エピソード4-7
「はい」
「綾乃に任せておけ」
「分かりました」
牧田と呼ばれた男の人は、ライターをポケットにしまった。
「ありがとうございます」
牧田さんに礼を言い、響さんに火を差し出す。
その火に煙草をかざす響さん。
煙草を持つ左手の薬指が、ふと煌びやかな光を放った。
店内の照明が、指にはめられた指輪に反射している。
響さんの年齢は分からないけれど、見た目は二十代後半から三十代前半。
結婚していても不思議じゃない。
むしろ、こんなに整っていて、落ち着いていて、優しそうなのに、独身だと言われたほうが意外に感じるかもしれない。
……だけど、なんだろう。この感覚は……。
胸の奥に、なにかが引っかかる。
「どうした?」
響さんが、私の顔を覗き込んだ。
「すみません。失礼しました」
仕事中に考えごとをするなんて、よくない。私は頭を下げた。
「なんで謝るんだ? 別に謝らなくていい。気にするな」
「……はい」
「今度、飯でも食いに行くか」
……これは、同伴か、それともアフターの誘い?
「はい、喜んで」
「毎日、出勤しているのか?」
「いいえ。昼間も働いているので、休みの前の日だけです」
入店のときに、雪乃ママと決めた設定。
『年齢を聞かれたら、二十歳って言うこと』
年齢は二十歳。学生でも通るけれど、突っ込まれたら綻びが出そうだから、設定は事務員にしている。
「学生です」と言えば学校名を聞かれるけれど、「事務の仕事をしています」と答えれば、会社名まで踏み込まれることはない。
「休みはいつだ?」
「土日と祝日です。お店に出るのは、その前日だけです」
私は自分の携帯番号を書いた名刺を、響さんに差し出した。
「分かった。近いうちに連絡する」
受け取った名刺を、響さんはスーツの内ポケットにしまう。
「分かりました」
そのあと二時間ほど、響さんは私と話してから店を出ていった。
この辺りを仕切っている組の組長だと聞いて、どれほど怖い人なのかと思っていたけれど、実際の響さんは穏やかで、そんな独特の雰囲気は微塵もない。
どちらかと言えば、品があって紳士的。
そんな印象の人だった。
響さんが帰るとき、私は店の外まで見送った。
「響さん、今日はありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう」
そう言って、響さんは柔らかく笑った。
……どうして、響さんがお礼を言うんだろう。
その答えを聞く前に、響さんは厳つい男たちに囲まれて去っていった。
「ありがとう、綾乃ちゃん。助かったわ」
姿が見えなくなると、一緒に外まで見送りに出ていた雪乃ママが、私の肩を軽く叩いた。
「……いいえ」
「いいお客様を捕まえたわね」
「……いいお客様……」
「響さんは、うちのお店でもトップクラスのお客様よ」
「そうなんですか?」
「えぇ。彼とはお店を出す前からのお付き合いだけど、長い間なかなか指名してくれなかったの。だから綾乃ちゃんについてもらって、本当に良かったわ」
満足そうな雪乃ママ。
だけどその話を聞いて、私の疑問はますます深くなった。
「雪乃ママ」
「なあに?」
「響さんは、どうして私なんかを指名したんでしょうか?」
「えっ?」
「響さんがどうして私を指名してくれたのかが、分からなくて」
「それはね……きっと綾乃ちゃんだからよ」
「……私だから?」
「ええ、そう。響さんは、綾乃ちゃんだから指名したの」
嬉しそうに笑う雪乃ママ。
だけど、残念なことに私は雪乃ママの言葉の意味を理解することはできなかった。
「今日はもう上がっていいわ。ごめんなさいね、明日も学校なのに……」
「いいえ。お先に失礼します。お疲れ様でした」
「お疲れ様」
胸に小さな引っかかりを残したまま、私は控え室で着替えを済ませ、店を後にした。




