エピソード4-6
真っ白なロングドレスを纏ったアリサが、優雅に立ち上がり席を離れた。
「失礼します」
私は、アリサが座っていた場所に腰を下ろす。
「響さん、綾乃ちゃんは新人さんだから、苛めないでね」
そう言い残し、雪乃ママは席を離れた。
「店に入って、どのくらいなんだ?」
「一ヶ月くらいです」
「慣れたか?」
「いいえ、まだ……」
「慣れない方がいい」
「えっ?」
「この世界には、染まらない方がいい」
同じテーブルで交わされる楽しげな声。特別ルームの外から漏れてくるざわめき。店内に流れる音楽。
絶え間なく音が押し寄せてくる中で、響さんの低く落ち着いた声だけが、やけに耳に残った。
……変わった人。
この世界に来て一ヶ月。
その間ずっと「早く慣れてね」と言われ続けてきた。
私自身も、早く慣れなきゃと思っていた。
遊びで働いているわけじゃない。
生活が掛かっている。
それなのに、この人は、真逆のことを言う。
「なにか飲むか?」
「はい。お茶をいただいてもいいですか?」
「茶?」
漆黒の切れ長の瞳が、驚いたように見開かれた。
「は……はい」
私は、なにかおかしなことを言ってしまったのだろうか?
「酒は、飲めないのか?」
「いいえ」
「じゃあ、飲んだらいい」
「飲むと、仕事ができなくなるので」
本当は、飲みたい。飲めば話もしやすくなるし、緊張だって和らぐ。
でも、ここはお客さんを楽しませる場所。
そして私たちは、お客さんを楽しませるのが仕事。
これは雪乃ママに、最初に教わったことだから、私の脳裏に深く刻まれている。
私の瞳をまっすぐ見つめていた響さんの漆黒の瞳が、ふっと細められた。
この人は、こんなふうに笑うんだ。
私は響さんから目が逸らせなくなっていた。
「おい」
響さんの声は、私の横を通り過ぎ、同じテーブルで顎にヒゲを蓄えた厳つい男の人へと向けられた。
「はい」
さっきまで女の子と談笑していたその人が、即座に表情を引き締めて返事をする。
和やかだった空気が、響さんの一声で一気に張り詰めた。
「茶を持って来させろ」
「分かりました」
出入り口近くの女の子が立ち上がりかけたのを制し、男の人が席を立つ。
「それから、雪乃を呼べ」
「はい」
その人が特別ルームを出ると、すぐに雪乃ママが現れた。
「お呼びかしら、響さん」
「ああ。今日は指名をしたいんだが」
指名。
……それってやっぱり、アリサのほうが良かったとか?
ああ、そういう流れなんだ?
今朝のテレビの占い、私ワーストだったし……。
「あら、珍しい」
驚いた雪乃ママをよそに、響さんは私を固まらせる言葉を口にした。
「綾乃を指名する」
……綾乃。やっぱり、綾乃が良かったってことか。
綾乃?
それって、私じゃないの?
響さん……正気ですか?
この状況で、まさかアリサと綾乃を間違えた、なんて言わないよね?
この店は永久指名制。一度指名したら、その子が辞めるまで変更できない。
間違いだとしたなら、訂正は今しかない。
私は、響さんに視線を向けた。
「……」
その視線に気づいた響さんは、穏やかに微笑んだ。
……どうやら、間違いじゃないらしい。
「良かったわね、綾乃ちゃん」
「……はい」
雪乃ママは笑っているけれど。
……分からない。どうして、アリサじゃなくて私なんだろう。
今日の占いは、ワーストだったのに。
「雪乃」
「はい?」
「他の女の子にも、好きなものを好きなだけ飲ませてやってくれ」
「まぁ、ありがとう」
雪乃ママの表情が一気に明るくなる。
今夜、響さんはいくら使うつもりなんだろう。
私を指名したということは、響さんが店で使う金額が、私の給料に関わるということ。
その瞬間、ひとつの事実に気づいた。
……アリサに、恨まれる。
私がこのテーブルにつかなければ、指名をしていない響さんが使ったお金は、テーブルマスターのアリサの売り上げになっていたはずだ。
さっき目にしてしまった、アリサの悔しそうな表情が脳裏に浮かぶ。
……女の世界は面倒なことが多い。
「どうぞ」
いつの間に戻ってきたのか、顎鬚の男の人が、お茶の入ったグラスを差し出してきた。
「ありがとうございます。いただきます」
グラスを持ち上げると、響さんが自分のグラスを軽く当ててきた。
ガラスの触れ合う音が小気味よく響く。
水割りを一口含んだ響さんは、グラスをテーブルに置き、スーツのポケットから煙草の箱を取り出した。
それに気づいて、私はバッグからライターを出す。
その瞬間、視界の端で動いた人影に目が留まった。火を点けようとライターを構えている男の人と、視線が合う。
「私の役目ですから」
そう言って、笑顔で声をかける。
「……はぁ……」
意外そうな表情を浮かべる男の人。いつもはこの人の役目なのかもしれないけれど、今は私の仕事だ。
「牧田」
隣で響さんが口を開いた。




