤魔化しようがない。

 でも、今クビになったら生活が成り立たない。

 ……どうする。

「綾乃」

「は……はい」

「飯を食いに行く約束をしていただろ?」

「は?」

「忘れたか?」

「……いいえ。覚えていますけど」

「今から時間あるか?」

 学校をサボって抜けてきたんだから、時間はたっぷりある。

 眠気で帰ったはずなのに、この状況で眠気は完全に消えていた。

「……はい」

「乗って」

 その声と同時に、運転席から男が降りてくる。

 そして、響さんとは反対側の後部座席のドアが開いた。

 本当は、この場から走って逃げたい。だけど、なにかしらの形をつけなければならない。

 クビになるのは仕方がない。


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