第4話 神絵師に依頼文を送る夜
それは、今から半年前の肌寒い夜のことだった。
自室の明かりを消し、モニターの青白い光だけが私の顔を照らしていた。
画面には、SNSやイラスト投稿サイトのタブが無数に開かれている。ざっと数えて五十は下らない。
「違う……これも、なんか違う……」
マウスホイールを回転させながら、私は呟いた。
指先は冷え切っていたけれど、胸の奥は異常な熱を帯びていた。
VTuberとして生きる。
そう決意したあの日から、私は自分に命を吹き込んでくれるイラストレーター――いわゆる「絵師ママ」を血眼になって探し続けていた。
世の中には、絵の上手い人など星の数ほどいる。
美麗な絵画を描く人、流行りのキャッチーなアニメ塗りを得意とする人、圧倒的な色彩で殴りつけてくる人。
けれど、私が求めていたのは、単なる「上手い絵」ではなかった。
私が欲していたのは――私という魂の祈りを、寸分の狂いもなく受肉させてくれる“依り代”だ。
ただ守ってあげたいだけの儚い美少女ではダメだ。それではただの消費物になってしまう。
かといって、あからさまに色気を前面に出したデザインでも違う。
清楚で、凛としていて、透明感があって、星空のように手が届かない神秘性を纏いながら――それでいて、見る者を虜にすることをどこかで知っているような、ほんの少しの悪戯っぽさ。
そんな奇跡のような塩梅を表現できる人間が、果たしてこの世界に存在するのだろうか。
諦めにも似た溜息をつき、タイムラインをスクロールした、その時だった。
「…………っ」
私の指が、ぴたりと止まった。
呼吸を忘れた。心臓がトクンと跳ね、そのまま凍りついたようだった。
画面に映し出されていたのは、一枚のオリジナルイラスト。
水彩のように淡く溶け合う夜空を背景に、白いワンピースを着た少女が振り返っている絵だった。
光の加減で水色にも薄紫にも透き通る、細やかな銀髪の毛束。
まるで本当に夜風に揺れているかのような空気感。
そして何より――吸い込まれそうな青紫の瞳の中に、夜空の欠片のような星のハイライトが静かに灯っていた。
見つめられているだけで、胸の奥が締め付けられるような引力。
甘やかで、神聖で、けれどどこかこちらを試すように微笑んでいる口元。
「……いた」
乾いた唇から、声が漏れた。
見つけた。ここにいた。私の理想の神が。
プロフィール欄を確認する。
『イラストレーター:花守しずく。個人・企業問わずLive2D用キャラクターデザイン・立ち絵制作受付中』
花守しずく先生。
フォロワー数は十万人を超える人気絵師だ。
雲の上の存在。普通なら、実績のない一個人がいきなり声をかけて引き受けてもらえる相手ではない。
けれど――私の心は、すでに一歩も引けない場所まで加速していた。
妥協して別の誰かに頼むなんて選択肢は、塵芥ほども存在しなかった。この人しかいない。この人でなければ、私の星祈ミウは生まれない。
「書くしかない……依頼文を」
私はデスクトップに新規テキストファイルを開いた。
ここからが、私の人生で最も過酷で、最も切実な戦いだった。
まず『はじめまして、雨宮と申します』と打ち込み、すぐに消した。
通り一遍のビジネスメールじゃダメだ。人気作家の元には毎日山のような案件が届いているはずだ。定型文の礼儀正しさだけで、この熱量が伝わるわけがない。
かといって、いきなり『あなたの絵に魂を救われました! 私の理想の肉体を描いてください!』などと怪文書を送りつけたら、即座にブロックされて通報行きだ。
怪しいオタクだと思われてはならない。熱狂と理性を同居させなければ。
「……落ち着け。要件の定義だ」
前世の社畜時代、クライアントに何億円のシステム提案書を書いていた時の感覚が蘇る。
いや、あの頃の稟議書や仕様書なんて、今の切実さに比べればままごとみたいなものだ。
私はキーボードを叩き始めた。
- 活動コンセプト:『星空の祈りと、ほんの少しの悪戯心』
- 髪型:淡い銀髪。ベースはセミロングだが、光の反射で薄紫と水色が滲むグラデーション。風にほどけるような柔らかなウェーブ。
- 瞳:青紫。ハイライトに星の光彩を配置。やや垂れ目だが、笑った時に目尻がキュッと上がる小悪魔的なライン。
- 表情の設計理念:単なる清楚ではなく、相手を少し翻弄する余白を残すこと。
文字を打っては消し、消しては推敲する。
「これだと重すぎるかな……?」「いや、でもここを曖昧にしたら、しずく先生に失礼だ」「意図を正確に伝えなきゃ」
気がつけば、メモ帳の文字数は三千文字を超え、仕様書とデザイン要望書をまとめたPDFは四ページに達していた。
「……これ、新規事業の立ち上げプレゼン資料じゃん」
我に返って思わずセルフツッコミを入れる。
女子高生の個人VTuber準備中の依頼文にしては、あまりにも狂気が煮詰まりすぎている。おっさんの仕事の癖が完全に暴走している。
けれど――私は一行も削らなかった。
削れなかった。これが私の本気配分であり、妥協のない祈りそのものだったからだ。
時計の針は、すでに午前三時を回っていた。
メールソフトの送信先アドレスに、花守先生の連絡先を入力する。
件名は『【Live2D用キャラクターデザイン・立ち絵制作のご依頼】星祈ミウ(雨宮)』。
マウスカーソルを、送信ボタンの上に合わせた。
指先が、小刻みに震えている。
もし断られたら?
もし「重すぎて気持ち悪い」と一蹴されたら?
私の夢は、始まる前に終わってしまうのかもしれない。
けれど――。
「星祈ミウを、あきらめるわけにはいかない」
ぎゅっと奥歯を噛み締め、私は震える人差し指に力を込めた。
カチリ。
静寂の部屋に、マウスのクリック音が響いた。
画面上の送信トレイから、メールが吸い込まれるように消えていく。
賽は投げられた。
この肌寒い深夜の静寂こそが、私の星祈ミウという奇跡の、すべての始まりだったのだ。




