第5話 私のかわいいを見抜いた人
深夜に送信した、あの狂気じみた依頼メール。
翌日の夕方、学校からの帰り道にスマートフォンを開いた私は、受信トレイを見てその場で立ち止まった。
『星祈ミウ制作依頼の件につきまして(花守しずく)』
心臓が破裂するかと思った。
恐る恐るメールを開くと、そこには丁寧で柔らかな文面が並んでいた。
『企画書とデザイン仕様書、すべて拝見いたしました。雨宮さんのこの子に対する並々ならぬ熱量と、美しさへの真摯なこだわりに深く胸を打たれました。ぜひ私にお手伝いさせていただければ幸いです。詳細を擦り合わせるため、一度オンラインでお話しできませんでしょうか』
通学路の電柱の陰で、私は声にならない叫びをあげて蹲った。
引き受けてくれた。あの神絵師が、私の重すぎる想いを受け止めてくれたのだ。
そして――約束の日時。
デスクの前に座る私の心臓は、けたたましく早鐘を打っていた。
「すー……はー……すー……はー……」
深呼吸を繰り返す。
音声通話のみの打ち合わせだというのに、私はわざわざ一番上等な私服を着て、髪を完璧にブローし、手鏡で前髪の割れ目までチェックしていた。
前世で重役相手にプレゼンした時ですら、ここまで胃が痛むことはなかった。
いや、あれは責任の重さだが、これは魂を晒す恐怖と期待だ。次元が違う。
時計の針が、約束の二十時ちょうどを指した。
ポロロン、とDiscordの通話着信音が鳴り響く。
私は震える指先で、通話開始ボタンを押した。
「――もしもし、雨宮さんでしょうか?」
ヘッドホンから流れてきたのは、耳朶を優しくくすぐるような、落ち着いた大人の女性の声だった。
穏やかで、柔らかく、けれど芯の通った澄んだ声。
その第一声を聞いた瞬間、私の全身を縛り付けていた金縛りのような緊張が、ふわりとほどけていくのを感じた。
「は、はいっ! 雨宮です! 本日はお忙しい中、貴重なお時間をいただき本当にありがとうございます!」
思わず直立不動の姿勢で頭を下げてしまう。
声が少し上ずってしまった。体育会系の新入社員か、私は。
すると、受話器の向こうから、くすりと楽しげな笑い声が漏れた。
「ふふ、そんなに緊張しないでくださいね。雨宮さん、とても可愛らしいお声をされているんですね」
「えっ……あ、ありがとうございます……っ」
耳が熱くなる。
花守しずく先生。SNSのアイコンや美麗なイラストの向こう側にいた神が、今、私の声を聞いて笑ってくれている。
「送っていただいた資料、本当に凄かったです。デザインの意図からLive2Dでの可動域、表情ごとの感情設計まで……ここまで解像度の高い企画書、私、商業の現場でも見たことがありません」
「あ、あの……重すぎて、引かれませんでしたか……? 面倒な依頼主だと思われたんじゃないかって、送信した後にすごく不安で……」
「とんでもないです」
しずく先生の声は、すっと真摯なトーンを帯びた。
「絵描きにとって、自分の絵をそこまで深く愛してくれて、明確なビジョンを持ってぶつけてきてくださる方とお仕事ができるのは、一番の幸福なんですよ」
その一言で、私の目頭がツンと熱くなった。
受け入れてもらえたのだ。私の偏執的で、誰にも言えなかった美意識のすべてを。
「それでね、雨宮さん。いくつか掘り下げてお聞きしたいことがあって」
「は、はい! 何でも聞いてください!」
画面越しにしずく先生がメモをめくる気配がした。
「この星祈ミウちゃんという子は、どんな時に一番可愛い笑顔を見せてくれますか?」
「えっ……?」
予想外の問いかけだった。
目の大きさやリボンの色といった造形の話ではなく、「どんな瞬間に可愛いのか」。
「例えば……褒められて素直に喜ぶ時なのか、それとも、誰かを自分の魅力で翻弄して少し困らせた時なのか。守ってあげたい儚い子なのか、それとも惹きつけて離さない引力を持つ子なのか。雨宮さんにとって、この子はどちらですか?」
私は息を呑んだ。
胸の奥で、カチリとパズルのピースが噛み合う音がした。
そう、そこなのだ。
私が従来の美少女VTuber像に対して、ずっと言葉にできずにもどかしく感じていた違和感の正体。
「……後者、です」
私は自然と、嘘偽りのない本音を口にしていた。
「ただ儚くて、守られるだけの女の子にはしたくないんです。星空のように清らかで、触れたら消えてしまいそうな透明感があるのに……どこかで自分の愛らしさを知っていて、ふとした瞬間に悪戯っぽく微笑んで、見てる人の心を奪ってしまうような。そういう……少しだけ小悪魔で、自覚的な可愛さが欲しいんです」
一気に捲し立ててしまい、私はハッと我に返った。
また生意気な講釈を垂れてしまったのではないか。居酒屋で後輩に持論を語る中年上司の姿が頭をよぎる。
けれど――受話器の向こうから返ってきたのは、息を呑むような微かな吐息だった。
「なるほど……『星空の祈りと、ほんの少しの悪戯心』。その言葉の本当の意味が、今すごく腑に落ちました」
しずく先生の声は、静かな熱を帯びていた。
「雨宮さんが創りたいのは、単なる鑑賞用の人形じゃないんですね。世界と対等に対峙して、自分の力で誰かを魅了してみせる……強い意志を持った、本物の女の子なんだ」
「…………っ!」
見抜かれた。
私の魂の輪郭を、この人はたった数分の会話で、完全に掬い上げてしまった。
前世で男だったとか、今世で生まれ変わったとか、そんな陳腐な設定はどうでもいい。
私がなぜ、ここまでして可愛い女の子を追い求めているのか。
それはただ愛されたいからじゃない。自分の選んだ完璧な愛らしさで、世界を揺らしてみたいからなのだ。
「私、描けそうです。雨宮さんが頭の中で息をさせている、本当のミウちゃんの姿が、いま目の前に浮かんできました」
「しずく先生……」
「楽しみに待っていてくださいね。雨宮さんの祈りに応えられる、世界で一番可愛いミウちゃんをお届けしますから」
通話が終わった後。
自室の静けさの中で、私はデスクに突っ伏したまま、しばらく動くことができなかった。
耳の奥に残る、先生の優しい声。
熱を帯びた頬を両手で挟むと、手のひらがじんわりと温かかった。
この人になら、私のすべてを預けられる。
私の理想は、間違いなくこの人の手によって、世界で一番眩しい形となって生まれてくる。
そして数日後――その確信は、私の想像を遥かに超える奇跡となって、画面の前に届けられることになるのだった。




