第21話 中の人が知りたいなんて、言わないで
バーチャルという世界において、もっとも残酷で、もっとも無粋な刃。
それは、「中の人」という言葉だ。
日曜日の夜、定期のマシュマロ(お便り)読み配信。
配信画面の中央には、ファンから寄せられたメッセージカードが次々と表示されていた。
『ミウちゃん、初配信からずっと見てます! 応援してます!』
『ミウちゃんの声を聞くと一週間の疲れが吹き飛びます』
そうした温かいメッセージに、私は胸を撫で下ろしながら、丁寧に感謝の言葉を返していく。
けれど、チャンネル登録者が一万五千人を超えたあたりから、お便りボックスの底に、明らかに質の異なるものが紛れ込むようになっていた。
『ミウちゃんって普段は何してる人なんですか? 現役のJK? それともJD?』
『声のトーンからして絶対本物も可愛いですよね! 顔バレとかしてないんですか?』
『オフイベやってほしいです! 素顔が見たい!』
画面上のメッセージを読み上げた瞬間、喉の奥がきゅうと締め付けられた。
送ってきた本人たちに、悪意はないのだろう。
ただ画面の向こうの可憐な少女に惹かれ、もっと知りたい、リアルな素顔を覗き見してみたいという、ごく無邪気で自然な好奇心。
ネットの世界では、何百回と繰り返されてきた他愛もないやりとりだ。
「ふふっ、ミウのリアルの姿が気になっちゃう? ……だーめ。ミウは星空の彼方からみんなに会いに来てるんだから、年齢も素顔も、ぜーんぶナイショだよ? みんなが見てくれてるこの姿が、正真正銘のミウなんだから」
私はカメラへ向けて、小首を傾げながら人差し指を唇に当ててみせた。
Live2Dの星の瞳を悪戯っぽく細め、困ったように甘える完璧な表情。
『だよね! ミウちゃんはミウちゃんだもんね!』
『秘密なのがまたそそる』
『ナイショのポーズ助かる〜!』
コメント欄が温かい笑いに包まれる。
配信の空気は壊さなかった。私はプロとして、見事に好奇心をエンタメへと昇華してみせた。
――けれど。
マイクをミュートにした一瞬の合間に、私は自室のデスクの下で、冷え切った両手の指を強く組み合わせていた。
心臓が、冷たい泥水に沈められたように重く拍動している。
(……中の人が知りたいなんて、言わないでよ)
喉元まで出かかった叫びを、奥歯を噛み締めて飲み下す。
単にプライバシーを守りたいからではない。身バレして高校生活に支障が出るのが怖いから、というだけの現実的な理由でもない。
もっと根本的な、私の魂の在り処そのものを土足で踏みにじられたような、激しい嫌悪感と恐怖。
私にとって、星祈ミウというガワは、決して「仮面」ではないのだ。
世間の多くの人は、VTuberのことを「生身の人間が可愛いアバターを着て演じているもの」だと思っている。だからこそ、その着ぐるみのファスナーを下ろし、中に入っている人間の顔を覗きたがる。
でも、私にとっては違う。
むしろ逆なのだ。
雨宮澪という女子高生の肉体は、偶然の遺伝子と環境によって与えられた、不完全で受動的な器にすぎない。
肌のくすみ、朝の浮腫み、湿気でうねる髪、そして時折顔を出す前世の粗雑な癖。生身の人間である以上、そこには無数の「ノイズ」が混ざり込む。
対して、この星祈ミウはどうだ。
花守しずくママという神絵師の手によって、私の理想の美意識を限界まで抽出し、ミリ単位の所作と声の周波数で命を吹き込んだ、純度百パーセントの「真実の私」なのだ。
ガワこそが本質であり、生身の私こそが余計な夾雑物なのだ。
それなのに。
なぜ彼らは、せっかく目の前にある完璧な芸術品を素通りして、その裏側にへばりついている泥のような生身を見たがるのか。
まるで、名画のキャンバスをナイフで切り裂いて、「裏地の布は何でできてるんですか?」と無邪気に尋ねてくるような残酷さ。
そして――何よりも恐ろしいのは。
(もし、暴かれたら……)
冷たい汗が、こめかみを伝って流れた。
もしも、星祈ミウのガワの裏側にいるのが、可憐な女子高生などではなく――。
かつて三十代半ばで胃薬を飲み、終電の窓に映る自分の生え際を呪いながら死んでいった、冴えないくたびれた男の記憶を抱えた化物だと知られたら。
『うわ、中身キモすぎだろ』
『おっさんが可愛い声作って媚び売ってたのかよw』
『騙されたわ、吐き気する』
そんな罵声が、幻聴のように耳の奥で木霊する。
……いけない。
前世の秘密は、この世界の誰一人として知らない。誰にも話していないし、話すつもりもない。墓場まで持っていく絶対の真実だ。
会社員時代の危機管理マニュアルを思い出せ。起きてもいない最悪のシナリオに怯えて自滅するのは、三流のビジネスマンのやることだ。
……またおっさん臭い比喩で自分を叱咤している。情けない。脳内議事録から即座に削除。
「――はい! それじゃあ今日のお便りコーナーはここまで! みんな、たくさんのお手紙本当にありがとう!」
私は努めて明るい声で配信を締めくくった。
けれど、配信ソフトを落とし、モニターが真っ暗になった後も、胸のざわつきは一向に収まらなかった。
見られること。
それは、私の理想が届く喜びであると同時に、私の聖域の城壁を、無数の無邪気な手が外側から激しく揺さぶり始めているということだった。
崩してはいけない。
一ミリの隙も見せてはいけない。
少しでも声がブレれば、少しでも所作を怠れば、あの冷酷な「中の人」の影が、星祈ミウの光を塗りつぶしてしまう。
手鏡の中の自分を睨みつけながら、私は知らず知らずのうちに、自らの首を真綿で締め付けるような緊張の檻へと、足を踏み入れていた。




