エピソード4-1
「眠い……」
少しだけ、目を閉じようと思った。
教室の机に伏せ、瞳を閉じる。英語教師が教科書を読む声は、子守唄みたいに耳に入ってくる。
窓際の席で、日差しがやけに温かい。
そのまま、意識が落ちた。
チャイムと同時に、頭を叩かれて目が覚める。
「……痛っ……」
「学校に真っ赤な爪で来てんじゃねぇよ」
この声。
「……人が気持ちよく寝てんのに、邪魔しないでよ」
「お前は、なにしに学校来てんだ?」
「……あんたに言われたくない」
朝からずっと授業をサボってたくせに。
居眠りでも教室にいる私のほうが、まだマシだと思う。
「もう昼だ。飯、行こうぜ」
「……うん」
大きく伸びをして、席を立った。
この高校に入学して一ヶ月。
クラブでのバイトと学校の両立にも、少しずつ慣れてきた。雪乃ママのおかげで繁華街にマンションを見つけることができて、ひとり暮らしも快適だ。
部屋にいる時間はほとんどないけど。
昼は学校、夜はバイトか、繁華街で瑞貴や凛と過ごす。それでも、好きなときに帰れる場所があるのは悪くない。
クラスは、凛だけが隣のクラスで、私と瑞貴は同じクラス。
体育や選択授業は凛と一緒だけど、入学式の日、クラス分けの掲示板を見た凛はかなり落ち込んでいた。
「なんで、私だけ……」
そう言って、重たい空気をまとっていた。
今では、その人懐っこさで、学校の中でも着実に人脈を広げつつある。
瑞貴は、同じクラスで、席も隣。
どこまでも、この関係は続くらしい。
ただ、瑞貴が授業中に教室にいることは、ほとんどない。
朝は顔を合わせるから校内にはいるはずなのに、チャイムが鳴ると姿を消す。そして、今日みたいに昼休みになると、迎えに来る。
私は授業中、ほとんど寝ているから、瑞貴がいないほうが静かで都合がいい。
まあ、瑞貴が教室にいるかどうかなんて、どうでもいい。
「いただきます」
学食の日替わりランチを前に、瑞貴が嬉しそうに手を合わせる。
……ご飯、大盛り。よく、そんなに食べられるよね。
私の前にあるのは、ホットサンドとアイスコーヒー。
これが、私の毎日の定番ランチだ。
本当は、あまり食欲がない。でも食べないと瑞貴に怒られてしまう。
「バイトは、忙しいのか?」
瑞貴が、ちらっとこちらを見た。
「まあ、ぼちぼち」
「そうか」
ぼちぼち、と答えたけれど。
実際は、かなり忙しい。
春は新生活スタートの季節で、私が働いているクラブも毎日大盛況。休み前だけ、という条件だったはずなのに、ここ二週間は雪乃ママから毎日のように電話がかかってくる。
お金があって困ることはない。
そう思っている私は、一日おきくらいで出勤していた。実は昨日も出勤した。
雪乃ママが気を遣ってくれるから、ラストまで残る必要はない。それでも、眠気には勝てない。
だから、授業中は大事な睡眠時間になる。
最初は抵抗のあった水商売。
でも、やってみて分かったことがある。
どうやら、私には結構向いているらしい。
無理をしているわけでも、気を張っているわけでもない。好きなお酒を少しだけ飲んで、笑っていればいい。
話すのは得意じゃないから、聞き役に回る。その立ち位置が受けたのか、指名もそこそこ入るようになってきた。
もともと老け顔だし、店専属のヘアメイクのスタッフさんにしっかり化粧をしてもらい、髪を派手に盛れば、高校生にはまず見えない。
二十歳と言っても疑われない。
それは、ありがたいようで、ちょっとだけ複雑だった。
本当の年齢がばれたら働けなくなるし、店も営業停止になる。それを思えば、やっぱり助かっている。
店の女の子同士には派閥のようなものもあるけれど、バイトの私にはまったく関係がない。
裏でどんなにやり合っていても、客席に出ればそれは一転する。
『私たちは仲良しです』と、でも言いたげな空気感を醸し出せるところは。本当にプロだと思う。それと同時に、女って、怖い。そう思わずにはいられなかった。
店での私の源氏名は、綾乃。
入店した日に、雪乃ママがつけてくれた。
尊敬している人からもらった一文字。
本名に近いその名前は、すぐに馴染んだ。
「瑞貴」
食堂の入り口付近に、五、六人の男の子たちが立っている。繁華街の溜まり場で見たことのある顔だ。
瑞貴がそちらを見ると、男の子たちは手招きした。
「……なんだよ」
食事を邪魔されて、瑞貴は不機嫌さを隠さない。
「早く行きなよ」
促すと、小さく舌打ちして瑞貴は、気怠そうに椅子から立ち上がった。
「悪ぃな。すぐ戻る。ひとりでどっか行くなよ」
「はいはい。分かったから、早く行きなよ」
高校に入学してから、瑞貴は一度も私との昼ごはんを欠かしたことはない。
たぶん、気を遣ってくれているのだと思う。
私の性格を、よく知っているから。
女友達は面倒だと思っている私は、クラスでも自然とひとりでいることが多い。
いじめられているわけでも、無視されているわけでもない。必要があれば言葉は交わすし、私自身、授業中は寝ているか、タバコを吸いに抜けていることが多い。
だからこのくらいの距離感が、ちょうどいい。そう思っているんだけど。
そんな私に、瑞貴は変に気を遣ってくれている。
そういうところは、妙に律儀な男なのだ。
ホットサンドを手に取って口に運ぼうとした瞬間、ポケットの中でスマホが鳴った。
画面を見ると、表示されていたのは雪乃ママの名前。




